A.D.13世紀→A.D.14世紀で大きく表現が変わっている。
A.D.13世紀 ファンタジー・迷信深い、空は金色で書かれている。
A.D.14世紀 感情表現豊かであり、リアル。空は青色で。
(6・7年生の頃)
思考 絵画 レオナルド・ダ・ヴィンチ
意思 彫刻 ミケランジェロ
感情 絵画 ラファエロ
(日本の美術は、思考・意思に偏っていないバランスがとれた感情?)
●
レオナルドの「最後の晩餐」
シュタイナーは、火星人がこれを見れば地球人を理解できると言ったらしい。それだけ、色々な情報が埋め込まれた絵ということだろう。一人一人の腕のポーズがオイリュトミーの12の基本的な動きを表しているのでは?
ダ・ヴィンチ・コードでは、ヨハネとして描かれている人はマグダラのマリヤではないかと書かれているらしい。(十二使徒(12)・キリスト(13)・マグダラのマリヤ(14)かな?読まねば・・)●キリストの復活は、ファントム(ドイツ語)での復活とシュタイナーは言っている。普通に訳すと「幻影」だが、肉体のみがなくなった状態での復活であったのではないか?(
アーリマンに打ち勝った状態?)そのためには、ユダが裏切り、磔になり、ゴルゴダの秘蹟が必要であった。
●ミケランジェロの「ダビデ像」
20代で、完璧な像を作ってしまい、その後、何をするか?悩んだのではないかと。その後は、一人の像ではなく、二人以上の像で完璧を目指した様に思われる。A.D.3573~のロシア期は、友愛の時代。意識魂の時代としては、ダビデ像のように一人で完璧でよいのだが、次世代としては、複数人数での完璧を目指す必要があると思われる。子供の教育で、
肉体に問題があれば
エーテル体からの働きかけが必要、
エーテル体に問題があれば
アストラル体からの働きかけが必要、
アストラル体に問題があれば
自我からの働きかけが必要とされているが、ダウン症の子は
自我に問題があるとされている。どうすればよいか?霊我からの働きかけができるのか分からないが、複数の人数での働きかけをするとよくなる傾向があるらしい。共同ですることで成り立つ状態が課題ではないかと思われる。
●ラファエロの聖母
初期のころは、あまり地上に存在する感じではないが段々地上に降りてきて、
サン・シストの聖母で一気に天上界へ行った感じで、


その後また、地上的なものへと変遷している。(最後は普通の生活っぽい)十牛禅図を思い出せる感じ。
●多神教から一神教になった歴史的な意味。
多神教は物々交換のように価値あるものが沢山ある状態で、一神教は、単なる紙切れに抽象的な価値のお金をあらわしているのでは?それにより、ある意味自由があり不自由でもあるが、唯物論的な考え→輪廻転生を信じられない→現世しかないという考えになり、点の様な意識「今ここ」を体験することに意味があるのでは?
(所感)
歴史的な美術品は何がいいのか分からなかった。台湾旅行で故宮博物院に行ったが、早足で全部数時間で見た。(普通にみたら何日もかかるらしいが)今思えばもったいないことをしたと思う。今度、美術品を見る機会があれば、少しは見方が変わるかも?しれない。(そう思うところが、思考的な見方になっているのだろうが、感じる方をしてみたいものだ)
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- 2006/01/29(日) 00:28:41|
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春分点の星座が2160年ごとに変わる。
(かに座)B.C.7227~
インド期
(ふたご座)B.C.5067~
ペルシア期
(おうし座)B.C.2907~
エジプト・カルディア期(感受魂の時代)
(おひつじ座)B.C.747~
ギリシア・ローマ期(悟性魂の時代)
(魚座)A.D.1413~
第5文化期(意識魂の時代)←現代はここ!
