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シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

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「すごい畑のすごい土」を読んで

ひさびさの更新なので、だれも見ていないと思うけど、備忘録として書いておく。

映画にもなって「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんの農法(自然栽培という名称)が一般的にも知られるようになった?なってない?私が知った10年前に比べればすごく有名になったことは確かでしょう。そのためでしょうが、今まであまりなかったバッシングを見かけるようになりました。

「無肥料でできるわけがない」
「無農薬といっているが、法的にみれば、わさびも農薬だ」
「窒素固定細菌で窒素は足りるかもしれないが、窒素以外のものは足りなくなって長くは続かない」
「実績を公開していないので、まだまだ農法としては未完成で有用ではない」
などなど。

今までの農学からすれば、説明できないことが多いし、お客さんから「なぜ無農薬で作らないの?」と聞かれることが多くなってしまったリンゴ農家の方からのバッシングになっているように感じます。

木村さんからすれば、農学と対立したいわけでも、同業者と対立したいわけではないので、私の勝手な解釈では、その釈明のために初心者でも分かりやすい「土の学校」という本をだしたのかな?と思ったり、理論的な部分で本書「すごい畑のすごい土」が出版されたのではないかと思ったりしています。


理論的な部分を説明はしてますが、まだ科学的に解明されたわけではないので、ほぼ推論になっています。でも、いままで無肥料栽培の漠然としていた部分が多少説明できるように思います。

以下引用
「単純で均一な環境条件で競争が起きた場合」「必ず勝者と敗者が生まれ、勝者が資源を独り占めする」(P55より)
「同じニッチをもつ種は必ず競争をし、その結果、勝者と敗者に分かれるので共存はできない」(P56より)
「ニッチの分化は競争者間の共存をもたらす」(P56より)
「ニッチの分化は多様な群集をつくる」(P59より)
「ニッチ分化が進むと、今まで未利用であった生態系の資源を有効に利用するようになり、その結果、生物群集全体の資源効率が増加する」(P62より)
「大事なことは、多様な種が集まることではなく、多様になることで生じる生物間の関係が発達し、生態系の機能変化に結びつくことです。」(P67より)
「自然栽培では、窒素を多く含む家畜の糞尿由来の堆肥の施肥を行いませんが、それは微生物が直接利用できる窒素が増えることで、土壌微生物の構造が変わり、窒素要求性の高いグループが優占するのを避けるためでもあります。」(P83より)
「木村リンゴ園では、リンゴの木と寄生蜂にコミュニケーションネットワークが発達し、そのネットワークが農薬の代わりに害虫の大発生を抑えていると考えられます。つまり、木村リンゴ園で害虫の被害を抑えているのは第二の「生物の力」であるこの「生物間相互作用ネットワーク」なのです。」(P114より)
「日常生活にあふれる抗菌性の化学物質が、私たちの体を構成する腸内細菌群集の構造を変えることで、私たちの健康機能を変えている可能性は充分考えられることです。」(P134より)
「具体的には、(1)農地の生物多様性を豊かにすること、(2)攪乱により生物社会をコントロールすることを意味します。」(P153より)
「水田地帯の真ん中にリンゴ園をつくっても、一面のムギ畑にリンゴ園をつくっても多様な生物が集まる保証はありません。近くに林があり、草地があり、畑があるように、地域に多様な景観があることが農地の多様な生物相をつくる上で重要です。」(P155より)
以上が本書からの引用ですが、
以下、シュタイナーの「農業講座」からの引用

「森や果樹園、潅木林、自然の菌類繁殖地などを正しく配分するならば、たとえそのために耕作可能な畑がいくら減ったとしても、農業にとってきわめて有益な状態が生みだされます。いずれにしましても、大地を広く耕作地にしてしまい、私が述べてきたようなものを全部なくしてしまいますと、けっして経済的によい結果は得られませんから、耕作地を広げさえすれば、もっと多くの作物お植えることができるなどと考えるのは、間違っています。」(P282より)
「いかなる種類の無機肥料も、それで農場を施肥しますと、しだいに作物の栄養価を失わせてしまうように作用するからです。このことは一般的に通用する法則です。私が述べてきたことをそのとおり実行するならば、三年に一回以上施肥する必要はなくなります。たぶん四年か六年ごとに一度施肥すれば十分になるでしょう。人工肥料はまったく使わなくてもすむようになります。」(P262より)

シュタイナーも同じようなことを言っているのではないかなと思いました。(これが言いたかっただけ)

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  1. 2013/09/26(木) 12:26:10|
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日本で一番まっとうな学食

日本で一番まっとうな学食
日本で一番まっとうな学食 自由の森学園 食生活部の軌跡を読んだ。

自由の森学園の卒業生がこの本の著者。
「学園では全国から生徒が集っていたため、いくつかの寮があった。そこに住む寮生の3食と、通学生のための昼食をまかなう食堂では、当時から化学合成農薬を使用しない農産物や契約栽培のお米、投薬をしていない肉を仕入れ、400円程度でまったく無添加の伝統食を生徒に食べさせていた。漬物や梅干しも自家製、菜種の圧搾油を惜しげ無く揚げ物に使い、ハム・ソーセージには発色剤を用いないものを仕入れるという徹底ぶりだ。もちろん化学調味料も一切使用しない。」(はじめにP1より)
25年ほど前から、寮生の3食と、通学生のための昼食をまかなう食堂「食生活部」!
食生活部の中の人は、この食事を普通と感じていて、自由の森学園の食堂の特異性をあまり認識していなかった。著者である卒業生も在校中はそんなにすごいとは思っておらず、卒業後年月がたってから考えるとすごいことと認識し、本を作ることに。

「「赤ん坊に与える離乳食は食材も選び、消化のいいようにすりつぶしたりとすごい手間をかけている親たちも、その子たちが中高生になると子ども任せになってしまいがちです」と泥谷さんは嘆く。中学・高校の時期は体ができあがる時期であると同時に、味覚も形成される時期でもあるため、この時期に食べるものは幼児期と同じく重要だというのが食生活部の考え方だ。」(P14より)

「子どもが学ぶことと競争原理との関係は、食べ物と食品添加物の関係ににているといえるかもしれません。(注略)添加物がすべてダメだなどとは思っていません。でもできることなら、その量を少なくして素材の味を大事にしてほしいですね。
 それにしても、学びに対して使われる「競争原理」添加物は、始末が悪い。それは、学ぶ子どもたちから素材の味、すなわち学ぶ面白さや醍醐味を奪ってしまうからです。テストの点数のために勉強するという傾向がそれです。」(P137より)

