シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

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離乳食にステーキ

次男である赤ん坊の離乳食を四苦八苦してしている。

長男のときは、マクロビ母乳育児や自然育児などを参考に、ほぼ玄米をヨメが口でくちゃくちゃやわらかくしてからあげていた。

だが、野口整体の本を以前読んで、びっくりしたのが、「離乳食はステーキ」というような表現があったことだ。(正確な表現は、本が手元に無いので分からないが)

確か内容としては、離乳食は、動物性でなくてはならない。なぜなら、離乳食のころの赤ん坊は、野菜を消化する能力がないからだとのこと。野菜や穀物を与えると、原形をとどめたまま、ほぼ消化されずにウンチに出てくるという。だが、動物性のものは、消化できる。牛乳を与えると、ウンチがすぐに固まるとか。

ステーキはさすがにやりすぎな気がするが、聞いた話だと、離乳食を肉食にすると、大きくなってから、肉に執着しなくなるそうだ。小学生になった長男は、肉・魚には目がない。

シュタイナーの離乳食に関する本は私は知らないが、「健康と食事」に以下の様な部分がある。
P72「植物性脂肪を消滅させて、自分自身の脂肪を生産するための力を体内に発生させることができない人々がいる」
P73「肉を食べなければ生存できない人々もいるのです。」
P131「人智学者は肉食を禁じるというのではなく、健全に進化した本能が肉食を寄せつけなくなるのです。そのようにして肉食を好まなくなるほうが、抽象的な規則から菜食主義者になるよりずっとよいのです。人智学的な生活をとおして、肉食に対する嫌気と嫌悪感が生じるようになるのが、いちばんよいのです。それ以外の方法で肉食をやめるのは、あまり価値のあることではありません。」

母乳しか飲んでいない赤ん坊は、動物性しか摂取していないといえるのではないか?(母乳は厳密には動物性といえるかは分からないが、植物性ではないことは確かではないか?)そのような赤ん坊が初めての食べ物が植物性であった場合、消化できるとは思えない。

そのように考えれば、母乳しか飲んでいない赤ん坊は、植物性を消化できないというのは、考えれば当たり前の事ではないかと思う。

大人が、食事をマクロビにするのは、体質改善であったり、病気治療であったりするわけで、健康な人が健康を維持するためのものではないと思われる。(人によっては、全く反対の西式健康法によって健康になる場合もあるので、マクロビをあまりに重視するのも問題だと思う)

特に、離乳食を菜食でした場合、乳離れが大きく遅くなるのではないかと、私の周りの人を見ていると思う。(母乳育児的な観点からは、自然に母乳を飲まなくなるまで何歳までであろうが母乳を飲ませるのがよいとされている。確かに、母親はマクロビ的な食事の方が母乳の詰まりなどを考えるといいと思われるが、離乳食までマクロビにする必要があるかは疑問に思う)長男は3歳近くまで飲んでいた。野口整体では、1歳ごろ自然に乳離れするのがよいと書いてあったような気がする。

あまりに長く母乳を飲んでいるのは、いろんな意味で困るのではないか?長男は無理やり断乳をして、3歳前に乳離れしたと記憶している。(何度か断乳を失敗した)

なので、次男には、積極的に、卵とか、肉とか、乳製品を与えている。乳離れが早くなるか?(当然ながら、食材はそれなりにいいものを選んでいる。)でも、玄米だけはあげ続けている。玄米菜食というよりは、ご飯だけ玄米の普通食をベジタリアン寄りにした食事という感じか?(赤ん坊だけ、肉の割合を多めにしている。赤ん坊だから大量には食べられないし。長男には物足りないぐらいの量だろう。)

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  1. 2009/05/22(金) 01:26:16|
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レメディーもいいけど、漢方薬もいいかも

