シュタイナー教育の本は、ほとんどが、7才までの本で占められている。
それだけ、7才までが重要だということを表しているとは思う。しかし、我が家の息子も今年、小学校2年生になるので、もうそろそろ、「9歳の危機」に関することも読まねばと思い、遅ればせならが「
9歳児を考える」を読んだ。9才前後を主体として書いた本といえば、他にないのではないかな?「
子どもの叱り方」もそうなるかな。(シュタイナー自身の本では、7才以降の本が多いので、敢えて7歳以降の本を出すのは畏れおおのかも?翻訳されていないだけ?シュタイナーの考えを受け継いだ後生の人たちの本では、7才までの本が多い。。7歳以降の本も書いてほしいなあ。。本当に理解していないと7歳以降の本は書けないのかもしれないけど)
シュタイナーにはまり出したころ、やはり最初に読むのはシュタイナー自身が書いた本や講演録を読んだ。さっぱりわからない。教員養成で絶対読む本である「
一般人間学」。。思い出しただけでも読み返そうとは思わないけど、一番読まなければならない本だとも思う。
「一般人間学」のなかで、分からない図がある。
頭が丸
体が三日月
手足が線
読んだことのある人は、一発で思い出すだろうけど、読んだことのない人は、意味不明だろう。
分からないというのは正しくないかもしれない。応用できないというほうが正しいか?簡単に言ってしまえば「だから、これで、何がわかるの?何が言いたいの?」ということだ。
他に、
頭は目覚めていて
身体は夢見ていて
手足は眠っている
目覚めているってどういう意味?「目覚めている」という言葉以外に「目覚めている」こと自体の説明がない。翻訳の仕方がおかしいんじゃないかとも思った。
さらに、
動物は水平の意識
植物は人間とは逆で下へ向う垂直の意識
人間は上に向う垂直の意識
(これは別の本だったかもしれない。表現もこの通りだったかは定かでない)
人間は垂直の意識があるから垂直に立つことができるらしい。動物だって垂直に立つものもいるじゃんとか思ったり。
あと、よく言われる、小さい子は、世界と一体になっているという表現。これもピンとこなかった。
そんなもろもろの疑問が「9歳児を考える」で分かるようになるのではないかと思う。分かるというと大げさだが、今まで、一言ですんでいたこと(「目覚めている」とか「垂直の意識」とか)を、言葉を変えて表現されているので、分かりやすいということだ。
9歳前後のことが分かれば、7歳以下もより深く分かると思うし、多分思春期以降についても理解しやすくなると思う。(思春期を主体とした本「
闇に光を見出して わが子の自殺と癒しのプロセス」「
反抗期のシュタイナー教育」などはまだ読んでいないので)
7歳(小学校1年生)と12歳(小学校6年生)では、全く違う人間であることが分かる。7歳頃は、身体を動かすことによって、身体自身を作っている。12歳頃は、身体を動かすことによって、身体の外に何か作り出す。作品とか。7歳ごろまでは、何か作ったとしても、作ったもの自体に特に価値があるわけではなく、作るために動いたことに意味がある。なので、客観的にいいとか悪いとかの評価をつけること自体意味が無く、意味が無いどころか有害でしかない。他の人よりも、絵が上手とか、字をよく覚えるとか、早く走れるとか、という他人と比べること自体がナンセンスなことなのだ。そういうことは12歳以降にするべきである(現実問題としては無理かもしれないけど、知っているだけでもいいと思う)。
7歳から12歳までにその変化が徐々に推移して起こり、9歳前後が丁度分岐点になり、そのとき、人生に重大な意味をもつ出来事が起こるそうだ。(私自身は覚えていないけど、自我が足りないということか??)
ヨメはこの本を読んで、シュタイナー学校が、如何にすばらしいかが書いてあるだけとか言っていたけど、まあそんなふうにも読めるけど、それで終わってはもったいないと思った。(「一般人間学」を読んでいないせいかもしれないけど)
動物と人間の意識の違いも分かるようになるのではないかと思う。植物の中でも、動物的な植物(水平方向に花を咲かせるもの、豆など)とかにも関連してきて、植物を見る目が変るのではないかとも思う。ピーナッツってすごく地上的な植物なんだとも思えてくるので、あまり食べ過ぎないほうがいいかもと思ってみたり(美味しいんだけど、美味しいと感じるということは私が地上的な人間ということかな?玄米を主食にしすぎているのかもしれないけど)。
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- 2010/03/31(水) 01:27:14|
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ヨメが図書館でメーテルリンクの
青い鳥(絵本)を借りてきた。
ヨメが子供に読んでいるのを聞いて、おや?と思った。面白いと思った。色々なキーワードがたくさん散りばめられている。全てのキーワードが分かるわけではないが、まず、チルチルとミチルがきこりの子供という点。(きこりの意味は
メルヘンの世界観参照)「クリスマス・イブ」のも気になるけど。よくよく考えたら青い鳥を本で読んだことはないことに気付く。
この部分も面白い。
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おばあさんは、ダイヤモンドのついたみどりのぼうしを
チルチルにかぶせました。
「ダイヤを回すと、なんだってよくみえるからね」
「ぼくたち、目があるんだもの。なんでもみえるよ!」
「だめ!だめ!
おまえたちには、本当のものは何もみえないのさ。
さあ、ダイヤを回してわたしを見てごらん!」
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「本当のものが何も見えない」(表面的な出来事だけが見えるが本質が見えていない)けどダイヤモンドの帽子をかぶると見えるというのも面白い。多分、勝手な解釈だが、ダイヤモンドは幾何学という意味ではないかと思う。シュタイナーは、小さいころから精神的なものが見えたが、通常の言葉の語彙では表現できないものなので、口外しても誰も理解できないと黙っていた。幾何学に出会って、精神的な世界を表現していることにとても喜んだらしい。(
シュタイナーの自伝参照)
思い出の国で、死んだおじいちゃん・おばあちゃんにあった時
「そうだよ、わたしたちはしんだけれど、
だれかが思い出してくれるたびに生きかえるんだよ」
という言葉。シュタイナー関係の行事で、生きている人が死んだ人を思い出すことで、死んだ人にエネルギーを送ることが出来るとか聞いたことがある。これは日本のお盆でも同じことだと思うけど、思い出すことで供養になるわけだ。
これは絵本なので原作を忠実に翻訳したものではないだろう。ネットを検索すると書かれていない部分が結構あるように思う。子供にふさわしくない部分はカットされていると思う。(他にも
青い鳥はたくさんある
ので、どれがいいのか分からないけれど)
だけど、キーワードは変えていないと思われる。
一番、気になるのは、青い鳥だ。なぜ、青なのか?(赤や黄色ではダメ?)なぜ鳥なのか?(他の動物ではダメ?)ということだ。鳥はどういう意味かは、バイオダイナミックを知っている人は知っているだろう。青はどういう意味かは、色彩のことを勉強している人はしっているだろう。そしてそれが、一番身近な鳥かごのなかにいるということだ。へぇーと思った。
原作に近い翻訳の本をこんど読んでみようと思った。
P.S.
ネットを検索して、気になったこと。
Wikipediaで「メーテルリンクは遺言で「私の作品は、日本とドイツでは上演してはならない」と言っていた。」らしい。どういう意味なのか?メーテルリンクがどういう意味で作品を作っているかが分かれば、分かるだろうけど。
- 2010/03/06(土) 14:29:51|
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