オックスフォード教育講座 教育の根底を支える精神的心意的な諸力人智学を知らない聴衆に対しての講演録であるため、比較的わかりやすい。あとがきを読む限りは、シュタイナーは聴衆に理解してもらうことを前提に話しているとある。(シュタイナーがしゃべっているだけあって節々に難しい部分が見え隠れしているが)
ヴァルドルフ学校教師のための講話「
一般人間学」は全く意味不明な部分が多いのだが、この本は、理解できる部分が多い。この本を読んでから一般人間学を読むと良いとも書いてあるので、再度読みたくなった。
前回読んだ「一般人間学」は高橋巌さんのだが、今度は、この本の訳者の
新田義之さんの「一般人間学」を読んで、高橋巌さんのもその後に再度読めば結構理解できるのではないかと期待してしまう。
読みやすかったが、やはり随所に難しい部分があったり、参考になるところがあったので、メモとして引用しておく。
●「もし子供が、数をつけ加えて増やしていくという方法にならされると、欲望に従って行動するという傾向が生じてまいります。もし全体から部分へと進んでいき、またそれに対応したかけ算のやり方を学んでまいりますと、子どもは欲望を過度に発達させることなく、プラトン的世界観でいう「熟慮」、つまり言葉のもっとも高貴な意味においての「節度」が育ってまいります。」P177
→これを読んで、
すぐに実践しました。息子(4歳)がパンに蜂蜜なりゴマペーストなりを自分で塗るのですが、蜂蜜のビンをそのまま息子に渡して、塗らせると、大量に塗ります。ですが、まず小皿に蜂蜜をとりわけて「みんなでこれだけ使うよ」といえば、すごく少ない量を塗るようになりました。(当たり前か・・)今までは食事のおかずも全部を食卓に置かずに「おかわり」でしていましたが(これが1+1+・・・という数を増やす)、今あるおかずを食卓に全部置いて、そこから取り分けるようにしたりして、できるだけ、全体が見える状態にするようにしました。今までは「おかわり」を何度も言っていたりしたのが、なくなりつつあるような
●「なぜならば、彼は自分の骨格系を筋肉系の側から支配しているからなのです。十二歳を過ぎてからは、骨格系は外界にみずからを適合させていき、筋肉系を支配するようになり、そしてそこから霊性と心性とを支配するようになります。そしてその結果として人間は、原因と結果について内面的な体験をとおしての理解を得るようになり、力について、垂直と感じられるものについて、水平と感じられるものについてなどに、理解を得るようになるのであります。」P181
→
一般人間学の第十二講や
農協講座の第八講と関係する表現のような気がする・・・。自我とは・・・。動くこととは・・。
●「すなわち、単なる理想を実現しようとすることは、ヴァルドルフ学校の目的ではありませんでしたし、いまのなお、その方針は変わっておりません。大切なことは、子どもがつねに現代の生との結びつきをもち、今日の社会秩序とのつながりを失わないように教育することです。この場合「今の社会秩序が悪い」と言ってもみても、何の益もありません。それが良かろうと悪かろうと、私たちがその中でいきていかなければならないことには変わりないのです。」P210-211
→ヴァルドルフ学校は、タバコ会社で働く親の子供が通う学校。いわば、サラリーマン家庭向けの教育なのではないか?と思われる。サラリーマンの生活で行うことは、消費しかない。それだけしか見ていない子供は「スーパーで野菜が生えている」などという概念、または、お金さえあれば生きていける(ある意味正しいかも?)など、実際の世界を見ないまま大人になることが、社会秩序とのつながりがない状態なり、社会に順応できない人間になってしまう。現状の日本のシュタイナー学校は、海外のシュタイナー学校の模倣であり、それでいいのか?は疑問である。
●「女生徒は一般に言われるように、肉体機構中に血液不足をきたし、貧血し貧血症を起こすのです。この現象が生じる本当の理由は、十四、五、六歳のころに、霊的なものが、人間の総体としての機能から離されることにあります。(略) そしてこの貧血は、それ以前の時期に女生徒たちに対してさまざまな働きかけをして、十分な興味を呼び起こす作業をしていない場合に生じるのだということを、私たちは知っていなければなりません。」P241
→思春期以降の男性徒と女生徒は、本書第九講によると、違う成長をするようだ。この第九講も理解しづらい部分がチラホラある・・・。(思春期以降のことが書いてある本を読むのは始めてかもしれない・・)
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- 2007/05/18(金) 22:48:27|
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