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シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

2006-5-25「いか超」勉強会

いか超」の読み合わせ。前回の続きより(先々週が無くなったので、1ヶ月ぶり)

P185~P196まで読み進めることができた。
◆神秘修行における人格の分裂
●「人間の霊妙なエーテル体とアストラル体の中で、思考、感情、意志という三つの魂の力の各中心点が規則的な仕方でお互い結びついていることによるものである。」「肉体においても、意志の器官は思考や感情の器官と規則的な仕方で結びついている。」
→意志・思考・感情がはっきりしない。
例えば、シュタイナー用語辞典P40の「意志」に「として働く。」とあり、ますます混乱する。

●「人間の霊的進化に際して、これら三つの基本的な魂の力を結びつけていた糸が断ち切られる。」
→霊的進化をすることは、結構大変な事のようだ。本来、高次の存在が、導いている力を断ち切らねばならない。具体的には、病気になったり、感情的になったり、はたまた、他人からの注意・指摘などは、高次の存在の導きなのかもしれない。すべての出来事に意味があるということか。。その意味を理解せずに突っ走るのはよくないようだ。

●「誤謬は、高次の意識が相互に分裂した三つの力をいつでもふたたび自由に調和させうる能力を獲得する以前に、すでにこの分裂がはじまってしまった場合に生じる。」「修行者の陥りがちな三つの邪道である。すなわち暴力的人間、感情的耽溺、愛情に欠けた冷たい認識衝動である。」「治療を必要とする精神病患者、あるいは重度の「神経症」患者と見放されてしまうであろう。勿論神秘修行者が精神病患者に似ることは許されない。」
→ 焦って、意志・感情・思考を分裂させるのは、弊害の方が多いので、高次の認識、つまり、睡眠時にも覚醒できるようになり、日常生活と関連付け出来るようになるほうが先にする必要がある。

(所感)
思考と感情の分離が重要であると以前あったと思ったが、あまりに早く分離させると、高次の導きの糸を断ち切ってしまうようだ。導きなしでも大丈夫になるまで、焦らない焦らない・・。何でも、自分が動けば変わるというわけではなく、周りの動きと歩調をあわせ、少しずつ淡々とするしかないようだ。

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  1. 2006/05/25(木) 22:51:37|
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国家の品格

国家の品格
国家の品格を読んだ。(久々にシュタイナー関連でない本だ)
AMAZONの今売れている本[社会・政治]でトップ(2006-5-21現在)のようなので、もうみんな読んでいるかもしれない。

レビューを見ると、「日本人なら、ぜひ読むべき!」的なものが多いので、私の視点で感想を。(ネタバレあり)

私なりに簡単にまとまると
  1. 民主主義は、「成熟した判断が出来る国民」という前提であるが、「国民は永遠に成熟しない」。そのため、国民を誘導できるマスコミが世論になってしまう。

  2. なにをもって自由と定義するのか? 平等と定義するのか? 自由・平等の民主主義などはあり得ない。

  3. 「論理」「効率」「損得」だけでは、世界は破綻する。「武士道」を復活させれば、日本がよくなる。幼いうちから悪いことは悪いと教えるべき。
こんな感じなのだが(あまりに簡単にまとめすぎ?)、
日本人のよさを見直すにはよい本かもしれないが、「論理」が短絡的な気がする。(論理では世界が破綻するといいながら、論理的な結果のような気がする)

世直し論としてなどよりは良いのだが、この本には具体性がない。

世直しを考えるならば、トップダウンではなく、ボトムアップしかないと思う。もはや、国や企業のトップでは、世直しすることは不可能。しがらみがありすぎる。

ならば、国民一人一人から変えていくしかない。しかし、「みんなで一斉論」も非現実的なので、少しづつ良い方向に変えるしかない。少しづつ変えるには、自分の生活を変えていくしかないというのが私の考え。

自分の生活が、理に適った状態で、だれでもできるやりかたで、平穏に暮らしていれば、よいと思った人は勝手に真似をする。他の人を、勧誘・説得する必要はない。自然に広がる。

自分の生活を「武士道」に変えるというのもよいのかもしれないが、そのまえに、お金だけの世の中にどっぷり浸かっている状態を変えねばならない。そのために自分ができることとは、お金のために自分の時間を犠牲にしないこと。自分の人生は自分のために自分のしたいことのために使うこと。(=精神の自由)

私は、それを実験しているといってもよい。(試行錯誤の経歴) 多分、だれでもできることである。仕事のあてもないのに、世の中のためになっていないと感じた仕事を辞めること。自分の使命ではない仕事を辞めること。

お金に縛られない暮らしの実現が、やろうと思えば誰でもできるということを自分の生活で証明できればと。(悪意に対するもっとも正しい戦い方は善意を実現することにある。

証明はまだされていない状態なので、これからどうなることやら。(当然ながらこの文章を読んで、実際に仕事を辞めても責任はもてません。)

お金に縛られない暮らしをみんなができるようになれば、なにか不正をしている企業であれば、その企業から人が次々と止めていくだろう。原発の職員も次々と辞めていくだろうから、原発は自然に止まるだろう。(単なる願望)


この本で一番印象に残ったのは、お茶を考えても日本では茶道にしてしまう、花も華道に、字は伝わればいいのに書道に・・・、香道、剣道、柔道など、なんでも芸術にする。というところ。日本人は、普通に生活するだけで、生活芸術ができるのかもしれない。

  1. 2006/05/22(月) 00:19:37|
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タンパク質の音楽

タンパク質の音楽
タンパク質の音楽
植物に音楽を流すとよい影響があるというのは、よく聞く。それの理論的な説明がされている。

その中で、メモっておきたいところをうどんも「四季」、日本酒はモーツァルトらしい。

タンパク質を理論どおり変換した音楽は、効果がありすぎる。作物に聞かせすぎると、特定のタンパク質だけ効果があるためバランスが悪くなり、逆効果。なので、理論的には少しずれたクラシックがちょうど良いのだろう。だが、理論的な音楽は、作物の初期段階に毎日3分程度で、効果があり絶大。

タンパク質には促進するものもあれば抑制するものもある。その音楽を作物に聞かせるためにしているのに、それを毎日聞いた人間の方が調子を悪くする。効果を期待する前に、診断が重要なのは、病気の治療と変わらない。

同じ機能のタンパク質でも、人間のタンパク質の方が美しい音楽になるそうだ。

(所感)
作物に音楽が効果があるというのは、化学肥料が作物に効果があるのと同じ気がする。(この本では違うと書いてあったけど) 物質的な音楽よりは、精神的な音楽を聞かせる方がバランスがよいのではないかと思う。つまり、祈りや想いなど。

  1. 2006/05/18(木) 11:57:33|
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