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シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

メルヘンの世界観

「メルヘンの世界観」を読んだ。

メルヘンの世界観
ヨハネス・W. シュナイダー (著), 高橋 明男 (翻訳)


おなじみのグリムの童話とかの精神的な意味が書いてあり、とても楽しく読めた。

メルヘンそのものを絵や映像にすることは、イメージの世界をぶち壊すことになるので見せない方がよい。

登場人物の職業によって意味がある。
 王様
 (根源的な世界にもっとも近い)
 ↓
 漁師
 ↓
 農夫
 ↓
 粉ひき
 ↓
 きこり
 (何ももっていない貧しい)
 ↓
 狩人
 (生命や根源的に支配されない独立している)

それぞれの話によって、意味が変わるものがある。(例えば、森は「中間領域」・「孤独」・「魂の世界」など変わる)

メルヘンを語る大人が如何に理解しているかで、子どもへの影響が変わる。例えば、残虐な描写は、イメージの世界では、精神的なもののたとえであるので、理解して語れば、残虐さは伝わらず、精神的イメージになる。(「子どもの首をはねる」という描写は、現代的な思考や受け取り方をしないなどの意味で実際に「はねる」わけではない。秘儀参入のマークなどに、頭をはねるようなシンボルがあるそうだ。)

そんなことを考えながら、物語を読もうとすると、全く読みすすめなくなる。この森は?この石は?この湖は?作業の意味は?起った現象の意味は?とか考え出すと、一つのことに何重にも意味があるような気もして、何度も前に戻る羽目になる。

日本の、桃太郎とか、かぐや姫とか、浦島太郎とかも細かく見ていくと面白いのかもしれない。(本来の原文がどれかがわからないけど)

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  1. 2006/09/26(火) 14:58:03|
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2006-9-14「芸術と美学」勉強会

芸術と美学」の読み合わせ。前回より始まったが、学校が休みのため、2ヵ月ぶりの再開。

◆人智学と芸術1(P16~P28まで読み進むことができた)
●「ギリシア彫刻の横顔を見ると、鼻は額に接続しています。ギリシア人が宇宙の回転運動を感じていて、その運動を鼻の形に表現したのがわかります。」
→ネット上でギリシア彫刻を検索すると、確かに鼻は額に接続している。おでこが出ていると哲学者になるようなので、前頭葉の発達と鼻の関係に意味があるのか?

●「魂的なものの活動と生命を見ると・・・・円が閉じられます。」(P17~P20)
→なんか読んだことある文章だと思ったら、「色と形と音の瞑想」のシュタイナーの色彩論と、ほとんど同じ文書であった。「色と形と音の瞑想」の編訳者あとがきをみると、抄訳(原文の一部分を抜き出して翻訳)されたものだったことに気づく。シュタイナーの本で抄訳されては意味が分からなくなる。今回読んで「色と形と音の瞑想」とは前後関係から全然違う印象を受けた。

●「光と色彩を通して、死、生命、魂、霊が表現されます。こうして、空間から出て、平面に至らねばなりません。平面の中で空間の謎を解かねばなりません。」
→「平面の中で空間の謎を解かねばなりません。」とは意味深な言い方だ。画家のみが解かねばならないわけではない。そうしなければ本質は見えてこない。

●「感覚的・超感覚的に見ることのできる人は、人間の口から作り出されるものが空気の中で身振りに形成され、言葉となるのを見ます。このことを模倣して、表現豊かな可視的な身振りにすると、オイリュトミーが生まれます。言葉を発すると、空気の動きの中に思考をこめることができ、波動がその動きの中を進むことによって、言葉が人々の耳に達します。」
→言葉が考慮されていない舞踏と暗示的な身振りの黙劇の間にオイリュトミーがあるとのこと。何気ない言葉にも空気の中に思考を込めているのか。言霊とか言うが、思考が相手に伝わるわけだ。言葉の内容が伝わるわけではなく。

●「私が思考の動きによって解釈できるものが、私を芸術的、建築的、彫塑的、絵画的、音楽的、詩的形成への要求への導く」
「建築、彫塑、服飾、絵画」とは「死、生命、魂、霊」ってこと?(「身体、エーテル体、アストラル体、自我」「黒、緑、淡紅、白」ってこと?)ただ並べてみただけだが、なんとなく関連がありそうななさそうな・・・

(所感)
まさしく色彩論であるので、
芸術の贈りもの「芸術の贈りもの」に全面新訳された「色彩論」を読まねば。(数年に買って読んでない) この本をよくよく見ると、「芸術と美学」と半数以上同じ講演が訳されている。同じところを違う訳者で読めばさらに理解が深まるかも?

  1. 2006/09/17(日) 14:25:01|
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