「精神の自由、法の下の平等、経済の友愛」を理想とする社会。
さらに、精神・法・経済(貨幣経済ではなく交換経済)がそれぞれ独立したものでなければならないとしている。
よくよく考えてみれば、当たり前のことかもしれないが、現実社会は逆なことも多い。
●やりたくもない、または必要とされていない仕事をお金のためにする。→「精神の自由」がない。お金と精神が独立していない。
●対等であるはずの人間関係がお金や身分で変わる。→「法の下の平等」ではない。お金と法が独立していない。
●経済は、同じ価値のものを交換することが前提なのに、お金や物を移動させるだけで、価値が上がったり(お金が増えたり)する。→「経済の友愛」ではない。お金がお金を生んでいる。
最初、現状の資本主義経済で一番難しいのは、「経済の友愛」かと思ったが、「精神の自由」だと思う。
「精神の自由」というと、
・教育の国家から解放や
・教育をいかに経済から左右されないようにするか
が重要らしいが(シュタイナー教育からシュタイナーを知った人が多いからだろうが)、それよりも、日々の生活の中の「精神の自由」が一番重要だと思う。自分の人生にとって、何がしたいか?何が幸せなのか?何が楽しいのか?が分かっていない。さらに言えば、「自由」とはなにか?さえ分かっていないのではないだろうか・・。
参考:
未来の社会実践されている「経済の友愛」以下はシュタイナー的に言われていること(勝手に解釈しているところも)。
●国家が教育の方針を決めることがおかしい。
(→教育に関わる先生や親などで自主的に決める)
●経済を調整するための法律はおかしい。
(→経済は同じ価値のものをただ交換する。)
●労働時間で金額が決まるのはおかしい。
(→労働時間ではなく、労働によってできたものが社会的にどれほどの価値が発生したかで金額が決まる。逆に価値のないものにいくら労働時間をかけても価値はない。
大企業は、価値のないものでも、作ってしまったものはCMや営業で価値あるものと思わせて売ってしまう。
シャンプーがよい例である。)
(間違っていたら修正する、他に思いついたりしたら、追加する。以下はメモ。)人体の中に精神活動に関わる頭脳=神経系
物質活動に関わる代謝=運動系
両者の動きを相互に調和的に結びつける呼吸=循環系
人体 | 魂 | 社会
------------------------------------------
神経系 | 思考 | 精神生活における自由
運動系 | 意思 | 経済生活における友愛
循環系 | 感情 | 国家=法生活における平等
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- 2005/04/16(土) 20:43:56|
- 地域通貨・経済の友愛|
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コメント:10
あしたの国や、シュタイナーの実践とは、違うけれど、
共通するオルタナティブの実践として、アルゼンチンの
交換クラブがあることを、最近知りました。
http://www3.plala.or.jp/mig/rgt-jp.html何でも、100万人が、地域通貨を利用し、
参加しているそうです。
以下が、原則宣言です。
1.人間としてのわれわれの実現は、貨幣によって条件付けられる必要はない。
2.われわれの目的は商品やサービスの販売促進ではなく、労働や理解、そして公正な取り引きを通じてより高い意味での生活に到達するべく相互扶助を行うことである。
3.不毛な競争や投機を、人間間の相互関係に取って代わらせることは可能であるとわれわれは信じている。
4.われわれの行為、生産物、それにサービスが、市場の要求や消費主義、それに短期利益の獲得以前に道徳や環境の基準に応えるものであることをわれわれは信じる。
5.RGTの会員になるための唯一の必要条件は、グループのミーティングに参加し、品質自助サークルの勧告に沿って財やサービル、それに知識の生産者かつ消費者になることである。
6.各会員自身が自分の行為や生産品、それにサービスに責任を持つ。
7.グループへの所属は依存を意味するものではないとわれわれは考えるが、それは個人の参加は自由意志に基づくもので、ネットワークの全てのグループに適用されるからだ。
8.グループは公式かつ安定した方法で結成される必要はないが、それもネットワークの製作は役割や機能の巡回を意味するからだ。
9.内的事情に基づいたグループの自治と、ネットワークに属するために必要な原則との両立は可能であるとわれわれは信じる。
10.会員として、われわれの基本的な原則を歪曲しないために、RGTとは無関係な主義を金銭的に援助しないことをわれわれは勧める。