国に例えれば、感受魂の時代はラテン・スペイン、悟性魂の時代はフランス、意識魂の時代はドイツ・イギリスみたいな感じ。
感受魂の時代は、神からの感受のみを支えに生きていたので自由がない。絵画や美術品の人物をみると、まっすぐ立ち、左足を少し前にだして、重心は真中に置き、手は強く握りしめ、目は遠くを見つめている。自由がない。神に支配されていた感じ。
悟性魂の時代には、感受魂の時代よりも、自由を徐々に獲得している様子が見られる。重心が真中でなく、動きがある感じになっている。
現存する芸術的な建物も同じ。ピラミッドから柱のある建物へ変化している。
ミノタウロスの神話は、本能(ミノタウロス)=生命感覚を変容させ思考感覚となることをあらわしている。
モーゼの出エジプトは、9歳の危機の頃をあらわす。内側から外側へと移る時期。
ギリシアの舞踏=
オイリュトミー、ライヤーもギリシアからきている。
(所感)
まとめようとして、なんだかバラバラな情報の羅列になったが、時代の流れが、美術品に現れているし、また、人間の成長段階をみることができるということかな。明日も楽しみ。
- 2006/01/26(木) 22:17:27|
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まず、
前回の続きで新約聖書のヨハネ福音書の9章~の読み合わせ。今回は特に関連はなかった。
続いて「
いか超」の読み合わせ。
P87~P102まで読み進めることができた。
●第二の試練「水の試練」=神秘文字を解読し正しく遂行できるまで繰り返される。自制心を育成しなければならない。
●第一の試練「常識を持たねば、どんな歩みも空しい」、第二の試練「すべての偏見をすてねばならぬ」という文字が門前に記されている。
●第三の試練「風の試練」=「高次の自我」を見出し、躊躇、疑惑なく、決意を速やかに固める。霊の現存を証明すること。
●「新しいものを古いものによって評価することではなく、まさに新しいものを洞察するためにこそ経験が利用されねばならない。」低次の記憶に邪魔されることなく、いつでも霊的な働きに集中できる方法=「忘却の飲み物」
●「記憶の飲み物」=高次の秘密を常に精神の中に生かし続ける。
◆実践的観点
●焦ってはいけない。忍耐強く、高次の存在たちが悟りを得るのにふさわしいと見放すまで、静かに待ち続ける。
●侮辱されても、「私の価値が変わるわけではない」という思考内容が立ち現れ、平静な心をもって、別の誰かが不当に侮辱されたのを、とがめるように対応できるようになる。
(所感)
秘儀参入をしても、日常生活はなんら変わることなく続けられる上、多分、効率も上がるのだろう。日常生活の普通の試練が、秘儀参入の試練の一部となっているのも面白い。だが、準備と開悟ができないと、秘儀参入にはならないようだ。逆にできていれば、日常生活が秘儀参入の試練となるのかな?と思ったりする。
- 2006/01/26(木) 21:27:03|
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14歳からの哲学―考えるための教科書考える事には自信があったが、ちょっと自信をなくした。
もっと考えなくては「哲学」にならないようだ。
ヨハネ福音書の「言葉が太初にあった。・・・そしてすべては言葉によって生じた。」
この意味がどうしても理解できなかったが、理解できないのは、私が物理学科だったからだろう。あまりに、思考パターンが唯物論的になっているのだろう。
「
治療教育講義」p58に「物理学者が物質素材と名づけているものは、存在しないのです。」とあって、やっぱりそうか・・・と妙に納得した。
昔、動物と人間の違いはなにか?と考えたことがあった。その答えは、生命維持に関係ないことでもやり続けられる事とその時は結論付けした。今は、少し似ているかもしれないが、「言葉」といえるかも?または、「考えることを考えられる」ことかも(純粋思考?)。
「言葉」がすべてのもとである。なにかの成功法則みたいだが、これを完全に理解できた時、唯物論的な思考から脱却でき、周りが全く違って見えるのだろうと思うのだが、それには考えなくてはならないようだ。
考えるのは、あまりしないほうがいいのかと思っていたがそうでもないようだ。ただ考え方が問題のようだ。
- 2006/01/25(水) 00:52:19|
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まず、
前回の続きで新約聖書のヨハネ福音書の8章~の読み合わせ。
「指で地面に何か書いておられた」というのはカルマの意味らしい。
続いて「
いか超」の読み合わせ。
P82~P88まで読み進めることができた。
●「準備」と「
開悟」を正しく続けたものは「試練」が当然の結果として現れる。
●第一の試練「火の試練」=「霊的燃焼過程」
自己信頼、勇気、不撓不屈の精神を健全に育成する努力を重ね、苦悩、幻滅、失敗を魂の偉大さ、特に内的平静と忍耐力とをもって堪えぬく術を知ること。
●「火の試練」のあと、「隠れた」(オカルト的な)文字(神秘文字)を解読しなければならない。(→見るものすべてに書かれているような文字なのだろうか?)
●「人類と世界の助力者たち」=意識することなしに神秘文字の中にある生活上の基準を果たす人たち。神秘学徒との相違は、意識的に全体の関連を考慮しつつ行うか否かに過ぎない。
(所感)
霊界参入すると試練が沢山次から次へとくるようだ。シュタイナーは神秘文字がそこら中に見えたということか・・・。エクササイズするのを忘れている・・・。
- 2006/01/20(金) 13:34:28|
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前回の続きの第十講の読み合わせ。いつもの場所は「いずみの学校 高等部」なのだが、まだ、学校が始まっていないので寒い。そのため、主催者の方のお部屋ですることになった。(たくさん本がある!)
