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シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

2006-4-13「いか超」勉強会

いか超」の読み合わせ。前回の続きより

P156~P174まで読み進めることができた。
●「高次の世界の中では人間の魂的本性が鏡像となって、その人間に立ち現れてくる。」「その現れ方が、現実に存在する姿の逆の相として現れるからである。」「たとえば、285という数は本当は582を意味している。ひとつの球は、まるでその中心から見る時のように、現れる。」
→エーテル界も逆?アストラル界も逆?この逆の意味はそれぞれ違うような・・・

●「胎児が母胎内で育つように、霊的人間は物質界の自我の中で育つ。」「高い自我が霊界で十分発達した存在として出現するためには、このような地上生活での作業がどうしても必要になる。」
→物質界で生きることが「どうしても必要」・・・。どうしても必要なのか・・・。分かるような完全には分からないような。

●「高い自我を知ること、低い自我へのこの自我の受肉の教え(すなわち輪廻転生とカルマの法則)を知ること、および最後に偉大な霊界参入の存在を知ることである。」
→高い自我とはハイヤーセルフ?輪廻転生やカルマも一般的に言われているものとは微妙に違うのでは?偉大な霊界参入の存在は結構近くにいるってこと?

◆神秘修行者の夢に現れる変化
●「蓮華が開花したときはじめて、物質界に属さぬ情報が夢の中に記されるようになる。次いで進化したエーテル体を通して霊界に由来するこの記録について豊かな知識が生じる。」

●「霊的対象の「中に」いるように感じる。彼は実際、霊的空間の中を方々さまよい歩く。」「さすらい人」
●「自由な観点から、その故郷を尺度にして判断することができる。」「この霊的故郷の建設を「小屋を建てる」と呼ぶ」
→霊的空間をさすらい、小屋を建てるとは、やはり現実世界は、霊的なものの影?または、練習場?みたいなものなのだろうか?

(所感)
さすらい人と聞いて、まるで、現実世界をあちこち引っ越している私みたいと思ってしまった。霊的世界でさすらってればいいけど、現実世界でさすらっているようではダメなのかな?現実世界で、まずは小屋を建てなくては・・・。
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