11.ネットワーク内外でのわれわれの行動が最高の例であると信じる。プライバシーに関する信頼性と、ネットワークの成長に影響するテーマの扱いに関する慎重さをわれわれは保持する。
12.社会の大多数の持続可能な福祉の結果として、進歩が達成されることをわれわれは心より信じている。
さて、
シュタイナーの社会3層化を、本当の意味で、
実現している状態とは、労働の商品化や、人間の権利、
生存権などの商品化が、廃止され、社会構造全体
そのものが、3分節化されるという事であって、
いかにして、経済の友愛と、精神の自由と、法、権利
の平等を目指すかという、過渡期における問題では、
完璧は、不可能で、妥協せざるを得ない状況や、
矛盾、問題はあると思います。
あしたの国も、その点では、私は、現状は、大して、
期待出来ないと勝手に、思っています。
理想を実現することは、人間があやまちを冒す存在で
ある限り不可能です。出来うることは、理想を目指す
事だけでしょう。
むしろ、大事な事は、貨幣万能と、競争にノーと言い、
永遠に理想を実現しようとし続ける事であり、
期待出来る、もしくは、信じる事が出来るのは、
永遠の改善の努力しかないと思います。
その意味で、大いに?期待しているのですが。
パンフレットや、ホームページが、月並みな、
コマーシャリズムの匂いがするのは、膨大な
資金がいるからと、行政、企業など、社会3層化を、
必ずしも十分理解しているわけではない支援者や、
一般の人にも、広く協力を得るため、あまり理論や、
思想を、MOMO PROJECTみたいに、
前面に出さないという、手法から来ると、善意に解釈
する事も出来るかも。
それでは。
- 2005/07/09(土) 12:07:51 |
- URL |
- Masumi Mori #HPuOlvGI
- [ 編集]
>思想を、MOMO PROJECTみたいに、
>前面に出さないという、手法から来ると、
>善意に解釈する事も出来るかも。
前面に出さなくても、目立たないページに詳しく書いてもよいと思います。(HPはそのような事ができる媒体ですから)。特に、お金を集める場合には後々トラブルになりますから。
HPを製作する際何がむずかしいか?といえば、書く内容がないけど、宣伝したい時です。そのような時にできるページに似てます。(フラッシュでかっこよくごまかすのも常套手段)
理想を目指すことが重要なのには大いに同意します。
ですが、現在、関わっている社会三層構造を目指すと謳っている団体について言えば、代表の独裁政治であり、資本主義経済の会社よりひどいです。
「精神の自由」
代表の意見が全て正しいのでそれに従う。会社と同じ。
「法の下の平等」
みんなで集まって決定を下すとするが結局最後には代表の意見が(しか)通らない。
「経済の友愛」
団体収入に関わらず、スタッフの給料は変わらない。最初に必要な金額の申請やその月の臨時出費などで変わる。一月フルに働いても、ぼぼ無償の人(立ち上げ当初の苦労人)もいれば、全く余裕でもらう人(代表の身内)もいる。労働によってどれだけの社会的な価値を生み出したかどうかには全く関係ない。また、アルバイトは時給。(時給は明らかにおかしい)
一番、かわいそうなのは、勉強している受講生が行事の手伝いしていることです。(受講料を払って、ただ働きです。勉強になる行事ならいいんですけどね。)
- 2005/07/09(土) 14:18:46 |
- URL |
- たわふ #-
- [ 編集]
パスワードをわすれたからか、メッセージの編集削除
が出来ず、せっかく書いたのに、送信ボタンを押した
瞬間、全部、水の泡となってしまいました。
(もうこれで、2回やっちまった)
すみませんが、パスワードわすれたらどうしたらいいのか
教えて下さい。上の醜い失敗削除して下さい。
- 2005/07/15(金) 04:01:43 |
- URL |
- Masumi Mori #-
- [ 編集]
私も何度かしましたが編集はできないようです。
(パスワードも関係ないようです。FC2プロッグのバグですね。)
管理画面でも削除はできますが、編集はできません。
ですので、一度、ローカル上で保存してから、コピ&ペーストすることをおすすめします。(mixiも夜はよく消えますので一度ローカル上での保存をおすすめします)
- 2005/07/15(金) 09:17:00 |
- URL |
- たわふ #-
- [ 編集]
お話の団体は、ひびきの村なのかな?
お話を伺うと、かなり問題ありそうですね。
社会3層化運動団体をつくろうと希望している
私にとっても、他人ごとじゃない頭のいたい
問題です。なにしろ、私の性格は、内向的で、
団体行動があまり得意でなく、孤独を愛する?