●頭を球に、物質界において比較的完結した形。隠された部分が最も少ない。胸を三日月形に、背後が体として現れ、その前方は目に見えぬ魂の領界。肢体は球の半径の部分が可視的になり手足としてあらわれている。
●頭の中にも、肢体があり、それは、上下の顎骨。
→英語版しかないようだが、医学的に、腕や足の骨が、どのように上下の顎骨にメタモルフォーゼしているかの本があり、図の部分しか理解できないが、目で見るとよく分かる。(メタモルフォーゼって、フラクタル(相似)の拡張された様なものなんだと初めて気づく)
→
治療教育講義を読んでいる最中だが、丁度、手足が大きく、頭の下半分が発達した子の実例(第六講)を読んでいるところ。(シンクロしている?)
●血と筋肉は意思の組織。
→血は自我の物質的な表れとか
オカルト生理学で読んだのだが、この辺がまとまらない。(自我は、霊の入れ物?)
(所感)
やはり、意思と思考と感情と反感と共感と認識と記憶と想像力と概念と形象作用と表象と・・・、この辺が整理できていない!
日本アントロポゾフィー協会がもめているらしい。なんでもNPO法人化したことにより、経済的な事務処理で、経済的な課題が多くなり、物質的な事柄が増えよくないとかなんとか・・。なんだか、シュタイナー関係は、分裂が好きだなあ。(高橋巌さんも子安美知子さんもこれには属していないらしいし。)
- 2006/01/15(日) 15:02:59|
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「教育芸術1」の第十四講→「教育芸術2」の第十四講→「教育芸術2」の第十五講まで読み、3冊の本を読み終わる。(
12月25日~
1月6日まで参照)
現代になって大きくずれてきたらしい一般的な教育方法をいかに正常に戻すかが難しいことを長く読んだような感じである。
理想的な授業をしたいが、国によって授業内容が規定された現代では、シュタイナー学校だけで理想の教育をしたところで、途中から転入してきた子供と、最初からシュタイナー学校にいる子供を同じクラスで授業しなければならない。相当難しいだろうことは想像がつく。
また、シュタイナー学校を卒業したら、普通の一般社会で仕事ができるのか?社会に馴染めないのではないか?という疑問もよく聞く。3冊の本を読んだ限りでは、逆に感じた。普通の教育の方が、社会や生活との関係を説明しないまま教え、シュタイナー学校は、実社会で応用できるように教えるのではないかと思える。
私自身は普通の学校に通ったので、いつも「この授業は将来役にたつのだろうか?」と思いながら勉強していた。しかし、シュタイナー学校は、実生活や実際の歴史をからめて、算数や国語などで教える内容がどのように関わっているかを、人間の成長段階に合わせて授業をすすめて行く。
そして、「生きた概念」を身につける。私的な解釈では、応用でき、体験するたびに変化・成長する概念。
一般の教育は「死んだ概念」を教える。応用が利かない。覚えるだけ。大人になっても何も変わらない概念。まさに詰め込み教育。
一般の教育を受けた私は「生きた概念」を、ある程度、思考的な部分では獲得できていると思った。(ヨメはできてないと思う)だけど、芸術や感情関係が乏しい。(ヨメは感情派)
結局、生まれもった性質が大きいような気もする。でも、シュタイナー教育は、普通の教育よりは理解しやすい授業だろうし、バランスのとれた人になれるのでは…とは思う。ただ、卒業間近にならないと、教育の成果が目に見えた形では分からないのだろう。(理想に近いシュタイナー教育が日本では少ないだろうし、両親の実生活も大きく影響を与えるので一概には分からない。)
どちらにしても、親としてでもシュタイナー教育に関わるのであれば、この3冊は必読だろう。
(いくつ必読する本があることやら…。でもこれは一番はずせないかも)
北海道伊達市の14日目
日照時間 1.4時間、最高温度 -3.6℃、最低温度 -10.9℃
- 2006/01/08(日) 00:54:17|
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聖なる十二夜に引き続き、13夜である。ナザレのイエスの体でキリストが誕生した祭、キリストの公現祭。(
13聖夜参照)
キリスト教としてはお祭りの様ですが、特に何もお祝いはしませんでした。(キリスト教徒ではないので)
ヨメの日記参照。
我が家、恒例の一日断食をしました。
