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シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

聖なる十二夜 五日目(12月29日=2008年5月)

聖なる十二夜 五日目。細かいことはヨメの日記に任して、個人的に感じたこと。

ちょっと遅めの起床。若干、頭が痛いが寒気はしない。ちょっとだるい程度。

天気は、暴風雨。雨の量はそれほど多くないが風がすごい。

今日は、朝から仕事のお客さん、と言っても知り合いが年賀状を作ってほしいとの依頼で、お客さんが来たと子供に言われ起き上がる。

毎年この時期に、年賀状を依頼されるので、慣れたものだろうっと思っていたら、今年はお客さんPCから写真データを取り出して私のPCにいれなくてはならない。別途、毎年のごとく、カメラの記憶メディアもあるので、それは難なくできた。

PC同士の移動でSDカードでしようとすると、なぜかお客さんPCは認識しない・・・。おかしいな・・・(この四苦八苦だけで1時間は過ぎた・・・)。しょうがないのでカメラ分だけで年賀状を作ることに。

また、なぜこんな暴風雨のときに、PCを持ってきたかというと、前々より、InternetExplorer(IE)で日本語入力が出来ない状態が続いていたためそれを改善したくて、年賀状作りのときについでに持ってきたのだ。このIEで日本語入力できない状態はネットで検索すると結構知られた不具合らしい(私のPCや今まで会社でも起こったことがないので知らなかった)。だが、これで直ったと書いてあったり、これで直ったと書いてあったりで、改善方法がマチマチなのだ。結局、なんらかのソフトが悪さをしているということなんだろうけど、これを調べるのは大変であることが分かる。なにせお客さんのPCはもらい物らしいのだが、すごくたくさんソフトが入っているのだ・・・(お客さん自身は多分使いこなしていないものが多数あると思うけど、勝手に消すわけにもいかなし・・・)。

レイアウトや写真選択などをお客さんにある程度してもらい、私が調整し、文字なども入れ完成させ、年賀状85枚印字した。

なぜか、この仕事、毎年のことなのに、長引く・・・。必ず、お客さんにご飯を食べていってもらうような時間になってしまう・・・(これは多分、ヨメがそうなってほしいなっとひそかに願っているからではないかと思ったりもする。大勢の食事がすきだし、私が作業している間に、お客さんとおしゃべりが出来るからだろう)。

昼飯は、昨日の残りもの(おかゆやもちきびシチュー)を使ったモダン焼き。(ヨメもお客さんがたくさんいるときにチャレンジャーな・・・)

昨日、お泊りした子供もお客さんについでに送ってもらい(みんな知り合いだから)仕事はなんとか終了した。この暴風雨で、お泊りするために我が家へ持ち込んだ布団を持って帰れないので置いていくことに。

昨日、温泉に行こうと言ったので、ヨメは行きたくてしょうがないようだ。私も行きたいのだがこの暴風雨で行くのか・・・と躊躇していたのだが、仕事も終わったし、この暴風雨なら日帰り温泉客が少なくて快適だろうと思って行くことにした。

予想通り、普通ならこの年末時期、日帰り温泉客が多いはずがガラガラ。私たちが到着と同時に二台の車が帰るのを見た。あと1台だけ車があるだけなので、すいているはずだ!脱衣所に着くと、やはり一人しか先客がいない。ラッキー!

今日来たのは、蟠渓温泉。私の中では、非常に身体的に疲れている時に来るとすごく気持ちよく、なんかあがったあと、身体のこわばりがすっきりする感じがあって、この近所では一番お勧め。だが、メジャーな旅館がないことや温泉の規模が小さく昔のままの地域住民の温泉なのであまり有名ではない。だが、平日でも結構日帰り客がいて混んでたりする。