ゴーイングマイウェイなもんでなおさらです。
あしたの国も、NPOと、株式会社である以上、
似たような状況になる可能性大かも。
少なくとも法的な決定権はトップにある。
そのつもりなくても、そうしなきゃスムーズ
にすすまないので、結局そうなって行くのかも。
でも、その権力範囲は、あくまで、その組織
内に限られるでしょうけれど。
とにかく、外の、
社会自体が、個人に、ありうべからず、
労働の商品化と、基本的生存権や、その他
自然的権利を商品化することによって、
個人を、精神的にも拘束しようとする社会
である以上、その団体も、拘束された存在で、
陸の孤島にすぎません。その中の
個人も、部分的にそうではない部分をつくれても、
基本的には、あくまで、貨幣の奴隷だと想います。
貨幣という絶対者にさからおうとしている訳ですから、
外の世界から、貨幣に苦しめられると想います。
経済的に、完全に自給出来る都市国家レベルに
ならない限り、そうです。
シュタイナーの三層化運動の方法は、1つじゃ
ないと想います。
MOMO PROJECTのように、オープンに社会のしくみ
全体の改善の必要性と、社会の真理の探究を、
世間に訴える運動。
一粒の麦プロジェクトや、仮想社会ぼらんのように、
閉グループ内で、人間関係と、内部経済を形成し、
部分的な社会3層化の実践の実験をし、その有効性を、
実証しようとする試み。
たわふさんのように???まず、個人レベルで、
実現しようとする試み。
そのいずれもが必要で、それらがすべてではじめて、
実現可能なことだと想います。
どちらの方法をとっても、
眼の前にたちふさがる最大の障害は、
労働の商品化と、生存権や、自然の権利などの
商品化です。
それ以外に、人間の精神が自由でない故の無理解、
偏見と、自己の錯誤という困難もあります。
そして、団体全体は、貨幣の奴隷として
社会的拘束を受けています。
その中の個人も、部分的にそうではなく
出来るだけで、
貨幣の奴隷から自由ではありえません。
結局は、社会全体の構造(労働の商品化)
を変えなければ、
最も重要な社会の基礎がまちがっているので、
どうしようもないのです。
なお、シュタイナーの3層化における
分配システムはどのようなものかという
大問題があります。
個人の貢献度に比例して、たくさん報酬を得る
社会ではなく、能力に応じて働き、必要に応じて
受け取るのが、シュタイナーの目指す真の社会主義
なのかどうかも、重要なポイントだと想います。
私の考えは、イエスです。ただし、それには、
前提条件があります。満足して、健全な生活を
維持する為の社会の果実が、すべての人に与えら
れていることです。
その上で、よくがんばった人におまけは
OK(健全)だと想います。
しかし、過渡期においては、能力に応じて
働くことは出来ても、必要に応じて受け取る
ことが出来ません。それは、その活動をする
人のせいではなく、今の社会構造が修正され
てない事から来るものです。
とても、おまけを出す余裕などありません。
本当は、必要に応じて受け取れる社会先に
ありきで、そこに、能力ある労働者が参加
するのが、一番、無理がない。
しかし、それには、金のある所から、
贈与を引き出す以外に、困難を避ける
道はない。
シュタイナーの3層構造への道は、
右まわりの渦を、左まわりの渦に変えよう
とするようなもの
(奪い合いを、与え合い=友愛に変える
という私の過激な解釈からくるのかも
しれませんが、
少なくとも、経済と精神の関係を
今日の社会と逆転させると言える)で、
一定の自立可能規模
にまで、軌道に乗るまでが、
すごくきつい。
そんな感じです。
ひとつ分配に関する例え話をしたいと想います。
それは、巨大な冷蔵庫は可能か?という事です。
家庭では、一家に一台冷蔵庫があって、ことさら、
貨幣を介入させることもなく、適当に、かあちゃん
が料理して皿に盛って、家族に配る。それで、
普通、多少不公平はあっても、文句は出ない。
最小単位の、友愛社会です。
それでは、町のあちこちのレストランが、いっせいに
3000年xデイから、無料無制限開放されたと想像して
ください。貨幣のない国の、巨大冷蔵庫です。
人間の腹におさまる量は、無限ではないこと。
十分な全体量があるという安心があることにより、
超人気店で、多少みにくい争いはあったにしても、
さしたる問題も無く、平和裏に
Xデイの夜は更ける可能性は
ありえない事でしょうか?