前回から一週間たちましたから。本当は、新月から満月に向う間は、断食はあまり効果がないようなのですが、週一一日断食は健康によいらしいので、してます。公現祭として断食して身を清めるのもいいかも?と思いこの日にしました。
いい天気だったので薪割りをしてもよかったが、断食してますから、本日はゆっくり。それでも
昨日の農業講座のBlogを書いたりのチョットした作業はした。息子が周りでウロチョロしてもパソコン作業ができる様になってきた。
なんだか今日は、スムーズに一日が過ぎた。御飯を食べないだけ時間ができたからだろう。いや、断食しているから、気持ちが穏やかになって子どもに穏やかさが伝染したのかもしれない。いや、子どもに対する自分の心持が穏やかだったのかもしれない。どちらにしても一日断食に悪いことはない気がする。経済的にも。
「教育芸術1」の第十三講→「教育芸術2」の第十三講→「一般人間学」の第十四講まで読むことができた。「一般人間学」は読み終わった。再度、読み直さないと理解が深まらないことを痛感する。明日で2冊も全部読み終わるとしよう。
寒かった。断食のせいもあるが。気温も寒かった。
北海道伊達市の13日目
日照時間 4.5時間、最高温度 -3.7℃、最低温度 -11.1℃
- 2006/01/06(金) 21:16:14|
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聖なる十二夜、12日目。(2006年12月がどう関係するか)
ヨメの日記も参照。
十二夜も本日で終わる。やっと終わる。長かった。この記事も今日で終わるか?十三夜まで書くか?
十三聖夜についてはこちらに詳しくあります。
Xoopsでサイトを構築してみた。まだ深い部分は理解できていないが、何とかサイトらしくなってきた。確かに楽。でも、すべて
プログラムで表示。
年賀状を作ってほしい知人が来ることに。去年も同じ日に同じ人がきて年賀状を作った。今年は、パソコンで文章が書ける指導をしてほしいとのことで、パソコンとプリンタを持参。
年賀状の裏面は、去年のデータがあるので、すぐに作成できた。持参したパソコンのプリンタ出力ができないのをチェック。「通常使うプリンタに設定」が正しく設定されていないだけだった。正常印字確認。Wordがインストールされていたので、
Word指導をして年賀状の表面の文章を入力して印字。
本日は、今年初の
農業講座の勉強会なので夜飯を軽く済ませる。というか、息子が寝む寝むなので、まともに料理できないままの御飯だった。仕事の来客があったから仕方ないのだが、息子の眠る時間がいつがいいのかさっぱり最近分からない。昼寝をさせようとするがなかなか寝ない。寝たとしても変な時間におきて夜まで起きたりする。寝ないままだと、夕方荒れる。打開策が現状見当たらない。
「教育芸術1」の第十二講→「教育芸術2」の第十二講→「一般人間学」の第十三講まで読むことができた。十二夜は終わるがこの本は第十四講まであり、「教育芸術2」に関しては第十五講がある。過度の精神労働は、不眠症。過度な肉体労働は嗜眠癖。あまりに精神的に苦労し、難しい書物を読み、読みながらも同時に考えることを要求されると、眠りに陥る。(よくシュタイナーの本を読むと眠くなるのは…)目の前に提供されるものを本当の感性や理性で把握することに慣れない人たちは、最初の響きや最初のことばでたちまちうとうとし始める。(そうだったのか!)外へ向う労働は精神化しなくてはならない。内に向う労働つまり知的作業は血のめぐりをよくしなければならない。
楽天の「はくばく」が初売りセールのメールが!あの
有機うどん300g×20個入り1箱が半値近い値段で!数量限定だ!1時間で3個減った。このままでは明日の朝までに売れ切れてしまう!本当は2箱買いたい!が、この前アニューブランドうどんを2箱を買ってしまった。でも、この値段ならば、定価で売れば利益が出るくらい安い。ヨメは寝てしまっているので相談しないまま購入。欲を出さずに1箱だけで。
今日は昼間は暖かい日だったが、夜は寒かった。解ける様な暖かさはないのに雨漏りがひどくなってきた。新たな雨漏り場所を見つける。去年は、ただ気づかなかっただけで、こちらの方がひどいかも。
北海道伊達市の12日目
日照時間 0.4時間、最高温度 -2.7℃、最低温度 -7.8℃
[2006-12-25追記]
まだ12月終わってないけど、今年の12夜が始まるので一応記載。
糀作りを熱心にする。
豆よりを10kg手作業でする。発酵実験三昧でした。
気温もだいたい当たっている。仕事的にも先月ほどではないが少し忙しかったので、当たっているかも?