著者の記事を見つけました→「ひとつのライフワークが結実した。僕が愛する母校・自由の森学園の食堂の本ができました。

千葉にぽっこわぱ耕文舎があったころの話も少しあり。(祥子さんのお母さんがこの学校に関わっていたんだ)

人気のメニューのレシピが10個載っていて実用的ではないかな。梅干は我が家でも毎年作るけど、ピクルスや昆布の佃煮はすごいなあと思う。このピクルスは普通のきゅうりを使う。きゅうりって、ある時期に食べきれないほど大量にできるんだよね。一度保存食を何回か作ったんだけど、失敗した。きゅうりのおから漬けは腐らした記憶があり、きゅうりをそのまま塩漬けにしたこともあったけど、塩が大量に必要で、食べるとき洗い落とすからすごくもったいなくてやめた。この本の保存法ならいいかもと思う。昆布の佃煮は、ダシをとった後(沸騰直前に昆布を取り出した後にカツオダシをとる本格的なダシのとり方)の昆布を佃煮にしているところがすごい。(カツオも何かに使っているじゃないかなあと思ってしまうが書いてない・・・。)
食品の購入先リストも載ってます。

食生活部が存在するだけで、この学校に通わせる意味があると思ってしまう。シュタイナー学校が理想だといって、理想をそのまま形した学校に行くよりは、この食生活部を身近に見る事にできる学生のほうが、何倍もよい影響を受けるのではないか。理想を達成した状態を維持することが重要ではない。表面的に理想的な教育をしていても、その裏方である現実的・金銭的な部分が全く成り立っていない状態は子どもに対する教育としてはマイナスになるのではないかとさえ思う。理想から遠く離れた教育現場だとしても、現実と理想の間で、どうしたら理想に近づくかと考え、すこしづつ理想に近づいている過程やその姿勢が一番重要で、その姿が教育になると思う。その場所だけ理想が実現しても意味が無い。その周りや関わる人たちを巻き込んで(無理やり巻き込むのはNG)地域に根ざし徐々に変化していくこと。そしてその姿勢にゴールはない。

原発問題を見ていると、原発問題に限らず表面的に取り繕っていることが多すぎる。表面的には「安全」と言っておきながら、全然安全ではなかった。表面的には「理想の教育を実施しています」と言っておきながら、その教育の実現のため先生が大変なのに父母は文句ばかりだし地域からはサポートはなく先生だけが無理してがんばって、うつ病になって辞めますとか、その教育の実現にお金が足りなくて、お金がないから担任の先生は生活が苦しくて辞めていきますとか・・、それで理想の教育できるの?と疑問に思わないのだろうか・・(また愚痴を・・・すみません)

食生活部だけでも十分学校の機能をもっているような気がした本でありました。

  1. 2011/06/14(火) 23:46:11|
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これからのシュタイナー幼児教育

これからのシュタイナー幼児教育
これからのシュタイナー幼児教育を読んだ。

いやはや、入間カイさんの今まで言いたかったことをまとめたという感じの本です。シュタイナー用語もほとんど出てこないので、分かりやすい内容になっています。

ですが、できれば、シュタイナー業界にどっぷり浸かっている人に読んでほしいです。

まったくの初心者でも分かるように書いてあるので、はじめての入門書としてもいいと思います。この本を読んでから、他のシュタイナー本を読んだほうが、後々の理解を深めるときに問題が少ないと思います。シュタイナーにどっぷり浸かっている人が読んで、テレビは見ないべきとか、シュタイナー教育は理想の教育とか、言わないようになってほしい。(個人的には、テレビは見ないほうがいいとは思っているがどんなことでも押し付けるのはシュタイナーの本意ではない。「こうすべき」と言った時点で、シュタイナーとは逆の事をしていることになる。そういいたくなる気持ちは分かるけれど。)

入間カイさんの言いたかったことは、私が言いたかったこととほとんど同じと思います。(個人的にはまったく面識ありませんが、理解の深さは私の方が圧倒的に浅いですけれど、Blogとか記事とかを読んでいると同じ考えだなあとよく思っていました。)

なぜ(Why?)という問いに答えていない現代科学。どうなっているか(How?)なんだよね。結局、トートロジー(同語反復)。なぜ、こうなるの?と聞いても、細かく言い直すだけが現代科学。(なぜ病気になるの?と聞けば、ウィルスなり、ばい菌がはいってきて、体のこの部分がおかしくなるからとか答えるだろうけれど、これってなぜ?の答えじゃない。) だから、血の通った科学にならない。

最後に純粋思考でまとめたのは、少し引っかかるけれど(純粋思考は、思考を思考することだと思っていたんだけど。思考を思考しても「温かい血の通った思考」になると思うんだけど)。。ツッコミ(アーリマン)になってしまったかな。このツッコミはまちがっているかもしれないし。。

最後のあとがきの、ボケとツッコミはわかりやすいルシファーとアーリマンの表現だ。アーリマンとルシファーのあいだにキリストがいるのでキリストがなんになるのか?笑いか??(笑いはガンも治すこともあるから、それほど外れてないかも?)



【備忘録】
(このようにまとめてしまうのはよくないけれど、気になるところを忘れないうちに。間違っているかもしれないし)
自由(歩く/意志)、平等(話す/感情)、友愛(考える/思考)
天使(家族/第一・七年期/水の体)、大天使(地域社会/第二・七年期/風の体)、時代霊・精神(人類/第三・七年期/火の体)


  1. 2010/10/19(火) 22:14:21|
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テレビとプラスチックのおもちゃについて

不安げな子・寂しげな子・落着きのない子(仮題)」を読んで

一応、こちらのBlogにも感想は書いたけど、基本的には十二感覚の基礎感覚(触覚・生命感覚・運動感覚・平衡感覚)が、いかに重要であるかを長年の教育カウンセラーとしての経験の上で書いた内容(基礎感覚はその人の将来の社会性に重要な影響を与えます)。ここでは、テレビと、プラスティックのおもちゃのみに絞って書く。本書は、以下のような内容は少なく、本書の本意を逸脱している感想であることをまず断っておきます。