私は、ありうると想っています。
ただし、それには、友愛の精神と、信頼、安心が、
人々の心を満たしている必要があります。
うまく行くという保証はないけれど、うまく行かない
とも言い切れない。うまく行くと信じることが出来ない
と、本当にうまく行かない。うまく行くと信じることが
出来ると、うまく行く。これが、社会問題につきまとう、
心のからくりだと想うんです。
性善説が信じられないと、不信が不信を呼び、世の中
本当に性悪になる。逆もまた真。
平和の実現も、結局は、同じだと想うんです。
信じるものは救われる。だけど、信じて裏切られることも
ある。
裏切られ続けている人間は、にわかには、信じられない。
その不信感が、最大の敵なのかも。
だから、私は、信じることができないので、
地域通貨の導入など、貨幣の導入を考えてますが、
たぶん、人間次第では、巨大な冷蔵庫も
可能なのかも知れません。
シュタイナーは、言っています。
貨幣は、単なる符号である。
貨幣は、悪で有り得ます。
貨幣が、人々の交換を容易にするのでなければ、
いささかも、興味を抱かないでしょうと。
社会のしくみとは、すべての人の義務です。
他の人すべてが義務を果たさない社会で、
あなたが、義務を果たすなら、
義務を果たそう、
生かしてあげましょうなどと言う
社会は、よってたかって、個人を
脅迫しあっている社会であり、
本末転倒です。
そんなことをする権利があるのは、
自然だけです。
成果主義は、今の社会が、
仕事の動機が、仕事そのものではなく、
報酬の為という考えも混じっている事
から来るものです。
自給自足の時代の考え、
人間と自然の関係から来る考えであって、
いまだに、分配では、
人々の意識は、自分と家族の
ためだけに働いているのです。
仕事する時は、他の人の為に働いているのに。
このずれが、家族と、家族を不毛な生存競争関係
においています。地方と地方、国と国も同様です。
すべての人の労働によって、個人が生きている時代
なのに。
労働の商品化と、資本主義的家庭間競争社会を
やめない限り、貨幣生存競争は、
解決し得ない問題です。
大事な事は、シュタイナーの3層化区分では、
人間個性から流れ出て、外に向かって働きかける
ものである労働は、いかなる分野のどんな労働でも、
精神分野(人間活動分野と呼ぶべきか?)
であり、労働や生存権が商品化され、
経済に組み込まれてはいけません。
経済は、自然から人間に流れ込むもので、
全然起源が違うからです。
分配は、経済、精神、法の3種ありますが、
少なくとも、健全な生活を
営むに必要な物資やサービスや自然の分配は、
生存権や人権に関わる、人間と人間の権利関係、
である法の分野に関わる問題です。
自然自給経済の時代は、終わったからです。
それ以外の補助的なものだけが、例外的に、
損得勘定のみで取引されても、あまり害を及ぼさ
ないでしょう。
分配(社会から何を受け取るか)は、労働(社会のために
何をなすか)とは、全く別の次元の、人間と人間の関係の
問題です。
人間は、他の人すべてに依存して生きているのです。
何をいまさら、肩肘はって、自分ひとりの力で生きている
ような顔をしなくちゃいけないんでしょうか?
ひょっとしたら、そう思い込まされているだけでは
ないでしょうか?
