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シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

一般人間学 勉強会 第九講(2005-12-17)

前回の続きの第九講の読み合わせ。

●思考活動を意識化していない。(結論⇒判断⇒概念)
→確かに、結論も判断も概念も同じものにか思えない。

●概念は眠れる魂の奥底にまでおりていき、そこから体にまで働きかける。目覚めた魂(→結論?)は体に働きかけない。夢見る魂(→判断?)はわずかながら体に働きかけ、体の中に習慣的な態度を生じさせる。

●子供時代に親や先生がどんな概念を植え付けられたかで成人の顔から輝きでるもの(人相?)が形成される。子供の時に正しく祈ることのなかった老人は、他の人を正しく、力強く、祝福することができない。

●結論だけが意識的に目覚めた生活の中で幅をきかせる。教育上特に注意しなければならないのは、結論に関わることは、すべて、子どもたちとよく話し合うということ。皆さんが作り上げる概念は死んでいる。生きた概念が必要で、有機的に人生そのものと共に変化を遂げる。

●歯の生え変わるまでの子どもにの生活には「世界は道徳的である」という無意識の前提(過去)。思春期までの時期は「世界は美しい」という無意識の前提(現在)。思春期になってはじめて「世界は真実でなければならない」と感じる素質が前面にあらわれる(未来)。

●思春期以降に授業は、体系的、学問的な性格を取り扱い始める。

(所感)
「羊飼いの子犬と、肉屋の子犬と、クッションの上の子犬とを扱った物語」と「ホフマン・フォン・ファラースレーペンのスミレの詩」が知りたいとおもったら、「教育芸術1」と「教育芸術2」を貸してもらえた。今年はこれで終わりで次回は年明け2005-1-14までないのでそれまでに読みたいと思う。(読めるか?一人で?)
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  1. 2005/12/18(日) 00:54:54|
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