「教育カウンセラーとしての多年にわたる経験から、はっきりこう言うことができます。「ある学童に集中力に欠けた病的な落着きのなさが見られたならば、それはその子が ―どのような理由からにせよ― 四~五歳までに充分な模倣活動がなされなかったことと関係がある」と。」(P40より引用)
シュタイナー教育では、幼児期の模倣をとても重要なことであるとしているのは、この文章からも分かる。多動児が増えている理由もこの辺にあるのではないかと思われる。

「模倣を経ずして想像性は目覚めません。」(P39より引用)
最近の社会人が想像性をなくしてしまったのは、小さい頃に模倣が足りないせいかもしれない。想像性がなければ、言われたことしかできない典型的なダメ社員になるだろうなあ。ゆとり世代・ゆとり世代と言って、ゆとり教育が原因のようなことも言われているけど、ゆとり世代以前から、少ないけれどそのような人はいたし、ゆとり世代ぐらいから、模倣ができる大人が、ゲームやマンガ世代だからしょうがないのではないかと思う。

「けばけばしい色彩がほどこされた玩具で無邪気に遊んでいる子どもたちを、無頓着に放っておくのはよくありません。なぜならば、いくら楽しそうにしていようとも、彼らは事の良し悪しなどまったく頓着せずに遊んでいるのですから。どぎつい色、まぶしい光、うるさい音・・・、いかにも刺激的な玩具の世界は、やがて彼らに退屈を覚えさせ、彼ら感性を鈍らせてしまうでしょう。私たちがこうしたことに無頓着でいるなら、それは、彼らの内なる芸術家を堕落させてしまうことになるでしょう。」(P42より引用)
これについては、最近よく思う。なんだか、我が家の長男(8歳)は、よくもらい物をする。どこか旅行途中でコンビニに行くと、そこの店長が、プレゼント期限の過ぎた景品をくれたり、要らないものをどこからかもらってくる(すごい才能だと思うけど)。でも、数日、長くても数週間遊ぶと飽きたといって、要らないと言い出す。もらうときは頂戴頂戴頂戴とねだるのに。次男(2歳)ももらってきたもので一緒に遊ぶけれども、だんだん、投げ出して、ぶつけたり、落としたりしだす。これは飽きたのか??と思ったりしてその時点で捨てることにした(本当は最初から捨てたほうがいいだろうけど)。逆に、木製のおもちゃなどは、はじめて与えたときは、全然興味なし状態。でも時々静かに遊んでいる。そういえば、そういうおもちゃは、投げたりはしないと思う(重いからかもしれないけど)。

そして、テレビを見せるのがよくないのは、
「テレビは、つけないようにしてください。テレビは健康な模倣にとっての、最強の敵の一つなのですから。」(P41より引用)ということである。本来の模倣ではない模倣になるからであろう。実際問題、テレビがあれば、見せてしまうのは、親としてはすごく楽なのはよーーく分かる(私自身がテレビっ子だったし)。なので、テレビは捨てました。でも、最近は長男はインターネットで見ることを学んでしまいました・・・。垂れ流しの内容を、受動的に見ているよりはマシ?一応、見たいという意志から見ることになるけど、やっぱり無条件に見せ続けるのはよろしくないなあ。でも次男は、あまり、興味がないようで、長男が見ていても全然みない。長男が次男の年の頃は、見たい見たいと言って見ていた記憶がある。

落着きのない子というのは、生命感覚が育っていない子どもであり、一般に(シュタイナー業界では)生命感覚は、身体の異常とか、体調の不調とかを感じる感覚とされているが、それも間違いではないが、本来は持続的に心地好い感覚を感じる感覚であり、本来体調に異常がなければ心地好い状態を感じるはずなのに、その心地好さを感じる感覚(生命感覚)が育っていないため、それを誤魔化そうとして、騒いだり、動き回ったり、感覚を感じないように努力している姿といえる。そして、以下のような症状が出てくるようになるとのこと。
「そのような子どもたちはしばしば、いわゆる神経性チックを見せるようになります。たとえば無意味な咳払いをしたり、目をぱちぱちしばいたり、かくんかくんと首を振ったり、無理に息を詰めたりするようになるのです。これらはすべて、自分自身を感じないですむように絶えず何かをしていることと関連しています。ですから彼らは、人間を吸い込む作用を持つテレビを異常なまでに好みます。」(P61より引用)
実際、長男もチックではないかとちょっと心配しているところもある。

そして、プラスティックについては十二感覚の触覚から考えて望ましくないとされています。シュタイナー自身が、プラスティックはダメと言ってはいないと思います(その時代に存在しないと思うので)。
「ここでまたルドルフ・シュタイナーを引用しましょう。「人間はある対象物と皮膚で出会います。・・・人間がその対象物に出会い、知覚するもの、それはもちろん皮膚の内に、身体の内に生じます。つまり・・・触れることによって生じるプロセスは、人間の内に生じます」言い換えるなら、触覚による知覚は、物質的・外的世界の直接的接触に応じる内的共振です。」(P78より引用)
まず、触覚というものは、一般的に物理的な肌触りとか触れているとかそんな感覚とされていますが、まちがってはいませんが、その感じた感覚を感じるには、内部で同じものを再現しなければ感じることはできないということ。触覚に限りませんが、聞いてて不快感を感じる音があり、それを聞き続けるのはなぜ苦痛かといえば、その音を内部で再現するからこそ、聞こえるのであり、再現するからこそ、不快と感じてしまうわけです。自分の中に同じものがなければ感じることができないということです。(怒りなどもおなじですよね)

「プラスティックは、心地好く響く振動も不快に響く振動も生み出しません。それは魂の内に無の感情を、不安な虚無を広げます。それはたとえば、美しい音色を聞こうとしてハープの弦をつまびいたのに何も聞こえてこない、といった感じに似ているでしょうか。もちろん、聴覚の場合とは異なり、触覚の場合にはすべてが無意識裡に生じています。(中略)(プラスティックは、)少なくとも子ども部屋では見ないようにしたいものです。私たちはそこでだけは、原理主義者であってもよいのです。絶え間なく点滅しているネオンの光を子どもに浴びせつづけていれば、その子はすぐにも視覚障害を持つことになるでしょう。子どもに多くのプラスティック遊具を与え、さらに化繊の衣服を着せていれば、それはその子に触覚障害を持たせるように手助けしてくれることになるでしょうし、さらに、生命感覚にも障害をもたらしてくれることになるでしょう。なぜならこの二つの感覚は、極めて密接に絡み合っているからです。」(P79~P80より引用)
本書は、他の部分では極めて現実的な文章で書いてあります。現実的には難しいですがとか、大人自身も問題があるので子どもだけでの問題ではないとか書いてあるのですが、ここだけは「原理主義者であってよいのです」と書いてあってびっくりしました。「ネオンの光を子どもに浴びせつづけていれば」とあるので、蛍光灯もよくないわけで、シュタイナー学校などは、照明になんらかの囲いをつけていることが多いわけですね。(テレビもネオンと原理的には同じ)