シュタイナーは、人間が他者に依存すればするほど、
健全な社会になると言います。
もし、多少の不公平があっても、人間の尊厳を持って、
物心ともに十分に満足して生きていける社会状況、
つまり、精神の自由を与えられれば、
つまり、3層化が、実現すれば、
人間は、衣食足りて礼節を知る環境の動物であり、
自然に、そのようなあたたかい
信頼出来る社会(他の人)のために、役立ちたいと想う
はずです。
以上が、シュタイナーの三層化の私の理解の概要です。
労働の商品化が最大の問題だと、私は
想っています。3層化の実現を、コミュニティで実現する
には、労働の商品化から自由な、人間の尊厳を持って、
物心ともに十分に満足して生きていける社会状況づくり
が、なによりまず、先決、出発点だと想います。
そのような、精神(労働)の自由を人間が持てる場づくりが
必要だと想っています。
精神を、経済から切り離すことです。
本当は、社会構造を、そう改善するのが先決なんだけれど、
出来ていない。そんな状況で出来ること。
(たわふさんから、人間の、私の精神の自由のための努力がまず、
先に必要で、それからではないかといわれそうですが。)
精神を、経済から切り離すこと、
それをどうするかのひとつの答えが、一粒の麦なんですけれど、
現在の、修正されていない社会構造では、
また、自分がお金持ちでないので、
その実現のためには、左まわりの渦のお金のある所から、
善意に頼って、引き出し、それを、右まわりの渦に変えてやる
しかないと想ってます。そして、右まわりの渦の有効性が、
分かれば、実証できれば、人々も、別の可能性の存在を、
信じることが出来るようになるかも知れません。
現在の私の、その組織での意思決定はどうするかについての案は、
何々の世話人以外の役職は、つくらない。上下関係はつくらない。
命令の禁止。お願いのみ。
専門性を要する場合、皆に選ばれた専門家(世話人)の間で決め、人々に問う。
(分配をいかによくするかも、分配の世話人の役目。)
専門性を有しない場合、皆で決める。
自由意志の尊重の大原則と、上記の意味での平等の大原則と、経済的友愛の大原則
さらに、自己責任の大原則。に基づいて判断する。
少数意見の尊重。
能力不足の人の為の、職能教育。
ぐらいです。
さらに、将来は、使用権(賃借りになる)契約による耕地と住居の、
無料提供の実現を目指すなど、道は、はるかに遠い。
と言っても、対外的には、赤字にならざるを得ないので、
これまた、人々の善意ある贈与に頼るしかないが。
結局、対外的に商売をして、儲けるか、贈与に依存せざるを得ない。
商売は、私の場合、今の所無理または、いやなので、
贈与した人の損を出来るだけ、軽減するため、相互贈与の規模が、
一定(会員数最低100~出来れば600)欲しい。
そのように考えると、このような企画を実行するには、私は、全く、
不向きだといわざるを得ないが、また、人々の善意に頼ってばかりの
虫のいい話という批判は、まぬがれないが。
その批判をすこしでも、やわらげるため、パソコンのボランティアは、
他の人にまかせて、仕事以外の時間に百姓しようと、現在考慮中。
この企画が実現するなら、この世も捨てたもんじゃないとは
言えるでしょうが、果たして、どうでしょうか。
世の中そんなに甘くないという声が、どこかからきこえてきそうだ。
まあ、やるだけ、やってみよう。
mixiありがとうございました。
それでは。
- 2005/07/15(金) 21:01:06 |
- URL |
- Masumi Mori #sbYh2q36
- [ 編集]
団体は正解です。(あまり名指しで悪口もよくないかと思いまして)
私の考えでは、半農半Xですね。半分農業と何か現金収入になることですね。
個人レベルで「精神の自由」をまず実現して、それで、なんとか食えるぐらいの収入を実現できれば、家庭という共同体では三分節化はされるかなと思いまして。
後は、似たような人集まれー!とすれば、一番早道でないかと思います。
当面の目標は、やりたいことで儲けることですね。やりたいことは、Web関連と思っているが、それが合っているのか?よく分からない・・。
- 2005/07/15(金) 22:06:04 |
- URL |
- たわふ #-
- [ 編集]
>同じ価値
価値は人により違うと思います。人の欲が価値を高めてしまうのかな。
- 2011/07/20(水) 10:17:54 |
- URL |
- 名無し #-
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>経済は、同じ価値のものを交換することが前提なのに
ここの「同じ価値」のことですね。
人によって違う価値でも同じ価値だと思うものを交換するということです。お金が介在しない物々交換だと分りやすいのではないかと。(お金が介在してもできなくはないですが難しくはなりますね)
人によっては、自分の書いた絵が何百万もすると思うなら、何百万もすると思う車と交換する。その交換する相手は、所持するその車をただ同然と思っていて、絵もただ同然と思えるならば、交換に応じることができるということです。それぞれ違う価値であってもそれぞれの価値に見合うものを交換するということです。
経済という言葉を使うのが不適切かもしれません(経済という言葉も人によってそれぞれの意味・価値が違うので)
>人の欲が価値を高めてしまうのかな。
個人間ではそうゆう面もありますね。一般的には需要が高まれば、システムとして勝手に高い価値になってしまうというのが現状の経済で、そうすることによって、調整されているので、需要の高まりを調整したほうがいいと思うのですが、価値によって調整されてしまう。(需要を調整するほうが難しいのは確か。需要自体も本当に需要なのか?作られた需要ではないかと思われるものもありますが)
- 2011/07/20(水) 12:00:15 |
- URL |
- たわふ #-
- [ 編集]