神智学大要 第1巻 エーテル体シュタイナーの用語の定義がしっくりこないので、読んでみた。
エーテル体のみに重点をおいて書いてあるので、シュタイナーの本よりは、分かりやすいとは思うが、すんなりは頭に入ってこない、辞書を読んでいる気分。シュタイナーの講演録の方が面白いと思っていることに気づく。(本質は理解できてないけど)
人間の構成要素の表現が違う(
秘境から科学へを参照)ので、どう関連をつけていいか悩む。だが、
エーテル体の定義は、ほぼ同じと思われるので、参考にはなった。シュタイナーの本で、エーテル体だけを重点に書いてある本というのはないと思うのだが、これはもしかして、神智学を知っていることを前提に講演をしているのではないか? シュタイナーの著書「
神智学」や「
神秘学概論」も、この神智学をベースにして、シュタイナーとしては、少し違う解釈でまとめなおしているのではないかと思った。
第1巻とあるとおり、このシリーズは全5巻ある。
第2巻 アストラル体(上)第2巻 アストラル体(下)第3巻 メンタル体(上)第3巻 メンタル体(下)第4巻 コーザル体(上)第4巻 コーザル体(下)第5巻 太陽系(上)第5巻 太陽系(下)といっても、5冊ではない。先は長いが、アストラル体ぐらいまでは読んでみる価値があるのでは?と思っている。
「第1巻 エーテル体」の
カスタマーレビュー
に、「全5巻でオカルトサイエンスのバイブル」、「内容は難解」とあり、難解と感じたら「芦原瑞穂の「黎明」をお勧めします」と書いてあった!「
黎明〈上巻〉」「
黎明〈下巻〉」はもっている!この本は神智学の本だったのか!シュタイナーの本を読み始める前に買った本で、一度読んだが、そんなに難解だった気がしない。パラパラとめくると「エーテル体」「アストラル体」とか記載されている。全然記憶にない・・・。再度読み直そうと思う。
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- 2006/06/28(水) 12:52:33|
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「
いか超」の読み合わせ。
前回の続きより
P209~P221まで読み進み、とうとう読み終わった。
◆生と死 - 境閾の大守護霊
●「その不完全さは同じこの世の現実の中でしか、完全にすることができないこと」
→肉体をもたないと、完全な形へ進化できない。死んで霊界に行ったとしても、進化できないということか。超感覚的な能力もこの世でしか獲得できないそうだ。
●「超感覚的世界は感覚世界への移行を必要とした。その世界は、その移行なしにはそれ以上発展しえなかったであろう。」
→感覚世界から理想的な世界(超感覚的世界)へ帰るというイメージを持っていたが、超感覚的世界も変化するわけだ。帰ったら、以前とは全く違うのかもしれない。(以前を覚えているかは定かではないが)
●「死とは、かつての超感覚的世界がもはや自分自身によってはそれ以上前進できない地点まで到達してしまったことの表現以外のなにものでもない。」
→生きている私は、まだ進化できるということか?
●「人が常に白い道を選ぶという保証はどこにもない。」
→境閾の小守護霊から境閾の大守護霊への段階でも、自分の利益にこだわるような人がいるのか!?と思ってしまう。自分の利益にこだわるならば、ここまでこれないのではないのかと思うのだが。
●「弟子が自分の意志で献身的に共に働こうとするようになるまで、弟子を超地上的世界から引き離しておくことも導師の使命である。」
→超感覚的世界が見れないのは、資格がないということか。焦ったり望んだりすること自体おかしいということか。超感覚的世界の獲得は、望むものではなく、結果として獲得されるものであるということですね・・・。どうしても望んでしまうのですが・・・。
(所感)
今回で、「いか超」は終わり。エクササイズしてないなあ。
- 2006/06/24(土) 13:39:18|
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「
いか超」の読み合わせ。
前回の続きより
P197~P208まで読み進めることができた。
◆境閾の守護霊
●「霊妙な身体部分(エーテル体とアストラル体)の内部で、意志、思考、感情の間の結合帯が解かれはじめたとき、人間は前者の守護霊と出会い、この結合帯の解消が身体の肉体的部分(特に頭脳)にまで及ぶとき、「境閾の大守護霊」と向き合う。」
→魂の十二感覚とか、魂の諸力の思考・感情・意志とか言われるので、魂の中にあるのかと思ったりしていたのだが、エーテル体もやはり関係しているのか…。そこで、「意識」を理解していないことに気づく。意識がなければ、思考・感情・意志は存在しようがない。「意識」を調べると…、2ページ強にわたり書いてある!(