このプラスティックについての見解は、大筋としては私も同意します。プラスティックは、製造工程と考えれば、大量に生産しないと、割に合わないものです。普通1個100円ぐらいのものを、少量生産したら、金型代で、1個が何万円もしてしまう可能性もあります。なので、プラスティック商品は、人の手間というか想いというかそういうものはとても希薄なものになっていると思います。いくら、設計で苦労や努力してもすごく希薄なものになると思います。木製品も、機械で削れば、大量生産できますけれど、木製品である以上、最後に、割れや欠け、虫食い、節穴などをチェックをしなければならないし、何らかのコーティングをすることが多いと思いますし、材料の段階で、曲がっているものや割れているものを省くなど、場合によっては、集成材としなければ、ならないという工程が発生すると思います。そのような工程を省けるのであれば、プラスティック製品と変わりない木製品となることもあるでしょう。なので一概に、プラスティックだから悪いとか木製品だから良いとはいえないけれど、でも、そのように言えることの方が多いとは思います。

プラスティックの一般的な認識として、ガラスや陶器のように、簡単に壊れないから、手荒に扱われる、あまり意識というか注意を向けられないことが多い。木製品も似たようなことはあるけど、木製品は、水につけたり乾燥で、割れたり変形する可能性があるので多少注意が向けられていると思う。なので、プラスティックは、子どもが手荒に扱っても、まあいいやと思われるような意識の向けられ方しかされないのが一番問題かも。それが伝わるのだろう。(無関心な意識?なので次男は投げつけたりするのかな?)

ある人が、ある商品を見て「なんて精神性がないのだろう」と感じるそうです。普通の一般的な生活空間を「なんて精神性がないものに囲まれているんだろう」と感じると聞いて、びっくりしました。プラスティックに囲まれていればそうなるのかもしれません。精神性か・・・。多分、芸術的な絵画などは、精神性が高いのでしょう。物質的には、紙と絵の具でしかないわけですから、紙と絵の具の精神性が高ければ、全ての絵画は芸術作品になるんじゃなかろうか??(冗談です) 「精神性が高い」を別の言い方をすれば「愛があるもの」ともいえるかな。

又、親が大事にしているものをやたらと子どもが触りたがる、親が知らんふりして、隠そうと意識しているものに、子どもが気に留めるということが何度もあります。そんなことを考え合わせると、何か作る場合、作っている時の正しい想い(悪意のない想いという感じで、なんの想いもないのはもっと酷い)をこめたもの、その結果、長く想いがこめたものや、多くの人の意識が集まるもの(芸術品?)は、精神性が高いと言えるのではないか?そうすると、たとえ、プラスティック製品でも、大事に使用しているものは、多少なりとも精神性が高くなるのではないかと思う(表面的に大事にしているのではダメでしょう。でも、プラスティックの場合、材料(原油)時点からのマイナス要因が大きすぎるような気がする)。

モノを大事にするという精神は、子育てには結構真理をついているのかもしれないと思う今日この頃。(大人の精神にもいいと思うけれど)





  1. 2010/09/11(土) 03:49:59|
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「9歳児を考える」を読んで

シュタイナー教育の本は、ほとんどが、7才までの本で占められている。

それだけ、7才までが重要だということを表しているとは思う。しかし、我が家の息子も今年、小学校2年生になるので、もうそろそろ、「9歳の危機」に関することも読まねばと思い、遅ればせならが「9歳児を考える」を読んだ。9才前後を主体として書いた本といえば、他にないのではないかな?「子どもの叱り方」もそうなるかな。(シュタイナー自身の本では、7才以降の本が多いので、敢えて7歳以降の本を出すのは畏れおおのかも?翻訳されていないだけ?シュタイナーの考えを受け継いだ後生の人たちの本では、7才までの本が多い。。7歳以降の本も書いてほしいなあ。。本当に理解していないと7歳以降の本は書けないのかもしれないけど)

シュタイナーにはまり出したころ、やはり最初に読むのはシュタイナー自身が書いた本や講演録を読んだ。さっぱりわからない。教員養成で絶対読む本である「一般人間学」。。思い出しただけでも読み返そうとは思わないけど、一番読まなければならない本だとも思う。

「一般人間学」のなかで、分からない図がある。
 頭が丸
 体が三日月
 手足が線
読んだことのある人は、一発で思い出すだろうけど、読んだことのない人は、意味不明だろう。

分からないというのは正しくないかもしれない。応用できないというほうが正しいか?簡単に言ってしまえば「だから、これで、何がわかるの?何が言いたいの?」ということだ。

他に、
 頭は目覚めていて
 身体は夢見ていて
 手足は眠っている
目覚めているってどういう意味?「目覚めている」という言葉以外に「目覚めている」こと自体の説明がない。翻訳の仕方がおかしいんじゃないかとも思った。

さらに、
 動物は水平の意識
 植物は人間とは逆で下へ向う垂直の意識
 人間は上に向う垂直の意識
(これは別の本だったかもしれない。表現もこの通りだったかは定かでない)
人間は垂直の意識があるから垂直に立つことができるらしい。動物だって垂直に立つものもいるじゃんとか思ったり。

あと、よく言われる、小さい子は、世界と一体になっているという表現。これもピンとこなかった。

そんなもろもろの疑問が「9歳児を考える」で分かるようになるのではないかと思う。分かるというと大げさだが、今まで、一言ですんでいたこと(「目覚めている」とか「垂直の意識」とか)を、言葉を変えて表現されているので、分かりやすいということだ。

9歳前後のことが分かれば、7歳以下もより深く分かると思うし、多分思春期以降についても理解しやすくなると思う。(思春期を主体とした本「闇に光を見出して わが子の自殺と癒しのプロセス」「反抗期のシュタイナー教育」などはまだ読んでいないので)

7歳(小学校1年生)と12歳(小学校6年生)では、全く違う人間であることが分かる。7歳頃は、身体を動かすことによって、身体自身を作っている。12歳頃は、身体を動かすことによって、身体の外に何か作り出す。作品とか。7歳ごろまでは、何か作ったとしても、作ったもの自体に特に価値があるわけではなく、作るために動いたことに意味がある。なので、客観的にいいとか悪いとかの評価をつけること自体意味が無く、意味が無いどころか有害でしかない。他の人よりも、絵が上手とか、字をよく覚えるとか、早く走れるとか、という他人と比べること自体がナンセンスなことなのだ。そういうことは12歳以降にするべきである(現実問題としては無理かもしれないけど、知っているだけでもいいと思う)。

7歳から12歳までにその変化が徐々に推移して起こり、9歳前後が丁度分岐点になり、そのとき、人生に重大な意味をもつ出来事が起こるそうだ。(私自身は覚えていないけど、自我が足りないということか??)