- 2006/01/06(金) 01:22:55|
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聖なる十二夜、11日目。(2006年11月がどう関係するか)
ヨメの日記も参照。
春、富良野から伊達に引っ越してくる予定の知人が、今日訪ねに来るので、昼飯の準備と、昨日あまりに多く降った雪かき。
私の息子と誕生日が数日違いの同じ3歳の娘さんをつれて知人(お父さん)はやってきた。娘さんは、お母さんから離れて旅行するのは初めてでご機嫌がななめ。
昼飯は、子どもと一緒に作れる定番料理「
ほうとう」
しかし、娘さんのご機嫌は直らない。ならば「
ガトーショコラ」はどうだ!しかし直らない。女の子は難しい。息子は食べるだろう。その前にご飯だけで機嫌が直る。
娘さんは全く食べないので、お土産に、玄米おにぎりと「ガトーショコラ」を渡したが食べてもらえただろうか?お土産として「ガトーショコラ」を包むとき、娘さんは泣き出した。ヨメ曰く、食べたいけど「食べたい」と言えない何らかの理由があると言う。確かにそんな感じであった。
駅へ送迎して行ったついでに、リンゴ箱もらいと昨日出せなかった年賀状を出す。なんだか、緊張していたことに気づく。さらに、図書館へ行く。
息子をヨメが寝かしつけている間に、電話。「ガトーショコラ」とおにぎりは、電車の中で食べたそうだ。お父さんと二人きりになったら落ち着いたのか。(私が緊張していたので緊張させたか?)電話先で、「おいしかったです。ありがとう」という娘さん。我が家の息子はこんなはっきりしゃべれない。女の子はやっぱり違うなあ。
「教育芸術1」の第十一講→「教育芸術2」の第十一講→「一般人間学」の第十二講まで読むことができた。
- 乳児の魂の喜び--キノコ、菌類
- 幼児期の始まりの魂の喜び、悲しみ、激情--藻類、苔類
- 自己意識の成立期--シダ類
- 四、五歳児から就学適齢期までの体験--裸子植物、針葉樹
- 七歳から十一歳までの初期の学校体験--平行葉脈植物、単子葉植物、一枚の花苞をもつ植物
- 十一歳児の体験--単純な双子葉植物
- 十二歳から十五歳までの学校体験--網状葉脈植物、双子葉植物、緑の萼と色あざやかな花弁のある植物
植物に対する正しい分類を知らないと人間も植物も正しく理解できない。人間は自分の中で鉱物を分解し、自分の中で植物界を反転し、動物界を霊化する。うーん…。
深夜は寒くなったがほぼ暖かい日だった。
北海道伊達市の11日目
日照時間 4.2時間、最高温度 -0.5℃、最低温度 -8.3℃
[2006-12-25追記]
前半は暖かい日が続いたが、下旬は寒い日が続いた。
通販の企画でアドベントセットを作ることになり、それでドタバタした。
ホラさんともこの辺から親交が増える。
薪が大量にきて一安心する。
仕事関係や心情的にも当たっているし、気温的には大当たりといえる月だ。
- 2006/01/05(木) 01:53:55|
- 聖なる十二夜(2005-2006)|
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聖なる十二夜、10日目。(2006年10月がどう関係するか)
ヨメの日記も参照。
すごい吹雪。視界が見えない。外に出られません。年賀状ようやくできたのだが…。
昼頃、外に出てみると、50cm位積もって、車は埋もれいる。
12月11日と同じだ。暖かい日から寒い日に極端に変わる時にこんな天気になる。
特に、やる気になれず、ボーっとする。正月だし。と思って、エウレカセブンをGyaoで見てしまう。本来は、テレビ放映するアニメなのだが、正月期間だけネットで無料で見ることができる。テレビはほとんどみないが、アニメだけは見たくなる。他のバラエティーやドラマはまったく見る気にならないけど。(あいのりだけは録画して見ている。)
ネットでテレビ番組が見れるのはすごいなあ。パソコンの性能が上がった上、回線が
ブロードバンドだからできる。私がパソコンを触り始めた中学時代には思いもよらない便利さだ。
Gyaoをみて、なんだかここ数日ノンビリしていないことに気づく。気分が落ち着いた感じだ。(これでヨメを叱らなくなるかしら?)
