シュタイナー幼児教育手帖(
Vol.1・
Vol.2)を発行している日本シュタイナー幼児教育協会の

出来たばかりの本「
シュタイナー幼稚園について」を読みました。
個人的には、シュタイナー幼児教育手帖がVol.7まであるはずなので続きを早く出してほしいと思うけど、現状のシュタイナー教育に対して、どうしても、本書に書いてあることを言いたかったのだろう。
まえがきに「日本ではこれまで、まるで「シュタイナー幼稚園」という一つの「型」があるかのように誤解されることがよくありました。」と書かれていますし、この文章を読んだために読みたくなりました。それは、私も常々シュタイナー学校も含め感じているところ。
内容としては、シュタイナーを実践する際の基本的姿勢というか、常に忘れてはならないこと。シュタイナーを勉強していれば、読んでみると当たり前なことかもしれないが、一文一文意味をかみしめながら、日ごろの行動や考え方、感じ方を振り返りたいところ。
(以下は本書の内容とは全く関係ない私の意見です)
私の知っている限りだけかもしれないが、シュタイナー学校を見ていてよく感じてしまう。目に見えるやり方を真似することに一生懸命で本質を見失っている。日本なら日本の独自のやり方をもっと模索するべきだと思う。(欧米のやり方をそのままやっていては、逆効果な気がしてならない。)今のままでは、お金持ちのための学校になってしまう。(一部のシュタイナー学校ではすでになっているような噂も聞くが本当だろうか?)それでは、経済状況を理由に通うことを拒んでいるのと同じになってしまう。(シュタイナー教育は経済的理由に関係なく受けられることを目指しているはず。)
現状のシュタイナー教育は「こんなすばらしい教育を提供しているんだから、父母はお金をだして当たり前」みたいな感じにしか思えない。だから、あきらかにシュタイナー教育と分かるやり方「型」を目指さなければ父母が納得しない状態に陥りやすい。教師の給料や運営にかかるお金の多さも分からなくはないが、人の感性も環境も法律も自治体の協力体制も全く違う欧米を真似しているがために、お金がかかるのではないかと思う。
また、お金がかかるからと言って、支出を削減することばかりに気をとられているとも感じる。支出を抑えたいならやり方「型」を変えればいいのに、そこは変えないため、運営などにしわ寄せがくる。そのため運営がうまくいかず、授業だけはすばらしいけど、それ以外はいつもドタバタということになる。(授業がすばらしいかどうかは私的には疑問)そのドタバタは、父母がドタバタすることになり、家庭環境がドタバタになる。教師が目指している通りの(毎日瞑想して事前に準備をきっちりしている)いい授業だけど、子どもの家庭はドタバタ。そんな環境で育つ子どもが良くなるのか?疑問である。
まとめてしまえば、日本のシュタイナー教育はまだまだ、創生期で、通わす父母は、シュタイナー教育を育てる気持ちで子どもを通わせなければならないと思う。(言い方を変えれば、通わせている自分の子どもにとってよいかどうかは全くどうでもよくて、未来の社会にシュタイナー教育が根付くための努力をぜひしたいと思える人でないと、通わせている間に父母がだんだん嫌になってくる。嫌なことは全くといっていいほどやらされることはないから、通っている子どもは楽しいと言うと思う。父母もそれなら我慢するか・・という感じではないだろうか)
教育はよいことに越した事はないが、あくまでオプションだと思う。教育が素晴らしければ家庭はどうであってもいいということではないだろ。家庭をしっかりすることがまず第一だと思う。シュタイナー教育のために家庭がドタバタする(崩壊する)のであれば、本末転倒であろう。
子どもの教育うんぬんよりも、父母の自己教育が一番重要ではないか。「子どもは親の背中を見て育つ」のではないか。(シュタイナー的に言えば「見えないトンネルを通って伝わる」)
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- 2008/02/24(日) 01:10:21|
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