いつも、蟠渓温泉に行くときは露天風呂のあるちょっと値段高めのところにいくのだが(値段高めのため地域住民があまり来ないのですいている)、今日は、疲れた身体を癒したいのが大きな目的で、露天はない(暴風雨なので関係ないし)、源泉に一番近いとされているところへ行く。蟠渓温泉のデメリットはたくさん人が入っていると、効果が薄くなるのが顕著にあらわれることだ。あくまで個人的な意見だけど。(一般的にどこの温泉でも、混んでいると効果が少なく感じる。温泉の通な人は必ず、温泉噴出し近くを陣取って浸かっている。)

この暴風雨は我が家へのプレゼントなのかも!と思った。

だが、蟠渓温泉は規模が小さいので浴室も小さい・・。それでも、湯船に詰めれば10人は入れる大きさだし、カランは5つぐらいある。でも洗い場と湯船を合わせた浴室は正方形なレイアウトをしているのだ。なので、3人以上いればそんなに気にならないのだが二人きりだと、どうしても、お互いを意識してしまうような狭さというか位置関係というかそんな状態なのだ。カランで身体を洗っていても、鏡に湯船に浸かっているのが目に入ってしまうし、逆もまた同じである。かといって、なにかしゃべることがあるかというと何も思いつかない・・・。そんな状態・・・。体調は万全ではないので鼻詰まりが酷いので、普通なら、おもっきり音を立てて出して水で流すのだが、それも、控えめに・・・・。普通なら、湯船であったまった身体を冷水を浴びて冷やしたいところだが、冷水が跳ねて、もう一人の人にかかるようなかからないような微妙な距離なのでこれも控えめに・・・・。と、温泉は予想通りよく、すごくすっきりしたのだが、あまり気兼ねなく、入ることができず残念であった・・・。

温泉からの帰る車の中でふと思った。もしかしてあの人は、行政書士だったのかもしれない!ほんとかどうかは分からないけど、なんだか、私よりだいぶ前から温泉に入っている割には私より早く出ようとしないし、私が出て脱衣室で着替えていたら、出てきた・・・。普通なら、脱衣室に人がいるときにわざわざあがらないでゆっくりしているだろうに。それか、私が出る前に出ると思うのだが・・・。(やはり、行政書士だから、話しかけろという神のお告げだったかもしれない・・・。と、軽い妄想)

夜飯は、白菜・もやし・春雨・厚揚げの鍋。(白だけだ)

夜、ヨメが息子を寝かしつけてから、ヨメと議論
シュタイナー的に考えると「日本アニメは世界を救うのでは?」という私の持論(あくまで私の独断的な持論)。「シュタイナー学校として生徒確保(人集め)が常に重要な目標になっているのはどうか?」とか「別居して母親単身で来てシュタイナー学校に通わせている父母の割合が多いのはどうなのか?」など喧嘩をしながら話す。

その中で、「シュタイナー学校の運営が父母というのはおかしくないか?」ということから、先生だってシュタイナーを完全に理解しているわけでもないのに父母がある程度理解していることは少ないだろう。運営がシュタイナー的になる可能性はなく、超資本主義(お金をもっちいる人によるワンマン)になるか、超共産主義(みんなできめようといいながらまとまらない)になるかのどちらかになる。その上、ほとんど母親がメインになっている。会社での仕事経験などで一人で一から十までしたことがある母親がどれほどいるか?資本主義的にも、まともにすすむ可能性が少ない(シュタイナー的には、女の思考は精子的で、男の思考は子宮的で、女はあちこち飛び回る思考で、男は一つのことにこだわる的な傾向があるという。そこから考えても進みそうにない。)。どう考えても、組織やシステムがある程度できるまでは、先生主導でするしかないと思う。そうなると、経済的には、先生というのは、父母に雇われた人という立場なのに、運営の方向性はきめてしまう立場になってしまう。雇われ人(先生)が社長みたな感じになり、父母(社長)が、シュタイナーを知っている先生のおっしゃるとおりというような関係になるのだが、その上、運営が父母と位置づけられると、学校の雑務を父母がしなくてはならなくなる。先生(雇われ人)の雑務を父母(社長)がしなくてはならないのだ。要するにシュタイナー的な要素(授業)以外のところはすべて父母がしなくてはならない・・・。シュタイナー学校の父母になるということは、子供の教育を人質に、先生の奴隷になることを意味している・・・。