ヨメが昨日作った
パンプキン豆腐チーズケーキを食べる。かぼちゃプリンのような味だ。材料を入れ忘れたものがあるようだが息子も喜んで食べる。乳製品を使わずに作ると、いかにお菓子やケーキに油が入っているかを痛感する。油を1/3カップ生地に練りこむんだもんね…。1/3カップ…すごい量だ。
「教育芸術1」の第十講→「教育芸術2」の第十講→「一般人間学」の第十一講まで読むことができた。頭は、体は完成しているが夢見る段階(眠れる霊と夢見る魂)、胸は、体的、魂的、霊は夢想、肢体は、よく目覚めているが、体が未発達。肢体から頭を目覚めさせることが重要。母乳は大事。
今日も暖かい日だった。吹雪いたので明日からまた寒い日がくるのかな?
北海道伊達市の10日目
日照時間 なし、最高温度 0℃、最低温度 -2.4℃
[2006-12-25追記]
確かに10月にしては暖かい月であったと思う。でも、朝晩は冷えるようになってきたので、やはり、薪集めをすることにした。この月の前半は、腰痛があった。休めということだったのだろう。お金を払うような講座は受けないことにした。でも、
ミカエル祭・
秋祭りには行った。
息子が幼稚園に行けないことをヨメが気にしだし、ホラさんと育児サークルをすることになった。そして、
ホラさんのBlogを製作することになった。仕事的には9月末のものが長引いてするぐらいで暇であった。その分、薪集めを毎日のようにしていた。よく晴れが続いた。
温度と、仕事の状況は当たったかな。
- 2006/01/03(火) 22:24:57|
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聖なる十二夜、9日目。(2006年9月がどう関係するか)
ヨメの日記も参照。
ヨメが年賀状作りにギブアップしたので、私が画像だけヨメの指示通りに作った。
Photoshopや
Illustratorに嫌気をさしたみたいだ。
今日は朝からあたたかく、雨漏りが再開。チョット点検したが、屋根の上の雪は凍りついていてどうにも落とすことができないのでそのまま放置することにした。
昨日の年始スーパ行事を見て、1月2日初売りをするJA(伊達市農協Aコープくみあいマーケット)行かねばと思っていたが、行く気をなくしていた。それを鵜呑みにしたヨメと息子が行きたがったので、しぶしぶ行くことにした。
行こうとして車を動かすと大きな音が!壊れたか?外をみると、コンテナがバンパー下に挟まって、前にも後ろにも進めなくなった。息子がコンテナを押して雪遊びをしていたのをヨメがそのまま片付けなかったので、運転席からは見えない位置にコンテナが置いてあったのだ。他にも日頃のヨメの片付けなさを思い出してまた叱ってしまった。
ジャッキアップをしてコンテナを出した。これがまた、前輪左の車輪あたりである。去年の11月にパンク、12月にベアリング不良修理と同じ車輪である。なんかあるのか?
意気消沈したがJAに行く。やはり予想通り何もしていない。なにか抽選会があるようだが何か買わねばならないのでできない。なにせ昨日御札を買って小銭だけになったので。
これだけでは、街まで出た甲斐がないので、ダイエーに行って、リンゴ箱をもらう。そして店内に入ってみるとビンゴ大会があるようだがレシートがないとビンゴができない。さらに、つまらないので、ウロコに行ってみると5日まで営業しない。しょうがないので図書館の会館日だけをチェックして帰ることに。
駄目モトで伊達信用金庫へ行くと、ATMが稼動している!特に年末年始のATM稼動案内がない。ということは365日無休のATM!それは知らなかった。土日祝関係なく伊達信のATMなら引き出しいつでも無料。伊達信やるなあ。でも
ネット銀行を今後使うと思うけど。
「教育芸術1」の第九講→「教育芸術2」の第九講→「一般人間学」の第十講まで読むことができた。
オカルト生理学みたいになってきた。何処にでも中心がある・・・?
暖かい日だった。最高気温が久々に0℃以上になったはずだ。屋根の雪が、沢山解けた。なのに雨漏りは、一番解けていた昼間に止まった。ある程度解けたら雨漏りしなくなる雨漏りかも?春先にまた雨漏りしそうだ。
北海道伊達市の9日目
日照時間 0.9時間、最高温度 4.0℃、最低温度 -3.0℃
[2006-10-15追記]
実際の2006年9月は、まだまだ暖かい。例年、8月下旬から秋の風が吹くのだが、明らかに寒い日は数日。
iMac故障、
札幌農業講座の行きで
ネズミ捕り・・・。さらに、玄麦の購入、石臼の目立て代、
オーガニックコットンの購入などなど、大きな出費が続く。ヨメはようやく、自分のペースを取り戻しつつある。無理はしない方がいいというのを実感。(
日記参照)
お金がなくなる事と気温が温かいのは当たった。ネズミ捕りは、コンテナと一致するのかな? ヨメを叱ったかな?(どちらにしてもヨメにはきつい年だと思う)
今年は薪が入手できないとあきらめモードの私。(これもヨメにはきついかも?)
