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シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

2005-12-8「いか超」勉強会

まず、前回の続きで新約聖書のヨハネ福音書の6章(60~)7章(~53)の読み合わせ
「わたしを捜すが、見つけることはできない。そしてわたしのいる所にくることができないだろう」というのは、物理的な意味か?精神的な意味か?これに関連して主催者の方が以下の部分を思い出したそうだ。

18章(4~)「だれを捜しているのか」「ナザレのイエスを」「わたしが、それである」と言われたとき、彼らはうしろに引き下がって地に倒れた。

なぜ、引き下がって倒れたのか?よくわからない。よほど神々しかったのだろうか?


続いて「いか超」の読み合わせ。
P75~P81まで読み進めることができた。
●自分の経験の中から、要求している人物を思い浮かべる。欲求がもっとも生きいきしており、その欲求が満たされるかどうかわからない時期を思い出す。それに沈潜して集中し、ひとつの感情がわき上がる。普通は虚しい繰り返しをするが忍耐強く何度も試みる。その感情を自分の魂で体験できるようになれば、欲求という観察された魂のいとなみのいわゆるアストラル的な姿を感じられるようになる。感じられても誰にもしゃべらず沈黙して続ける態度が重要。

●自己を肯定しようとするすべての人間の意思を無制限に評価し、その意思を人間に内在する聖なるものと見れるように自分を教育すること。畏れと恥じらいの感情でみたされていなければならない。

●危機に直面しても「私が今不安を感じたとしても何の役にも立たない。不安を感じてはいけない。何を為すべきか、だけを考えればよい」

●勇気と大胆さがなければならない。失敗をおそれてはならない。「また失敗してしまった。しかしそれを忘れてしまおう。そして何事もなかったように、新しい試みを始めよう」

(所感)
後半は分かりやすい言葉であるだけ、違う解釈ができそう。欲求している人に沈潜するのもやってみよう。虚しい繰り返しになるかもしれないが。前回前々回の種や遡行は、するのを時々忘れる・・。今年の「いか超」はこれでおしまいで来年に再開。
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