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シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

岡田茂吉における宗教と芸術

水声社のカタログには載っていて気になったため図書館で借りてみた。
岡田茂吉における宗教と芸術」高橋 巌(著)
を読んだ。(Amazonをみると絶版状態なのだが、水声社のカタログには載っているけど)

高橋 巌さんが世界救世教の人たち向けの講演会の内容。よく岡田茂吉のことをご存知である。宗教芸術についてがメインであるが、普通の日常にも関係しそうなところや知識的なメモを残しておきます。

「黒と白の境目を眺めた時に、そこに初めてくっきりと美しく、黄と青の色が浮かんでくることがわかったんですね。」P37「それで霊光が現界に姿を現わす時、最初のその現われはなにかというと、ゲーテが大発見したんですけども、それは黄と青という二つの色彩なのです。」P38
→よく、
背後に闇がありその手前に光がある場合、青
背後に光がありその手前に闇がある場合、黄色
との知識があるのだが、まぜると、緑色になるというのは、当たり前だが結構びっくり!(「農業講座」で、花の色が惑星に関係しているということと、緑は太陽に関係しているということが書いてあるので)

「地上に現れた緑色が霊的な方向にゆくと、青と黄色に変わります。そしてその青と黄色をもっともっと強めてゆくと、それが両方とも赤になっていゆくんです。」P42
→これもびっくり!(青・黄・白・赤は惑星と関係あるんだけど、白がどうなっているのか??)

「ゲーテのように考えると、色の世界というものは円環をなしていて、それ以外の色はないわけです。」「そこでは、緑が一番おだやかな世界で、赤が一番活発な世界です。」P44
→以下補色の色が、赤・黄・青から出てきて六色が基本色とのこと(文章が長いので色のところだけを抜粋)。
赤→緑
緑→赤
黄→紫
紫→黄
青→橙
橙→青


「対称的思考こそが芸術の方法だ、と言いました。」P47「一人一人がまるで芸術作品のように、私たちが展覧会場に行って、ちょうど一枚一枚の作品を一生懸命心を開いて見るように、一人一人の姿をかけがえのない絵画の作品、一人一人の語る声を音楽の作品のように一生懸命耳をかたむけたり、ひたすら相手を見たりしてゆきますと、その雰囲気というのは、芸術的な雰囲気になっていきます。またそれと同時に、互いにその人たちがどういう生き方をしているかが見えてくると、それは一つの新しい科学、つまり認識が育って来て、人間性に対して人びとの心が開けてくる、ということになってくるんですね。そういうことをゲーテは「対象的思考」といったのです。」P52-53
→対象的思考をしたいものです。努力すれど、身内にはなかなかできないです。

「光とそれから熱もしくは愛というのは、神が人間の方へ向って働きかけるときの在り方であると言えると思います。」「それで神の力が地上に働きかける意志の表現は、光であると共に愛であり、しかもそれを受ける私たちの行為は芸術である、ということになってくるわけです。」P54「生活を芸術として形成するのであれば、私たちの日々の生活が神様に対する感謝の表現であるということになるのです。」「生活芸術というのは、何より人間と人間の関係ですから、それは人間関係の芸術でなければいけないわけです。」P55
→生活芸術は人間関係なのか・・。生活スタイルとか日常の動き方とかもある気がするけど・・・。

「それは私たちが感情を思考の方向に向けると常に反感が育ってくる。私たちの感情が意志の方に向ってゆくと、共感が育ってくる、ということです。物を知的に考えてゆく時、その人自身は習慣的に楽しくやっているかもしれませんけれども、しかしその人の生命力は消耗してゆくんですね。消耗してゆくことによってだんだん死のプロセスに近づいてゆく、ということも出来るわけです。そして私たち自身の感情は、それを無意識のうちにキャッチして、反感という形で気分となって、現われてくるんですね。」P119
→あちゃー!私は死に向っている・・・

「観音様の働きは子の働きで、それは一人一人の人間の意識を明るくして、人間の意識の中に善の力を植えつけるために存在している、ということになります。ヨーロッパではこの働きを「ミカエル」と呼んでいます。」P156
→シュタイナーの言う大天使や天使も、日本の神様としてよく親しまれている名前になるのかもしれない。

「そしてこのアストラル体を普通私たちは何と呼んでいるかというと、「龍」と言っているんです。日本には龍神及び龍神界についての偉大な伝統があります。龍は様様な姿をとります。不安にかられたり、権力欲のとりこになったり、アストラル体が非常に曇り、真黒になりますと、黒龍に変じ、激しく怒ったり、利己主義のとりこになったりしますと、赤龍と化します。情念が非常に浄化されると、次第に白龍に近くなってゆきます。ところが黒龍から白龍までの龍の働きは人間のアストラル体の働きそのものを映していますけれども、もし私たちの心の中の自我が観音様の働きを受けまして、善なる力を行使し始めますと、この黒龍から白龍までのアストラル体が、だんだん目に見えない形で、ごく僅かながら、何億分の一かずつ変化してくるのです。そして観音様の働きを自分の中に取り込めるようになってくるのです。そして観音様の働きを取り込むたびに、私たちのアストラル体の、つまり龍体の一部が輝き始めます。そして完全にアストラル体が黄金に輝くようになった時、その龍を金龍というのです。」P162
→ミカエルといいアストラル体といい、日本の古来の言葉に変換してシュタイナーの本を読んだら、結構普通に神道の教えになりそうな気がしてきた。アストラル体が龍というならば、ドラゴンボールも、単なるお話だけではないのではないかと思ってしまった。ドラゴン(龍)がもつ7つの玉(ドラゴンボール)集めると、3つ願いが叶う。ドラゴンボールは金色だったりする訳で・・・。ドラゴン、7、3、金色・・・

「そうしますと、観音様の働きは、同時に教育の行為にも直結しています。それから芸術的な行為も、同時にそのための重要な働きになります。地上の進化と芸術と観音力の働きとが一つに結びついて存在することになってまいります。そしてこのことを実現するのが、救世教で言われている「地上天国」なのです。その地上天国の一つの型を教祖は箱根のお庭で示されました。」P170-171
→箱根、強羅の地にある「神仙郷」の庭園らしい。一度みてみたい。

「四大の霊というのは、それぞれに異なった世界、鉱物界と植物界、植物界と動物界、動物界と人間界という互いに異なっている領域の中間の部分に存在すると言われています。その中間地帯でそれぞれの霊たちが集まって、救済を待っているわけです。大きな石に苔が生えている部分というのは、霊的な働きのとても感じられる場所なんですね。そのに水が流れていますと、その環境は霊的に一層高まります。その環境が四大の霊が救われる環境なんですね。そういう四大の霊が救われる環境が更に芸術を通して一段と高められているのです。」P171-172
→日本の庭園って、霊的に高いんだ・・・。今度京都へ行ったときはそのような観点から見て見ようっと。外人にとってはそれは新鮮な感覚で感じられるのだろうなあ。だから京都は外人に人気あるんだ。日本人だと当たり前過ぎてなんとも思わないけど。
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  1. 2007/12/14(金) 00:26:18|
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