身近にトラブルや事故などで金銭的に支払っている人いません?
シュタイナーとは関係ない話かもしれないが(私は関係あると思っている)、私の経験上、そのような人はだいたい、支払っていない人。何を支払っていないかというと、お金だったり、労力だったり。
したい事のためにボランティアを募って作業してもらい、それに対する対価を支払っていなかったり、また、何かもらったりした場合に、お返しをしていない人など。
お返しは、してもらった人やくれた人にする必要はないが、得たものがあれば、他の人に何か出さなければ、余計な出費がかかる様に見える。出すものはお金じゃなくてもいいので、一概には分かりにくい(人知れず奉仕している人などは分からない)。
私の体験談としては、親からお金をもらったら、車のバックミラーが壊れて修理代同額かかったとか、また、逆に、損したなあと思ったら、臨時収入があったりというのがよくある。
また、無償奉仕をしている人に起こりがちなこととしては、怪我をすることが多いようだ。私は無償奉仕は嫌いなのでしないが、怪我、又は、いわれの無い叱咤を受けている人を見かける。(会社でのサービス残業している人が病気とかも同じと思う)
奉仕している人が怪我をするのは矛盾しているように見えるが、自分を偽って、又は、納得いかない状態でしている場合が多いように見える(奉仕している時以外で怪我や叱咤を受けるので分かりにくい)。
ボランティアは長くしないほうがいいということだ。長くなるとボランティアをしてもらっている人は当たり前と思ってしまい、感謝しなくなる(ボランティアに怒ったりする)。ボランティアはあくまで一時しのぎと考えねばならない。
結局、対価を支払わない、受け取らないことは、どちらにとっても不利益にしかならないという結論だ。
オカルト生理学で「血液は自我」と書いあるのを見て、お金について思った。なぜならば、お金は経済の血液といわれているからだ。
人間しかお金を使用していないのをみるとお金は
自我の表れとも解釈できる。
お金は、物質的な側面と精神的な側面の両方を兼ね備えており、自我と類似している。
お金の使い方で、その人がどのような人かだいたい分かるし、その結果として、物質的に豊かかどうかもわかる(短期間には分からないことも多いが)。
シュタイナーを勉強するより、お金のことを勉強した方が精神的に成長できるのではないか?と思ったりする(斎藤一人さんはすごい人だと思う)。
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- 2005/03/23(水) 12:22:26|
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キリスト教では嫌われている数字だが、本来はとてもよい数字。
ルカ福音書講義にも記載はあるが、13という数字については、シュタイナーから外れて、マヤ暦からの方が分かりやすいと思う。
13という数字は、12という世界から一つ段階が上がったという意味。
要するに、12とは、現在の世界のことである。(色々なところで12という数字が使われているのはご存知のとおり)
13とは、この現在の世界から一つ段階を上がった世界、進歩した世界を暗示している数字。(この意味を隠すため昔のキリスト教の特権階級の方々が不吉な数字として広めた)
マヤ暦は、13の数字を使った暦がメインであり、進歩した世界を目指したマヤ人のあらわれである。(マヤ人は都市を残して忽然といなくなったが、進歩してしまったために
肉体が不要になったのではと思っている。)
マヤン・カレンダー関連本



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マヤン・カレンダー
- 2005/03/03(木) 01:39:16|
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佐藤公俊さんのHPで
13聖夜が記載があり、うれしい限りだ。
13聖夜とは、クリスマスから13日目の1月6日のことで、イエスが30歳の時、ヨハネの洗礼を受けイエス・キリストとなった日で、顕現節というキリスト教のお祭りだ。(ネットで調べるとクリスマスから十二夜だから1月6日にお祭りがあると記載があり、なにかの間違いではないかと思うが)
このことは、
ルカ福音書講義に記載されている。
13という数字は嫌われている数字だがこれがキリスト教の祭りにかかわっているところが面白い。
- 2005/03/03(木) 01:09:09|
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