ヨメはこの本を読んで、シュタイナー学校が、如何にすばらしいかが書いてあるだけとか言っていたけど、まあそんなふうにも読めるけど、それで終わってはもったいないと思った。(「一般人間学」を読んでいないせいかもしれないけど)

動物と人間の意識の違いも分かるようになるのではないかと思う。植物の中でも、動物的な植物(水平方向に花を咲かせるもの、豆など)とかにも関連してきて、植物を見る目が変るのではないかとも思う。ピーナッツってすごく地上的な植物なんだとも思えてくるので、あまり食べ過ぎないほうがいいかもと思ってみたり(美味しいんだけど、美味しいと感じるということは私が地上的な人間ということかな?玄米を主食にしすぎているのかもしれないけど)。

  1. 2010/03/31(水) 01:27:14|
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メーテルリンクの青い鳥

ヨメが図書館でメーテルリンクの青い鳥(絵本)を借りてきた。

ヨメが子供に読んでいるのを聞いて、おや?と思った。面白いと思った。色々なキーワードがたくさん散りばめられている。全てのキーワードが分かるわけではないが、まず、チルチルとミチルがきこりの子供という点。(きこりの意味はメルヘンの世界観参照)「クリスマス・イブ」のも気になるけど。よくよく考えたら青い鳥を本で読んだことはないことに気付く。

この部分も面白い。
-----------------------------------------------------
おばあさんは、ダイヤモンドのついたみどりのぼうしを
チルチルにかぶせました。
「ダイヤを回すと、なんだってよくみえるからね」
「ぼくたち、目があるんだもの。なんでもみえるよ!」
「だめ!だめ!
おまえたちには、本当のものは何もみえないのさ。
さあ、ダイヤを回してわたしを見てごらん!」
----------------------------------------------------
「本当のものが何も見えない」(表面的な出来事だけが見えるが本質が見えていない)けどダイヤモンドの帽子をかぶると見えるというのも面白い。多分、勝手な解釈だが、ダイヤモンドは幾何学という意味ではないかと思う。シュタイナーは、小さいころから精神的なものが見えたが、通常の言葉の語彙では表現できないものなので、口外しても誰も理解できないと黙っていた。幾何学に出会って、精神的な世界を表現していることにとても喜んだらしい。(シュタイナーの自伝参照)

思い出の国で、死んだおじいちゃん・おばあちゃんにあった時
「そうだよ、わたしたちはしんだけれど、
だれかが思い出してくれるたびに生きかえるんだよ」
という言葉。シュタイナー関係の行事で、生きている人が死んだ人を思い出すことで、死んだ人にエネルギーを送ることが出来るとか聞いたことがある。これは日本のお盆でも同じことだと思うけど、思い出すことで供養になるわけだ。

これは絵本なので原作を忠実に翻訳したものではないだろう。ネットを検索すると書かれていない部分が結構あるように思う。子供にふさわしくない部分はカットされていると思う。(他にも青い鳥はたくさんあるので、どれがいいのか分からないけれど)

だけど、キーワードは変えていないと思われる。
一番、気になるのは、青い鳥だ。なぜ、青なのか?(赤や黄色ではダメ?)なぜ鳥なのか?(他の動物ではダメ?)ということだ。鳥はどういう意味かは、バイオダイナミックを知っている人は知っているだろう。青はどういう意味かは、色彩のことを勉強している人はしっているだろう。そしてそれが、一番身近な鳥かごのなかにいるということだ。へぇーと思った。

原作に近い翻訳の本をこんど読んでみようと思った。

P.S.
ネットを検索して、気になったこと。
Wikipediaで「メーテルリンクは遺言で「私の作品は、日本とドイツでは上演してはならない」と言っていた。」らしい。どういう意味なのか?メーテルリンクがどういう意味で作品を作っているかが分かれば、分かるだろうけど。

  1. 2010/03/06(土) 14:29:51|
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シュタイナーの治療教育  教育の核心を考える

シュタイナーの治療教育  教育の核心を考える
シュタイナーの治療教育  教育の核心を考える


この本、まとめようとして、何箇所も引用することになり、膨大になりそうなので、この本として気になるところを全部列記するのは止めた。他の話題のときに、この本から引用することが多くなりそうなところが多い。

高橋 巌さん自身の本なので、訳しているシュタイナーの本よりは分かりやすい。(でも、何度も読み返すとむむむっと思うところがある。)

また、高橋 巌さんらしく日本との関連がでてきて面白い
●野口整体(詳しくは知らないけれど、本は読んだ。)
西 勝造
桜沢如一(高橋 巌さんとしては、シュタイナーとマクロビはほぼ同じことだと思っているようだ。私もそう思うけど。微妙に違うところもあるけど)
●言霊(カタカムナっぽいかも)
●出口王仁三郎
などなど。