以上のこと以外にもたくさんおかしなところがある。なぜなら、父母は当然、先生もシュタイナーを完全に理解していないからだ(少なからず日本人で完全に理解しているっと宣言している人は少し疑ったほうがいい)。分からないもの同士があーだこーだといってやっているにすぎない。一人でも結構理解している人がいればいいのだが・・・いや、いるとその人の独裁政治になる・・・。

何が言いたいかというと、理念がないんだよね。
「いか超」(P33)「如何なる理念も理想たりえぬ限り魂の力を殺す。しかし如何なる理念も理想たりうる限りはすべてあなたの中に生命力を生み出す」
現状の理念は「シュタイナー教育を正しく実践」みたいなものらしい。(これは理念か?死んだ概念ではないか?だから生命を生み出せない。継続が困難になってくる)

理念というと、理想的な目標みたいなイメージがあるけど、シュタイナー的には違うような気がする。(日本語って一語一語の意味が分かりにくい。ドイツ語は分かりやすいみたい)

たとえば、シュタイナー本を読む勉強会をしようとする。生命を生み出すいうことは、継続して増殖していくということだから、1回・2回で終わるわけではなく、長く続き、人がどんどん増えるか、何らかの知識や経験が増えることになれば、その勉強会の理念がよいということだと思う。3年ぐらい続けた「農業講座」の勉強会。よく3年続いたなあと思う。これのおかげで少なからず知識や考え方が身についた。最初の目標は、「シュタイナーを理解すること」だったと思う。が、そのように思って参加した人は全く続かない。途中で、「ただ読み続ける」という目標になった。そう思ったため長く続けることが出来た。理解することにこだわる人は二度と来ない。多くの人にとって共有できる概念(理念)を持てれば長く続けることができるのではないかと思った。この勉強会の理念は、「二人以上いれば、分からなくても読み続ける」(あとは、思ったことを駄弁っていてもいい)という簡単なものになっていた。理念というと、日本語では、理想的な目標みたいな気がするけど、「自由の哲学」で「理念とはより内容豊かな、より飽和した、より包括的な概念であるにすぎない。」(P74)とある。概念は、普段は個別な概念が多いけど、多くの人に共有できるような概念ならば理念といえるのではないかと思う。なので、「シュタイナー教育を正しく実践」という理念は、シュタイナーを理解していない人には全く理解できない概念であるため、死んだ概念というしかない。(共有できないという意味でも死んだ概念だが、先生一人だけの個人的な理念としたとしても、死んだ概念である)

理解もしていないのに「シュタイナー教育の正しい実践」などと言わなければいいのに。(理解をしていないから言うんだろうけど)

・・・・こんなに考えても・・・終わりのないことだ・・・終わらないといことはまだつめがあまいのだろう。

年賀状作りのとき、お客さんPCから私のPCへデータを移すのに、外付けHDDをつければ簡単に出来たと布団に入ってから気づく。「無駄に時間がかかってごめんなさい」と思いながら、温泉後の暖かい身体のおかげで久々に寒く感じずに寝れた。

気温もそれほど寒くなかった。

[2008年5月予想]
仕事も余暇もあり、なんか順調なのかも?シュタイナー的なことで議論することが増えるのかも?

暖かい春になりそうだ。

[2008-8-16追記]
暖かい春と初旬の数日には思ったが、全体的には、寒い、春であった。かっこうは早く鳴いたが、遅霜が強烈だった。知り合いの農家では、ハウス内のトマトが全滅で植えなおししていた。シュタイナー的議論はしていないかも?臨月前関係で、色々相談はしたかも?(車検とか早くしたし、検診も)ちょっとハズレっぽいかも?
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