ようやく図書館から借りれた。(
読もうと思って借りるまでに数ヶ月かかった)
(文庫本
上・
中・
下になって安くなった様子。)
借りて、1日目にほとんど、徹夜してしまった。シュタイナー関連以外の本を久々に読んだ。本で徹夜するのも久々。シュタイナー本では、難しくて徹夜できない。この本は普通の本だけど、キリスト教関連、特にイエス・キリストに関する記述が面白い。内容もミステリーなので読み出したら止まらない。
以下、ネタバレになるかもしれないので、読んでない人は読まない方がよい。
内容も面白いが、そのウンチクが私のツボにおもっきりはまった。宗教図像解釈学の教授が主人公である。シュタイナーでもおなじみの五芒星の宗教的な意味。(シュタイナーが言っている内容とは違うような)シオン修道会。聖杯伝説とはなにか?マグダラのマリヤとは?
聖杯伝説は、昔からの伝説・物語でたくさん語られているらしい。
ハリーポッター
もその一つ。また、
ディズニーアニメ
もほとんどが、その聖杯伝説をひそかに伝えているとのこと。聖杯伝説の本当の意味を知るクリエイターが世界中でそれも大昔から同じ事をしているようだ。
キリストに関しての歴史が当時の権力者にいかに操作されているかも語られている。(本とは関係ないですが、現代でも、メディアの伝える内容は権力者に制御され利用されているので、大企業やお金持ちに不利なことはほとんどでてこない。健康情報も操作されてますので、自分でウラをとりましょう。シュタイナー教育でなくてもテレビは見ない方がよい。時間の無駄。
最近TVを撤去しました。)
ただ、この本に書かれていることが本当かどうかは、色々議論されているようで、鵜呑みにしないで楽しんでください。
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- 2006/03/28(火) 22:45:09|
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日本シュタイナー幼児教育協会 bookllet series1

シュタイナー幼児教育手帳 復刻版 Vol.1 シュタイナー幼児教育の原点この本は、20年以上前の復刻版です。
昭和60年3月~62年1月までの全七号が、那須みふじ幼稚園園長の高橋弘子氏によって刊行されました。その復刻版のVol.1です。
本来は、家族が小学校に入る前の社会的母胎であるはず。現代の核家族化や、サラリーマン化した生活のせいで、子どもを1日中見ることができない世帯が増えたため幼稚園が必要である。(家計に余裕のあるお母さんが働きにでて、子どもを幼稚園に通わせるのはあまりいいことではないのではないかと思う。)
幼児とどうむきあえばよいか?を示した本。(家庭でも幼稚園でも同じ)
本来、家庭にいるべき時期なので、幼稚園でも、先生は必要な仕事をし、子どもの相手をわざわざする必要はない。先生がその作業を如何にしているか?どんなに真剣か?どんなに考えて作業しているか?などが、子どもに伝わり、幼稚園以降の成長の基盤となる。
この頃の遊びが、将来の仕事に対する姿勢になる。
現代的な完成されたおもちゃを与えると、子どもの成長を阻害する。本来は、大人の仕事をみて、その辺にあるものをイメージで変えて遊びだす。完成されたおもちゃはイメージ力をなくさせ、受動的な人間になるのではないかと思う。
- 2006/03/26(日) 22:16:34|
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前回の続きの第十四講の読み合わせ。本日で、
一般人間学の読み合わせが終わる。
●「もし私の腕や手が上顎であり、私の脚や足が下顎であると考えるなら、その顎は一体どこをかむのでしょうか、一体どこに口があるのか」「上腕が体とくっついている所、皆さんの大腿部が体にくっついている所、そこに口がある」
→前から体に向って食べていると思ったが、回り全体から胸・腹を食べているという解釈。宇宙全体が頭の様に想像する。
●「人間の言語は、喉頭によって空気の中で頭になろうとする試みなのです。」「魂の骨格組織のために、言語を模倣させるだけではなく、言語の構文を教育するのです。」「よく考えぬかれた仕方で構文を、読み書きを、しっかりしたものに、しかしもっぱら魂的にしっかりとしたものに、するのです。」
→
オイリュトミーは喉頭の動きを表しているとのこと。
●「想像力をもって教材を作成し、常に生きいきと授業できるように努める必要があるのです。」
→数年後にも同じ様にしたら知的に凍りついた授業・・・ということは、同じことを伝えるにしても、想像力をもって違うやり方が望ましいということか・・・先生は大変だなあと思ったりするが、それが楽しいから先生なのかもしれない。
●「杓子定規になりはじめたら、それが子どもを不幸に陥れ、自分を悪徳にふけらせる、と思え」
→現代の普通の授業は子どもを不幸にしているということか。
●「頭は人間全体なのであり、肢体や胸は退化した頭に過ぎない、という認識です。同様にどの肢体も人間そのものです。ただ肢体の人間の場合には、頭がまったく退化しており、胸部の人間の場合には、頭と肢体とが均衡を保っているのです。この基本事実を理解すれば、皆さんの教育倫理を真剣に受けとめることができる内的な力がもてるでしょう。」
●「教育上のモットーとして次の言葉を心に刻みつけておく必要があるのです。
想像力を養い、
真理への勇気を持ち、
そして責任感を強く保て
」
(所感)
これを書くためにあらためて読み直すと、?な部分がたくさんでてくる。「読み書きの学習の中で魂の歯の形成」?「性の謎」?P212~213の流れが理解できない!もう一度読み直す必要がある・・・。
今回で、「一般人間学」の読み合わせが終了し、次回からは「農業講座」の読み合わせ・・・。
別のところでも読み合わせしているのでそちらに読み合わせの記事は書くことになるかな。
- 2006/03/20(月) 14:21:50|
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「
健康と病気について」でも少し書いたが、シュタイナーを勉強するにあたり基本的な部分が足りない気がしてしょうがない。ので、ヨーロッパでの神秘思想といえば、カバラー。
そう思っていたところで図書館に「
魔法修行―カバラの秘法伝授」があり、読んでみた。「
いか超」とだぶるところが多々あり。やはり基本はカバラーかも?生命の木かも?