息子が今年2度目のインフルエンザにかかった。

今年は1回インフルエンザにかっかているので、他の学校が学級閉鎖してたりしてるけど、一度かかっているから大丈夫と思っていたら、突然、かかった。

朝まで、元気に遊んでいたのに、昼過ぎに急にガラガラ声になり、いつもはいくら遊んで疲れても遊び続ける息子が、疲れたと言った。顔も赤い。ゴールデンウィーク中だったので、いつもの病院には行けず、数日家で寝かせておいた。ゴールデンウィーク明けにはだいぶ熱は引き、軽い風邪かとも思ったが、インフルエンザだったら学校に行かせるのはまずいと思いやはり病院へ行くことにした。そしてインフルエンザと診断された。

1回目にかかったとき、初期段階で(と言ってもこの時点ではインフルエンザにかかっているとは気付いてない)、レメディーで対応していたのだが、なかなかよくならない。なので、病院に行ってインフルエンザと気付いたときには、タミフルも効かない時期になっていたが、医者からタミフルと咳止めをもらった。息子は健気にきちっと飲んだが、結局効かなかった。長引かせて直したという感じ。というか、薬を飲んで、咳とかは悪化したように思った。

なので2回目の今回は、タミフルを処方されたが、買わなかった。効かないし悪化すると思ったから。そんなとき、タミフルと同じくらいの効果があるという研究結果がある漢方薬「麻黄湯」を飲んでみた。

今回もレメディーは飲んでいたのだがあまり効いた感じがしないのだがこの「麻黄湯」は明らかに効いた気がする。というのは、息子が最初にインフルエンザにかかり、私もうつされたようなだが、発病までしていない状態が数日続いており、何とかレメディーで対処していた。そこで「麻黄湯」を飲んだ瞬間、鼻水が止まり、あきらかに、回復した感じがした。レメディーとの相乗効果もあるかもしれない。

この効き目に驚いて、あんまり、ドラックストアーには数は置いていなかったので、さらに余分に1個買っておいた。(我が家はインフルエンザ以外の風邪にはかからないようだし。息子は、今年の1回目のインフルエンザが生まれて初めての風邪というか、病気といってもいいぐらい健康体の6歳児)

漢方薬が現代医学で効果があるという結果があるのであれば、現代でも太古でも認められたということで、ほぼ効くことは間違いないのだろうし、タミフルみたいな、対処法的にウィルスを攻撃するのとは違い、漢方薬は身体のほうを整え、病気を癒すので、身体への負荷はだいぶ少ないのではないだろうか。(全く副作用がないわけではないがタミフルほどあるとは思えない)「麻黄湯」には飲んではいけない人もいるのでよくよく調べたり、医師に相談したりしてから、試してみてください。

シュタイナー医学もレメディーだけで対処するわけではないし、また、シュタイナーの哲学・理論・考えからしても、太古の医学は正当性があると思われる。(太古の人間はまだ、神と分離していない状態というか、神を身近に感じて誰も疑わない状態で、知識も自然と分かってしまう、宇宙と繋がった状態だったと思われる。なぜ、薬草がこの病気に効くとかを太古の人は分かったんだろうと小さいころから思っていた。単なる経験による知識の積み重ねにしてはあまりに膨大であるし、体系付けがあまりにきちんとしているのも経験からによるものとは思えない)

また、東洋ならば全く違った人智学を考えただろうともシュタイナーは語っているので、レメディーにこだわり過ぎるのも問題(アーリマン的?ルシファー的かも?)で、日本は日本の人智学として、太古からの知識をそれなりに認める必要があると思う。

「麻黄湯」の材料のひとつ「麻黄」はネットで調べてみると、なんだかスギナみたい。低木から緑のトクサが生えたようなものらしい。主成分は、エフェドリンらしい。「インフルエンザはもともとは脳の病気なので」(健康と病気についてP392より)とシュタイナーは言っているので、私はSiが関係しているのかと思ってしまったが、違うようだ。残念。

