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シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

2006-2-23「いか超」勉強会

まず、前回の続きで新約聖書のヨハネ福音書の13章~の読み合わせ。

続いて「いか超」の読み合わせ。
P139~P145まで読み進めることができた。
●十弁の蓮華の開花は、感情的印象そのものが意識的に支配できなければならない。無数の幻想を生み出す霊的恣意の源泉を制御する。注意を向けるにふさわしい事柄のみを自分に作用させ、そして受けいれたくない印象からは本当に自由でいられるように意志を鍛えねばならない。

●姿形と熱であった対象が、霊的な光と色を示すようになる。アストラル的特性。

●外的感覚の力が魂の感覚を抑圧し、窒息させている。

●筋の通ったあきらめは、今の境遇では達成不可能な事柄を達成しようと努力することよりも、はるかにおおきな成果を生み出し、魂の進化をより一層促進する。

●六弁の蓮華の開花は、感覚(体)、情念(魂)、理念(霊)の間が完全な均等を獲得する。

(所感)
無意識に見たものが、自分の印象に残り、それによって行動や考えが左右されないようにしなければならないということは、常にすべての感覚からの情報を意識しなければならない。普通の教育を受けた人には、難しいことに思える。そう思ううちは、無理にしないで、来世まで待つぐらいの覚悟で自然に思えるようになるまでじっと耐えることが必要なようだ。無理に、意識するとか、自分を変えようとすれば、ブレーキとアクセルを同時に踏んでいるようなに無理にしていることになる。まずは、根本の根本の根本の・・・原因に気づくことが重要なようだ。それにはエクササイズをすればいいのかなあ?

「達成可能な努力」と「達成不可能な努力」を見極めるのが難しいような・・・。これができれば、だれも苦労はしないのだから、これも修行か・・・。
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