さらに、「
カバラQ&Aユダヤ神秘主義入門」も借りてみた。表紙に
「ヨーロッパ文明の土台となったのは
ユダヤ教とキリスト教を生んだヘブライ文化であり、
その根源に横たわり今日まで「伝承」されてきたのが
ユダヤ神秘思想「カバラ」であることを考えると、
カバラはヨーロッパ思想の根源ともいえる。
人間精神の深く長い歴史に目を向け、より理解するために・・・・・・」
やはりそうか・・・。これが少しは理解できていないと、シュタイナーは理解できないのかも?と思い、上記の「魔法修行」で「
神秘のカバラー」を入手することが必須で、これを入手するのに全力を注ぐようにと。また、21回目以上に読んだ時に理解した内容、それ以上の深い教えが含まれているとも書かれてあった。21回は読まねばならないのか・・・とは思ったが、読むたびに読み取れる意味が違うとか、無駄な文章は一つもないとか、アマゾンのカスタマレビューに書いてあったので、買ってしまいしました。
読んでみて思ったのは、ほとんど理解できない。アマゾンのカスタマレビューでも1回目は1年かかったとあったのはうなずける。まったく、頭に入ってこない。何度も読まねばならない本ということではシュタイナーの本と同質のようだ。使用される言葉なども似通っているので、理解するためのヒントにはなりそうだ。(1回目だが、少しだけヒントになったような気がする)
やはり、シュタイナーの本と矛盾するところが少ない。そこで、「
遺された黒板絵」の年譜をみると、シュタイナーが神智学協会に属していた頃に本を出版していて「
いか超」「
神智学」「
アカシャ年代記より」「
神秘学概論」など、代表的な著書とされるものは、この時期だと初めて気づく。(神智学協会の会員であったことは知っていたが・・・)
また、「ブラヴァツキー夫人の著作を繰り返して読み、基本用語を彼女から受け継いでいる。」とあるのにも、はじめて気づいた!
「
シークレット・ドクトリン
」を読まねばならないか・・・。
- 2006/03/16(木) 17:55:14|
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前回の続き「
いか超」の読み合わせ。(今週から新約聖書のヨハネ福音書の読み合わせはしないことになった。)
P146~P155まで読み進めることができた。
●これまでのアストラル体の開発だけでなく、エーテル体もまた開発されねばならない。
●見霊者は夢想家となることは許されない。足をしっかりと大地の上に置かねばならない。
●現代文化に生きる人は仏陀の言葉に見られる多くの繰り返しを正しく理解できない。しかし、修行者にとってこの繰り返しは、自分の内的感覚が好んでその上に憩うことのできる場所になる。
→お経のことだろうか?確かに繰り返しがよくある。これがここちよいものだと感じれるようになるわけか・・・。日本人的には古臭く感じるとは思うが、私個人としては嫌いではないという程度。
●試練の途上で獲得されねばならぬ四つの特性。
・真理を個人的見解から区別する能力
・真なるものを正当に評価する能力
・前章の六つの徳性
(思考の制御、行為の制御、持続、忍耐、信念および平心の育成)
・内的自由
「すべて無常なものは比喩に過ぎない」(ゲーテの言葉らしい)
→内的自由とは精神の自由?
