fc2ブログ

シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

2006-3-9「いか超」勉強会

前回の続き「いか超」の読み合わせ。(今週から新約聖書のヨハネ福音書の読み合わせはしないことになった。)

P146~P155まで読み進めることができた。
●これまでのアストラル体の開発だけでなく、エーテル体もまた開発されねばならない。

●見霊者は夢想家となることは許されない。足をしっかりと大地の上に置かねばならない。

●現代文化に生きる人は仏陀の言葉に見られる多くの繰り返しを正しく理解できない。しかし、修行者にとってこの繰り返しは、自分の内的感覚が好んでその上に憩うことのできる場所になる。
→お経のことだろうか?確かに繰り返しがよくある。これがここちよいものだと感じれるようになるわけか・・・。日本人的には古臭く感じるとは思うが、私個人としては嫌いではないという程度。

●試練の途上で獲得されねばならぬ四つの特性。
・真理を個人的見解から区別する能力
・真なるものを正当に評価する能力
・前章の六つの徳性
(思考の制御、行為の制御、持続、忍耐、信念および平心の育成)
・内的自由
「すべて無常なものは比喩に過ぎない」(ゲーテの言葉らしい)
→内的自由とは精神の自由?自由の哲学を読まねば・・・。

●徳性が魂の習慣になると、自分の個人的な諸能力だけに関連した一切のものから自由になる。自分の狭い個人的な立場に拘束する枠が消える。

●自分を完全なものにすることは決して利己心のあらわれではない。「薔薇が自分を美しく飾る時、庭園もまた美化される」

(所感)
アストラル体の開発だけでなく、エーテル体の開発まで・・・。エーテル体は不随意な内臓などを不随意でなくするらしい。それはすごいというか大丈夫だろうか?と思ってしまう。そこまで、修行が達成されていれば、大丈夫だとは思うけど。
「完全なものにすることは決して利己心のあらわれではない」とあるが、「完全なもの」の解釈を間違えると、利己心のあらわれになりそうだ。
関連記事


  1. 2006/03/13(月) 22:34:52|
  2. いか超 勉強会|
  3. トラックバック(-)|
  4. コメント:0
<<神秘のカバラー | ホーム | 健康と病気について>>

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する