- 2006/01/02(月) 23:03:20|
- 聖なる十二夜(2005-2006)|
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聖なる十二夜、8日目。(2006年8月がどう関係するか)
ヨメの日記も参照。
届いた年賀状を息子と取り合って見る。年々減っている。そりゃそうだ。我が家からは、みつやん通信(紙媒体)を年に数回送っていることで、近況報告の代わりにしている。年賀状は、親戚関係がメインで出すのだが、今年は、まだ作れてもいない。ヨメがんばれ!
正月だ。だいぶ前に
購入しておいて食べずに我慢しておいた餅を食べられる。雑煮を
薪ストーブの上で作り出すが、餅を焼いてから入れるかそのまま入れるか悩んだので、両方入れてみることに。焼いている方に気をとられている間に、そのまま汁に入れた餅が溶けてしまった。(機械搗きはこれだからダメだね。いつか餅つきをしたいものだ。)
雨漏りの原因部分と思われる屋根の上をほんの少し雪下ろし。もしかして氷柱(つらら)をこまめにとればよいのかもと思う。氷柱を放置するのは、よくないことかもとしれない。
天花地星のサイトトップを放置するわけにもいかず、店舗に写真を撮りに行き、更新をする。
初詣に向う。伊達神社の周りは、渋滞というか、路上駐車だらけになっており、駐車できない。ココ以外の神社は知らない。ココが多分一番大きな神社なんだろう。(
引っ越して2回目の正月)
仕方がないので、ポスフール(大型ショッピングセンター)にでも行って時間をつぶそうとするが、こちらも駐車場がいつも以上に入れなさそう。ならば、JA(伊達市農協Aコープくみあいマーケット)に行くが1月2日からの営業。では、ダイエー(都会のダイエーとは違い、スーパのみのダイエー)に行く。ついでに
リンゴ箱をもらいに行くと、すごい数のリンゴ箱が放置させていた。この時期リンゴが売れるんだなあ。正月だし。(リンゴ箱をとりに来る人がいないだけか?我が家だけ?)
ダイエーに入ると、餅つきをしていた。スーパで餅つきのイベントするなんてはじめて見た。(田舎では当たり前?)本来は、子どもが参加する餅つきなのだが、餅がまだつぶつぶなうちは、店員さんや大人のお客さんがついて、ある程度、出来上がったら、子どもの出番になるという段取り。店員さんのリズミカルで軽快な動きが、ヨメと息子に大受けしたようだ。ジーッと見続けている。子どもが何人かつくと、無料でお餅がもてなされ、得した気分。
ダイエーの店内のチラシを見ると、正月三日間はイベントを何回かしているようだ。それならば、ポスフールにもイベントを求めて行く。ポスフールは黙っていても人だらけだからイベントをする必要がないかもとあきらめたとき、「子ども餅つき大会」のアナウンスが!
