シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

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千年紀末の神秘学

千年紀末の神秘学」を読んだ。結構、気分転換になる。

●「シュタイナー哲学入門」に詳しく書いてある哲学者フランツ・ブレンターノの「魂の主要な働き」は、「思考」「感情」「意志」ではなく、「表象」「判断」「愛と憎しみ」であり、「魂は、他との関連の中においてのみ、みずからの存在する根拠を見出すことができる」「もし信じる対象、愛する対象、あるいは思考する対象がなかったら、魂の存在する理由はどこにもありません」
→思考・感情・意志を基準に考えてしまうと魂の理解が出来ないようだ。だから、いままで理解できなかったのか・・・。まだ、理解できていないけど(「シュタイナー哲学入門」を読まねば)。「魂」と「心」の言葉の使い方が微妙に納得できていない。「芸術と美学」での「魂」と「心」の表現が微妙に違う感じを受ける。

●「完全な理想社会がこの世に存在しうるというのは単なる幻想にすぎない」
→ガーン。神秘学的には、そうかも。やっぱり・・・そうだったか・・・という妙な納得がある。

●「ヨーロッパ社会の本質は「憎しみ」の上に成り立っている社会だ」「人類の文化の発展は人類に幸福をもたらすためにあるという考え方は、シュタイナーによれば悪魔の誘惑なのです。人類が幸福を求めて生きていくと、必ずそれは生存競争になり、勝つか負けるかになり、受験戦争のように誰が生き残るかという人間関係になってしまうのです。」
→日本近辺は「愛」の上に成り立っているらしい。でもそれだけでは、自我が育たない気もする。「愛」と「憎しみ」を両方織り交ぜたものが必要なのだろうが、現在は、ヨーロッパの考えに偏っているので問題が多いのだろう。

●「自我存在の本質が、他者に対して破壊的、否定的な態度をとることに依存している。」
→「破壊のるつぼ」という言葉は、「内面への旅」で読んですごく印象に残っている。「いか超」の境閾の守護霊部分を読んでからだと、なんとなく分かるような分からないような・・・。「内面への旅」をもう一度読まないと・・・。

●外来の民族に会う。意識魂の中で
感覚魂を生かす民族、イタリヤ人やスペイン人
「そんな奴は知らない」
悟性魂を発達させているフランス人
「礼儀を知らない奴だ」
意志魂的な態度のイギリス人
「あいつはライバルだ」
なんとか自分を確立しようとしているドイツ人
「敵だ」
→シュタイナーがこんなたとえを出している講演を読んでみたい。シュタイナーはヨーロッパしか例えをだしてないので日本人はどうなるかわからないが、著者は、霊我の民族なので「お客さんだ」と思うハズらしいが、ヨーロッパ的になった近代では、どうだろうかと疑問であるとのこと。たしかに、昔ならそんな感覚だっただろう。

●「シュタイナーの本を読んでみて読みにくいと思ったら、読みにくいのが当然で、シュタイナーはあえて読みにくい文章を書いたのです。」
→やっぱりそうだったのか・・。読むことが訓練なわけだ。シュタイナーの著書は、読む気にならないというか読むと眠くなるので、ついつい講演を読んでしまう。

●「晩年も、シュタイナーは、自分がもし東洋で生まれていたら、まったく違った人智学を考えただろう、といっていました。」(P103)
→やっぱり、ヨーロッパで実践されているそのものをそのまま真似するのは、シュタイナーの本質を分かってないということなんだろう。日本には日本のやり方があるはずと常々思う。

(所感)
シュタイナーの著作や講演以外の、日本人によるシュタイナーの見解を読むのは、面白い。最近、思うのは、訳本でも、シュタイナー自身のではなく、シュタイナーの考えを引き継いだ人の本の方が、取っ掛かりとしては、よいのではないかと思う。最終的には、シュタイナーの本を読むことにはなると思うけど。
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  1. 2006/10/17(火) 23:10:22|
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