やはりこの本でも、アーリマンとルシファー(ルシフェル)がでてくる。
●「ルシフェル的とアーリマン的との二つが基本にあって、極端に傾くと、そこからいろんな否定的な働きがでてくるのです。
 しかし、つけ加えておきますと、その両方の誘惑をおそれて、ひたすら中心の部分でじっとしているとしたら、こんなに味気のない人生もないでしょう。むしろ人生の充実感は一方の極から他方の極へと揺れ動く、その振幅の大きさにあるといえるのです。」(P131より)
クリスマスの秘密でも、あったとおり、ルシファー(理想というか、高みから見る態度)とアーリマン(現実的というか、打算的というか)の間がキリスト的(中庸)ということで、中庸を目指すのもいいけど、中庸に固執しすぎると面白くないのだろう(中庸の場合は、そのときそのときで変わるので、アーリマンやルシファーのように、中庸に固執しても悪にはならないと思うけど)。ようするに、ルシファーだろうがアーリマンだろうがキリストだろうが、どこにも固執せずに、自分の使命に沿って自由に動けるような考えが一番よいということだろう。(「自由の哲学」の言いたいところかも?「精神の自由」ともいえるかも?「何事にも固執するな!」ということなので仏教的かも?結局シュタイナーの言っていることは、日本の言葉にすべて置き換えれば、なんだそんなの昔から言われていることだと思う。特に日本人には。)

最近思うのが、シュタイナー著書とか講演録とかを読むのもいいが、シュタイナー以降受け継いだ人たちが書いた本を読むのが最初はいいと思う。

最初は、やはり、「自由の哲学」「神智学」「神秘学概論」「いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか」のシュタイナー四大著書などなどのシュタイナー自身のものを読むほうがいいと思ってしまう(理想をもとめるルシファー的!)。確かに、シュタイナーの言わんとしていることを一番正確に書いてあるとは思うが、それ正確に理解できるかどうかは別の話です。

特にシュタイナー自身の著書や講演録は、前提をわかってないと、何を言わんとしているかということを理解するより先に、何について話しているのかさえ分からず、読んでいると眠くなります。それを繰り返しても時間の無駄にしかならないかも。

なので、一人で勉強する場合は、ある程度シュタイナーを理解するまでは、シュタイナーの思想を継承した人たちの本を読んだほうがいいと思われる。ということで、この本はそんな一冊(ある程度自分なりに考えを消化しているとさらに面白い本だと思うけど)古本しか現状ないようだから絶版?でも古本のほうが安いからいいかも。

シュタイナーの本を読むなら、早く読み進めない速度で、みんなで読書会などをするのが一番いいと思う。それなら、眠くならないし、楽しく読めるとおもう。(シュタイナーの本を読んで、これは面白い!と思えるようになれば、一人で何度でも読めるので一番近道。だけど、何度も読もうとは思わない・・・まだまだ理解が浅いのだろうなあ。)

  1. 2009/05/07(木) 19:16:20|
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クリスマスの秘密

春分とかイースターとか調べていたら、結局クリスマス(冬至)がわからないと意味がないと思い、遅ればせながら読んだ。
クリスマスの秘密 地球とキリスト1
クリスマスの秘密

クリスマスだのキリストなどを主題にしているが、キリスト教の事が書いてあるわけではなく、あくまでキリストのことがメインなのである。(現在のキリスト教は、本来のキリストとはだいぶズレている様子)

値段が2100円と高いのだが100ページ程度の本。
内容は、シュレイダー氏の日本での講演録なので、すごく読みやすいし、分かりやすい。

このBlogを始めたきっかけの聖なる十二夜についての事が書いてあった。
●P12より「このクリスマスの十二日十二夜が来るべき十二ヶ月とは何か関係があるといことは、古くからよく知られていました。たとえば十二月二十五日は一月と、そして二十六日は二月と関係するというようにです。そしてこれから私たちが迎える聖夜にキリストは人間と地球とそして宇宙に、その祝福の力を注ぎこみます。それはあたかも人類と地球の生命が新しい刺激をうけるようなものです。」

→クリスマスをどう過ごすかによって、次の1年がどうなるか決まるようだ。今年のクリスマスはこの本を参考に、少しやってみようかと思った。(まあでもマネごとでしかないけど、やらないよりはいいと思うぐらい) クリスマスツリーの事も書いてあり、実際、この本のように飾るとどうなるのか見てみたいところだが、どこかで正式な飾り方をしているところはあるんだろうか?


この本を読んで一番分かったのは、アーリマンとルシファー(ルシィフェル)のこと。
●P61より「もうひとつの悪の力は、人間にありとあらゆる幻想を植え込もうとします。あらゆる幻想、夢、こうしたいああしたいという幻想を抱かせます。それはルツィフェルのはたらきです。彼は光をもたらす者ですが、彼がもたらす光は偽りの光なのです。人間はこれによって自分の感情を高揚させたりします。そのように高揚した人の自己感情が高まっていくときに、周りの人がそれを誉めたり、認めたり、評価したりしないと、欝的な状態に陥ります。
 もし私がすばらしい講演をしたとします。それは、私ではなく、私より高次の存在がすばらしい内容にもたらしてくれたわけです。ルツィフェルはしかし、それはおまえがやったんだ、おまえがすばらしいのだとささやきます。しかし、誰かが講演の後にやってきて、全然よくなかった、わからなかったなどといいますと、がっかりします(笑)。そうしますと私は欝状態になります。ベットに横になったほうがいいということになります。そうして横になっておりますと、こんどはアーリマンがやってきます(笑)。そのようにルツィフェルとアーリマンは一緒にはたらきます。」

→これを読んで、ヨメは、ルシファーに操られていることを確信した!誉めてもらえないとどんどん落ち込んでいくのだ。私も確かに誉めてもらいたいとは思うけど、誉めてもらわなければ落ち込むということはない。誉められることなど二の次で、本来自分が納得して「これは自分では最高の出来」とか思えれば、他の人がなんと言おうと関係ないはずなのだ。だけど、ヨメは、ヨメ自身がどう思うと誉めてもらわないとダメらしい。ヨメが失敗と思っても誉めてもらえればそれでOKという感じなのだ。「嘘と分かっていて誉められても嬉しいわけ?」と聞くと、OKらしいのだ。「なんと表面的な・・・」と思うのだけど、どうしても、誉めてほしいと思ってしまうようだ。
この本にも、男はアーリマンよりで、女はルシファーよりのようなことが書いてあったのでしかたがないかもしれないけど、でもヨメは過剰すぎなような気がする。


●P66より「アーリマンというのはどちらかというと龍によって表現されルツィフェルは蛇によって表現されます。」

→これは、神話とか昔話とかの本来の意味を知るために役に立ちそうだ。


あと、「システィナのマドンナ」についても書いてあったけど、ここに書くと、変な誤解をまねきそうなので、知りたい人は本を読んでください。

  1. 2009/03/21(土) 01:00:06|
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いまさらながら「シュタイナー入門」を読んだ