  1. 2009/05/14(木) 21:25:58|
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シュタイナーの治療教育  教育の核心を考える

シュタイナーの治療教育  教育の核心を考える
シュタイナーの治療教育  教育の核心を考える


この本、まとめようとして、何箇所も引用することになり、膨大になりそうなので、この本として気になるところを全部列記するのは止めた。他の話題のときに、この本から引用することが多くなりそうなところが多い。

高橋 巌さん自身の本なので、訳しているシュタイナーの本よりは分かりやすい。(でも、何度も読み返すとむむむっと思うところがある。)

また、高橋 巌さんらしく日本との関連がでてきて面白い
●野口整体(詳しくは知らないけれど、本は読んだ。)
西 勝造
桜沢如一(高橋 巌さんとしては、シュタイナーとマクロビはほぼ同じことだと思っているようだ。私もそう思うけど。微妙に違うところもあるけど)
●言霊(カタカムナっぽいかも)
●出口王仁三郎
などなど。

やはりこの本でも、アーリマンとルシファー(ルシフェル)がでてくる。
●「ルシフェル的とアーリマン的との二つが基本にあって、極端に傾くと、そこからいろんな否定的な働きがでてくるのです。
 しかし、つけ加えておきますと、その両方の誘惑をおそれて、ひたすら中心の部分でじっとしているとしたら、こんなに味気のない人生もないでしょう。むしろ人生の充実感は一方の極から他方の極へと揺れ動く、その振幅の大きさにあるといえるのです。」(P131より)
クリスマスの秘密でも、あったとおり、ルシファー(理想というか、高みから見る態度)とアーリマン(現実的というか、打算的というか)の間がキリスト的(中庸)ということで、中庸を目指すのもいいけど、中庸に固執しすぎると面白くないのだろう(中庸の場合は、そのときそのときで変わるので、アーリマンやルシファーのように、中庸に固執しても悪にはならないと思うけど)。ようするに、ルシファーだろうがアーリマンだろうがキリストだろうが、どこにも固執せずに、自分の使命に沿って自由に動けるような考えが一番よいということだろう。(「自由の哲学」の言いたいところかも?「精神の自由」ともいえるかも?「何事にも固執するな!」ということなので仏教的かも?結局シュタイナーの言っていることは、日本の言葉にすべて置き換えれば、なんだそんなの昔から言われていることだと思う。特に日本人には。)

最近思うのが、シュタイナー著書とか講演録とかを読むのもいいが、シュタイナー以降受け継いだ人たちが書いた本を読むのが最初はいいと思う。

最初は、やはり、「自由の哲学」「神智学」「神秘学概論」「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」のシュタイナー四大著書などなどのシュタイナー自身のものを読むほうがいいと思ってしまう(理想をもとめるルシファー的!)。確かに、シュタイナーの言わんとしていることを一番正確に書いてあるとは思うが、それ正確に理解できるかどうかは別の話です。

特にシュタイナー自身の著書や講演録は、前提をわかってないと、何を言わんとしているかということを理解するより先に、何について話しているのかさえ分からず、読んでいると眠くなります。それを繰り返しても時間の無駄にしかならないかも。

なので、一人で勉強する場合は、ある程度シュタイナーを理解するまでは、シュタイナーの思想を継承した人たちの本を読んだほうがいいと思われる。ということで、この本はそんな一冊(ある程度自分なりに考えを消化しているとさらに面白い本だと思うけど)古本しか現状ないようだから絶版?でも古本のほうが安いからいいかも。

シュタイナーの本を読むなら、早く読み進めない速度で、みんなで読書会などをするのが一番いいと思う。それなら、眠くならないし、楽しく読めるとおもう。(シュタイナーの本を読んで、これは面白い!と思えるようになれば、一人で何度でも読めるので一番近道。だけど、何度も読もうとは思わない・・・まだまだ理解が浅いのだろうなあ。)

  1. 2009/05/07(木) 19:16:20|
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