シュタイナー用語辞典P41~P44) 「過去から未来へと向かう無意識の表象の流れ(エーテル体)と、未来から流れてくる心魂内の欲望の流れ(アストラル体)が交わることによって意識が発生する。」とあり、やっぱりエーテル体も関係している訳だけど、まとまらない。「意識」を意識して今まで読んでいなかったことにも気づく。
●「たとえどれ程恐ろしい姿に見えようとも、この守護霊の姿は修行者自身の過去の生活の結果に過ぎない。この姿は過去の生活が作り上げた修行者の性格である。」
→意志、思考、感情の分離しても、恐ろしい姿なのであれば、分離する前はもっと恐ろしい姿ということか。だから、見えないで色々なアクシデントなりで導いているのかもしれない。
●「修行者は境閾の守護霊と出会った時から、彼自身の個人的な立場を意識するのみならず、民族や種族によって与えられた使命に対して意識的でなければならない。」
→普通の人は、無意識で、民族や種族の意図に従って働いているようだ。でも、目覚めてしまったら、意識的に、その意図を自分に付け加えることになるように思うようだ。そう思えないのは、意志、思考、感情が分離していないからで、分離すればそう思うようになるようだ。なんだか、操られているような感じだ。
●「血族、民族、人種の守護霊たちがそのありのままの姿を現す。」
→ということは、この守護霊よりも、高次の段階まで進んだということか。それは、遠い遠い先の話だ。
(所感)
カルマは、一般的には、悪いことの様に思われているが(私だけ?)、自分のカルマは、自分のしたいこと使命であるということだ。カルマを増やすともよく言われるが、それは、本来進むべき方向ではないことをしたため、それを修正するためにしなければならないことであり、本来の使命を行えるためのもの。また、カルマには外的なカルマと内的なカルマが存在し、外的なカルマは、他の人がしても良いようだ。シュタイナーがしたゲーテの仕事は、実際は他の人のカルマだった。
あと、一回で、「いか超」も読み終わる。次は「
芸術と美学」
- 2006/06/09(金) 11:41:47|
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神殿伝説と黄金伝説 シュタイナー秘教講義よりシュタイナーのエソテリック(秘教)・スクール(E・S)の内容の一部らしい。シュタイナーはノートをとらないように求めたらしく、参加者があとで集まって、確かめ合った結果の内容であるため、欠落したところがある。
内容は十分理解できなかったので再度読みたいと思うが、図書館で借りたため、返却日にかえさぜるを得ない。
この本の解説を読んで、今まで勘違いしていたことを発見する。
H・P・ブラヴァツキー夫人の神智学協会の基本姿勢
「一、信仰、人種、身分、男女などによる社会差別をしない。
二、東洋の叡智を学び、その普及に努める。
三、自然と人間との内部に働いている霊的な法則を探求する。」(P420)
であるのはよいのだが、
「シュタイナーがE・Sを神智学協会の伝統と結びつけず、西洋オカルティズムの本流であるフリーメーソンの伝統と結びつけることを考えた。」(P425)
とあり、
私の中では、東洋思想が根底にあり、西洋の人に分かりやすい例で講義しているのかと思っていたのだが、そうではなく、神智学協会は東洋、人智学協会は西洋と分かれたということのようだ。
「エジプトの秘儀は、実はアトランティス大陸に由来するものであり・・・(略)・・・新しいE・Sのメーソン的儀式は、この最古の秘儀の継続なのである。」(P426)とある。
「中国人と日本人は、かつてのアトランティス民族の残滓です。」(P265)ともあり、日本の伝統的なものでもよいのではないかとも思う。(
カタカムナか?) しかし、日本の場合、日常に取り込まれたため、儀式は形骸化している可能性はあるので、秘儀はなくなっているのかもしれない。
シュタイナーは神智学協会から脱退はしたが否定はしてないようなので、東洋人なら、神智学を学ぶ方が分かりやすいのではないかとも思う。ただ、シュタイナー教育のように細かい具体例は示されていないのである面では人智学を参考にするという感じだろうか。神智学方面も調べねば・・・。(
シークレット・ドクトリンも一応借りたが、ほとんど理解できなかった。)
現在、品切れ(絶版?)なため、古本でしか入手できない。

復刊リクエスト投票ができます。アストラルが見えれば、現実世界で起こることが予見できるのは、霊の世界の凝縮がこの世界であるからというようなことが書いてあった。また、アストラル体はやわらかいもので、人と人が会うと、影響し合う。怒りを向けることは、現実世界で拳銃をうっていることに似ているようだ。(これは実感できるかも)
- 2006/06/07(水) 22:57:22|
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