「シュタイナー入門」という本は2冊ある。

西平 直(著)小杉 英了(著)である。

今回は、
シュタイナー入門
シュタイナー入門 小杉 英了(著)を読んだ。

西平 直(著)の方は、昔、古本で安く売っていたので手元にある。これを読んだときは、あんまり面白くないなあと思ったと記憶している。ある程度、知った後なので当たり前なのだが、広く浅くの内容だった。なので、小杉 英了(著)の方もそんなに変わらないだろと読もうとも思わなかった。そのときは。

だが、図書館でこの本を見て、ついつい借りたくなった。あまり期待せずに読んだのだが、結構面白い。シュタイナーをあまり知らない人でもある程度は理解できるとは思うが、シュタイナーをある程度理解した後にも読むとさらに面白いと思う。

特に、四大著書(神秘学概論神智学いか超自由の哲学)を読んでからよむと結構面白いと思う。そのような意味では、よくわからない人が四大著書を読んで、シュタイナーに嫌気がさしたところで、この本を読むとよいのではないか。

なので、西平 直(著)は、何にも知らない人が読み、小杉 英了(著)は、ある程度読んだり知った後に読む。そのような意味では本当のシュタイナー入門なのだろう。

以下、気になった部分のメモ
●「物自体など、存在しないのである。感覚がとらえる事物の背後には、何もない。だいいち、感覚的事物の背後、というこの場の想定すら、感覚的な空間把握に縛られた思考の夢見る、金縛りの比喩にすぎない。
 感覚が捉える事物には、背後も何もない。事物それ自体が生命の場である。ただ人間の思考には、事物を形成している生命に直接入っていく力がない。力がないので、生命の生ないとなみを、感覚を通していったん意識のスクリーンに映し出し、そこに像を見ることによって、かろうじて事物を認識を得ようとするのである。
 だから問題は感覚的知覚にあるのではない。ましてや対象の側や、その背後とやらの物自体なんかにあるのでもない。問題は常に、生命をダイレクトに直感できない思考にある。」
(P35より)
→ おー!「物自体など、存在しないのである」と言い切りましたね!「自由の哲学」でそこまで言い切っているところはなかったような気がしますが、シュタイナーも「治療教育講義」p58に「物理学者が物質素材と名づけているものは、存在しないのです。実際にはもろもろの物質の力だけが存在しているのです。」と言っています。


●「また、「勝ち組」以外の大半の人々はどうかというと、あらゆる種類の「癒し」を求めて、思考力を萎えさせている。チャネリングからポジティブ・シンキング、アロマセラピーからカウンセリングまで。
 おおかたそこで流通する言説はここちよく(だって癒されたいんだもん)、誰にでも簡単に理解できるやさしい言葉で(だって癒されたいんだもん)、読んだり聞いたりするだけですぐに心から納得できる内容になっている。当たり前だ。彼・彼女らには、気前よく支払ってもらわなきゃならないんだから。
 はたして、シュタイナーが思考を強調しすぎなのだろうか。それとも私たちが、人生のあらゆる局面において、真剣な思考をなおざりにしすぎなのだろうか。」
(P128より)
→ 「(だって癒されたいんだもん)」は、すごく的を得ている!私もこのような気持ちがないわけではないが、(だって癒されたいんだもん)だけで動いている人が結構いる。今したいことを今しなきゃ気がすまないというのは「今を生きる」事とは違うと思う。今したいこととは、今までの思考や経験や感情の結果の総体として出ているだけで、単なる過去の結果でしかなく、今ではない。今思考していない。今したいことを否定するわけではないが、今思考することを少しでも深くしてほしい。

●「シュタイナーの行法の核心は、思考が感情を導く、という点である。道徳規範をただちに社会実践したりすることが、行なのではない。誰かに気づいてもらいたい、褒めてもらうような行為が行なのではない。善行をなせ、というのではないのである。
 「畏敬という思考内容を育てる」とは、魂の中で目覚めているように、ということだ。他者に対して容赦のない批判的観点が自分の内部でわき上がる瞬間をはっきりとらえること。そのような鋭敏かつ繊細な思考の振る舞いが、畏敬の念のための土壌を、魂の中に開拓するのである。だから、目覚めた思考が、高貴な心情の先達とならねばならない。」
(P134より)
→ 畏敬の念とよく聞くが、いまひとつピンとこなかったが、これで附に落ちた。また、ここで「いか超」は「新しい社会建設のための魂の書として著されている。(中略)シュタイナーはのちに、この書を(中略)繰り返し、何度でも、精読してくれるよう願ってやまなかった。あなたの魂がまず、本著の意味で真に社会化されるのでない限り、あなたの求める社会はどこにも実現しないのだ、と。」(P135より)・・・、シュタイナー関係者はここを肝にめいじてほしいものである。なんだか、実現することばかりに先走りすぎのような気がしてならない。感情と思考の分離・・・簡単ではないだろうけど、実現させることが最重要なのではなく、自分の中がどうであるかが重要で、実現は自分の中から自然に生まれると思う。

●「シュタイナーがよく言うように、現実をどうしようもないほど複雑怪奇なものにしているのは、うまずたゆまず考え抜くことを放棄して、安易な結論に飛びついてしまう現代人の思考のあり方なのである」
(P185より)
→ 何度も同じような内容のところを引用している気がするが、現代人は基本的に考え抜いていないということですね。私も結構考えているが足りないんだろうなあ・・・。

  1. 2008/05/10(土) 21:54:43|
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境域に立つⅠ

境域に立つⅠ
2008年3月に出版されたばかりの「境域に立つ Ⅰ 現代人の危機と人智学」をようやく読み終わった。(ドタバタしたり、読み忘れたりして1ヵ月近くかかった。)

バイオグラフィーの本というか医学の本というか、いかにも人智学らしい本なのだが、人智学を理解しようとする人にはぜひ読んでほしい本である。

最初はあまり期待していなかったのだが、後半、「二重惑星過程」がでてきて、これはおもしろいと思った。ドニーさんの講演の内容と同じなのだ。
「惑星諸過程に関する本書は以降の章で必要な背景を与えます。そこで、惑星の影響という観点が(とくに10章と二巻3章において)さらに掘り下げられます。いわゆる「二重惑星過程」の概念は、バイオダイナミック農法の調合剤のために五十年代初めに著者によって練り上げられ、その後ほどなくアントロポゾフィー医学にも応用されました。これは、二、三の出版物となって結実しました。その中で、一方では、農業調合剤の効果が明らかにされ、他方では、内科における病気の過程との治療の関連が明らかにされました。[1]同じ観点で霊的発達での障害にたいして合理的・霊的にアプローチする際の基礎になります。」(P155より)