待っていると、ダイエーとは違い、すでに搗かれたお餅が石臼の中に入れられ、即座に子どもがつける状態になる。効率的だ。ダイエーの餅つき大会は、ポスフールの真似か?(ダイエーは人が少なかったし)こちらでは我が息子も参加して餅をもらう。やはり、機械搗きの味がした。味ではダイエーの方が勝ちだね。(そんなことはどうでもいい)
家に帰る途中に再度伊達神社へ寄ると、路上駐車があり込み合っていたが、タイミングよく出る車がありすぐに駐車場に止める事ができた。人はそんなに多くなく、駐車後すぐにお参りできた。ようやく初詣ができた。みんなおみくじを買うのに並んでいる。御札がほしいので社務所へ行き買う。3000円と聞いてびっくり。財布には3000円チョットしかなかったからだ。丁度あってよかった。銀行やってないからなあ。
息子は夜ご飯を食べずにすぐ寝る。(二箇所でお餅を食べたし)息子が寝て、なんだか疲れたヨメが料理にパワーをかける気をなくした様子。私が炒め物をするのが好きなので、昨日、蕎麦三昧で余ったご飯をチャーハンにした。さらに残っていた蕎麦湯を汁にして頂いた。蕎麦湯がうまいなあ。
昨日に引き続き
Xoopsの調査をする。ようやく、なんとなく、使い方が判ってきたような…。
「教育芸術1」の第八講→「教育芸術2」の第八講→「一般人間学」の第九講まで読むことができた。第九講を読むのは二回目。
一回目に「羊飼いの子犬と、肉屋の子犬と、クッションの上の子犬とを扱った物語」と「ホフマン・フォン・ファラースレーペンのスミレの詩」が具体的にどのような内容かはわかったが、「世界は道徳的である」にどのようにつながるのかは、チョットよくわからない。(道徳という意味が分かってないんだ)
今日は暖かい。薪ストーブをつけなくても平気なくらいだ。0℃近辺だと思うが、雨漏りが再開…。雪下ろしは意味がなかった様だ。
北海道伊達市の8日目
日照時間 0.1時間、最高温度 0℃、最低温度 -5.1℃
[2006-10-15追記]
実際の2006年8月は、ようやく暑くなり、雨が全然ぶりませんでした。ほとんど、干ばつ。大根がたくさん採れたが、小さな大根でした・・・。種まきしても、全然成長しないものばかり。ヨメは、知合いとケンカや、子どもの昼寝がうまくいかず落ち込み気味。(
日記参照)
大根が餅だったのかな。7月までの窮屈感が解放された事(年始のイベントの楽しさ)のと、暑いことは当たった。
- 2006/01/01(日) 23:46:26|
- 聖なる十二夜(2005-2006)|
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聖なる十二夜、7日目。(2006年7月がどう関係するか)
ヨメの日記も参照。
昨日からの続きで
Xoopsの調査。色々な機能が実現できる代わりに、設定がわかりづらい。理解するのに結構な時間がかかりそう。(シュタイナーも色々な事を多岐にわたって説明しているが、本当に役立つことを理解するには相当の努力が必要なのと同じ?)
昼に、年越し蕎麦をヨーコさんが届けてくれる。「年越し蕎麦の由来」が書かれたチラシが共にあった。それによると諸説が5つあり、その中の一つに「年の瀬を越せない人に蕎麦を振舞ったことから翌年からみな運が向いてきたため」とあり、我が家は「年の瀬が越せない人」に見られているんだろうなあ…。確かにそのような家計かも…。運が向いてくることをお祈りしよう。ありがたく頂きました。生蕎麦は久しぶり。かき揚(天ぷら)も久しぶり。蕎麦湯までおいしく頂きました。
本当は除夜の鐘を突きに行こうと思っていたが、23時ごろからと聞いて、ガッチョシ。息子が絶対起きていられないので無理。でも、あきらめきれないヨメは、お寺に向うが、やはり19時では誰もしない。知合いのお坊さんの家に強引に行くが、夜仕事のため寝ていらっしゃった。ごめんなさい。(何の用事もないのに行くか…ヨメは強引だ。)
帰ってきて、息子を寝かせた。早めに、年越し蕎麦を食べたのでお腹がすき、
さがえそばを食べる。年越し蕎麦を2度食べたらどうなるんだろう…。
「教育芸術1」の第七講→「教育芸術2」の第七講→「一般人間学」の第八講まで読むことができた。第八講を読むのは二回目だが、やはり
一回目以上の理解ができていないような…。(
魂の扉・十二感覚を読んだのに)
毎月、新月の晩の前の晩に、願い事を書いて燃やしている。結婚する前に海外の有名なヒーラーに個人セッションをしてもらい、「あなたは、希望や要望を伝えなさ過ぎる」と言われ、この願い事をすることをすすめられました。新月~満月は満ちていくのでその前に願った事がかなえられやすい時期らしい。本来は、昨日が新月の前の晩のなのだが忘れて寝てしまったので本日した。
昨日よりは暖かい。雨漏りが少し再開し止まった。
記事を書いているうちに年が明けました。シュタイナーを実践しようとしてる家庭はテレビを見ないので、我が家も見ないまま年明け。普通は紅白をみてるのかな。
北海道伊達市の7日目
日照時間 4.4時間、最高温度 -2.0℃、最低温度 -11.9℃
[2006-10-15追記]
実際の2006年7月は、まだまだ、涼しい。引き続きのBGGの仕事が少し。畑に集中し、種買いまくり、追加の畑も借り、
サイトも作る。私の両親が月末に来る。ヨメは、今考えれば、不満爆発な状態になっていた様子。託児もうまくいかなくなる。(
日記参照) 年の越せない家計に再度なった感じ。
- 2006/01/01(日) 00:47:00|
- 聖なる十二夜(2005-2006)|
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