自由の哲学を読まねば・・・。
●徳性が魂の習慣になると、自分の個人的な諸能力だけに関連した一切のものから自由になる。自分の狭い個人的な立場に拘束する枠が消える。
●自分を完全なものにすることは決して利己心のあらわれではない。「薔薇が自分を美しく飾る時、庭園もまた美化される」
(所感)
アストラル体の開発だけでなく、エーテル体の開発まで・・・。エーテル体は不随意な内臓などを不随意でなくするらしい。それはすごいというか大丈夫だろうか?と思ってしまう。そこまで、修行が達成されていれば、大丈夫だとは思うけど。
「完全なものにすることは決して利己心のあらわれではない」とあるが、「完全なもの」の解釈を間違えると、利己心のあらわれになりそうだ。
- 2006/03/13(月) 22:34:52|
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健康と病気についてようやく全部読めた。
なかなか面白い本である。いろんな意味で。
内容としては、ゲーテアヌム建設の労働者向けに講演した内容なので、具体的な表現が多いため分かりやすい。
訳としては、直訳に近く、意訳ほとんどされていない感じ。それがまた良い。シュタイナーを生きいきと感じられる。(他の本ではそんな風には感じないことが多い)
速記者のミスでわからないところや、ゲーテアヌムとともに焼失してしまった黒板絵などがないとかもそのまま、速記者の原文のような内容。(ゲーテアヌム焼失直後の講演があり、その時のシュタイナーの心境や状況もそのまま書かれているのも面白い)
また、この本を最初に読まないで、他の本を苦労して読んだ後だと、チョットした一言に深い意味があることに気づき、さらに面白い。
最近、思うのは、海外の人の講演会や本などを見ていると、何か私の知らない基本的な概念を当たり前として、話している気がしてしょうがない。結構読んでいるつもりなのだが、基本的な部分を私は知らないのではないか?と最近よく感じるのだ。
この本を読んで少しその一端がわかった。海外の人は当然、労働者への講義を全部読んでいるはずである。しかし、日本では、全文訳されていない。この本は、350ページある結構分厚い本だが、それでも労働者講義の3分の1らしい。
この本以外で訳されているのは、色々な本に一部分のみ訳されていたりしている。なぜ、一番わかりやすい労働者への講義が全訳されないのか不思議である。
分かりやすいだけあって、トンデモ本と言われるのは必至かもしれない・・・。量も多いし。
部分ではなく、一連の流れとしてまとまって全訳されることを切に願わざるを得ない。
がんばれ!ホメオパシー出版!(図の参照先のページが間違っていたり、変なところで改行されたりしているが、そのような小さなミスは全然気にならないので、続編をぜひ出版してほしい。アマゾンのマーケットプレイスで、この本を買いましたが、その売主はホメオパシー出版・・・。ビックリしました。)
- 2006/03/07(火) 13:49:21|
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前回の続きの第十三講の読み合わせ
●肢体の人間と頭部の人間とが正反対。肢体の人間形態を理解しようとするなら、頭部の形態を手袋か靴下のように裏返して考える。
→
治療教育講義の黒板絵にも書いてあるのでイメージはできるが・・・。
●霊と魂の流れは、人間を絶えず吸収しようとして働いている働きなのです。胸部腹部系は外から侵入してくる霊と魂の破壊活動に対抗して、人間に物質成分を供給します。
→この吸収の意味がイメージできない。垢というイメージでよいのだろうか?爪のたとえもよくわからない。吸収とは、人体から切り離すことなのだろうか?
●脂肪が霊的魂的な流れを妨げ、頭を空虚にしてしまうのです。子どもを肥えらせる人は、宇宙に対して不正を働いているのです。
→子どもが太っていると、神経が発達しないということだろうか?確かに、鈍くなるような・・・。
●有機的、生命的なものは、霊を通過させない。生命のない物質は霊を通過させる。(骨格、神経、鉱物存在)
→定義をはじめてみた!「
農業講座」で「生きた窒素」「死んだ窒素」とか出てくるのだが、なんとなくつながったような気がする。
●霊と魂は分解した物質を必要とし、それを吸収しようとしているからです。物質的に死んだ神経経路にそって、人間の内部で働くのです。
→神経は死んでいるんだ・・・。確か神経は
アストラル体の表れと聞いたことがあるが・・・。
自我と血液とかもあわせて整合性をとりたいところ。
●霊によって生命を担われた物質が分解し、生きた有機体の中で死滅する時には、神経が生じる。
→わからない・・・。
●スポーツは、人間を再び動物にもどそうとする倫理を行動に移すのです。
→日本古来の武道ならばよさそうな気もするが・・・。動きに意味があればいいので。
●過度な精神労働は、過度な肉体労働が嗜眠癖を生み出すのとは反対に、不眠症を生み出すのです。
→精神活動は、熱い関心をもって生きいきと、肉体労働は、意識的に霊と共に働くように、意味ある働きを。子どもには
オイリュトミー。
●試験制度の全廃は一つの「理想」にすぎないでしょう。ですから皆さんの反抗心をはげしく外に向って発揮してくれ、と頼むつもりはありません。どうぞ現代文化に対してつきつけなければならない刃を内へおさめておいて下さい。そしてゆっくりと---この分野ではゆっくり働きかけることしかできないのです---人びとが別な考えを持つようになるまで、ゆっくりと働き続けてください。
→シュタイナー関係者は、結構、焦っている人が多いような気がする。早く実現させたい!と。でもやっぱり、「ゆっくり」。
「いか超」と同じ。
(所感)
他の方から「意識とは小さな死であり、死とは大きな意識である」との言葉を聴き、考え込む。また、「血液(霊的)と神経(物質的)が出会うと意識ができるのでは・・・」との言葉もあり、
オカルト生理学を読み直さなければ・・・とは思うけど、他にも読む本がたくさんあって読めない!
- 2006/03/05(日) 21:16:44|
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