注[1]より「B.C.J.Lievegoed『The Working of the Planets and the Life Processes in Man and Earth(人間と地球における生命過程と惑星の働き)』Stourbridge1951参照」とあり、これを訳してほしい!!ドニーさんのフランス語の本(Les actions des planetes et les processus de vie)はこれと同じなのだろうか?同じっぽい。どちらにしても、人智学を理解するためには、この「二重惑星過程」の概念は必須だろう。理解したいが難解だ。

また、「星と人間」の「運命を規定する星・人間を解放する星」の意味がよく分からなかったのだが、この「二重惑星過程」や10章で少し分かったような気がした。(というか、これが分かってないと「運命を規定する星・人間を解放する星」は理解するのは不可能な気がする)


この本は、前半、秘儀参入のことばかりかいてあるのでなんだかつまらないなあと思っていたのだが、ここを理解しておかなければ、境域に立った現代人を理解できないからだと、後半を読んで思った。後半、具体的なことになってくる。

「精神病は「失敗した秘儀参入」である、といってもそう不自然ではありません。」(P225)
境域に立つとは、現代人は、すでに秘儀参入できる状態になっているということ。そのため、無意識に秘儀参入した結果、神経症や精神病になってしまうのだという。古来は、周到に準備して、さらに師により守られながら秘儀参入したものらしいが、現代は、現実逃避や膨大な情報の中にいたりすると、無意識に境域と超えてしまい、その結果、色々な障害になるということだ。だから・・現代病は今までの歴史の中にはないわけか・・・。(あったにしても、少なかったのだろう)

著者のベルナード・リーヴァフッドのバイオグラフィーも書いてあるのだが、やはり人智学を本当に理解している人は、社会的に価値があることをしている。社会が悪いから、知られていないとかの理由で、人智学が広がらないのではなく、人智学を応用して現在の社会に役立つこと(人々のためになること、人類進化を促進すること)をしていけばいいと思う。応用するれば、唯物論者や物質主義にも一目で分かるようなことができるでは。シュタイナーの受け売りではなく、自分なりに応用、加工して、自分の理論として確立し実行すれば、広がるし、どんな団体でも大きくなれるだろう。シュタイナーの受け売りが多いほど失敗するだろう。シュタイナー自身も信じてほしいわけではなく理解してほしいと言っていたハズ。そのためには「シュタイナー」を全面に出さずに活動し、実はシュタイナーの理論を応用しているんだよっというスタンスが一番混乱がすくなくてよいと思うのだが。

この著者は、ベストセラーになる本を出版したり、医学的に効果が確認されることもしているようだ。なにより、バイオダイナミック調合剤の効果を、「二重惑星過程」という説明でできるのがすごい。(「著者によって練り上げられ」とあるので、シュタイナーの受け売りではないのだろう) 理解したいところだ。理解できれば色々応用ができそうである。魂のありかたというか・・、魂とは?自我とは?アストラル体とは?エーテル体とは?肉体とは?を、全く理解していなかったことがよくわかる。のだが、まだ理解まで至れない・・・。でも、何度も読み返せば理解できるような気がする。

2巻目の「境域に立つⅡ」も楽しみだ。

  1. 2008/04/09(水) 11:13:19|
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シュタイナー幼稚園について

シュタイナー幼児教育手帖(Vol.1Vol.2)を発行している日本シュタイナー幼児教育協会の
シュタイナー幼稚園について
出来たばかりの本「シュタイナー幼稚園について」を読みました。

個人的には、シュタイナー幼児教育手帖がVol.7まであるはずなので続きを早く出してほしいと思うけど、現状のシュタイナー教育に対して、どうしても、本書に書いてあることを言いたかったのだろう。

まえがきに「日本ではこれまで、まるで「シュタイナー幼稚園」という一つの「型」があるかのように誤解されることがよくありました。」と書かれていますし、この文章を読んだために読みたくなりました。それは、私も常々シュタイナー学校も含め感じているところ。

内容としては、シュタイナーを実践する際の基本的姿勢というか、常に忘れてはならないこと。シュタイナーを勉強していれば、読んでみると当たり前なことかもしれないが、一文一文意味をかみしめながら、日ごろの行動や考え方、感じ方を振り返りたいところ。

(以下は本書の内容とは全く関係ない私の意見です)
私の知っている限りだけかもしれないが、シュタイナー学校を見ていてよく感じてしまう。目に見えるやり方を真似することに一生懸命で本質を見失っている。日本なら日本の独自のやり方をもっと模索するべきだと思う。(欧米のやり方をそのままやっていては、逆効果な気がしてならない。)今のままでは、お金持ちのための学校になってしまう。(一部のシュタイナー学校ではすでになっているような噂も聞くが本当だろうか?)それでは、経済状況を理由に通うことを拒んでいるのと同じになってしまう。(シュタイナー教育は経済的理由に関係なく受けられることを目指しているはず。)

現状のシュタイナー教育は「こんなすばらしい教育を提供しているんだから、父母はお金をだして当たり前」みたいな感じにしか思えない。だから、あきらかにシュタイナー教育と分かるやり方「型」を目指さなければ父母が納得しない状態に陥りやすい。教師の給料や運営にかかるお金の多さも分からなくはないが、人の感性も環境も法律も自治体の協力体制も全く違う欧米を真似しているがために、お金がかかるのではないかと思う。

また、お金がかかるからと言って、支出を削減することばかりに気をとられているとも感じる。支出を抑えたいならやり方「型」を変えればいいのに、そこは変えないため、運営などにしわ寄せがくる。そのため運営がうまくいかず、授業だけはすばらしいけど、それ以外はいつもドタバタということになる。(授業がすばらしいかどうかは私的には疑問)そのドタバタは、父母がドタバタすることになり、家庭環境がドタバタになる。教師が目指している通りの(毎日瞑想して事前に準備をきっちりしている)いい授業だけど、子どもの家庭はドタバタ。そんな環境で育つ子どもが良くなるのか?疑問である。

まとめてしまえば、日本のシュタイナー教育はまだまだ、創生期で、通わす父母は、シュタイナー教育を育てる気持ちで子どもを通わせなければならないと思う。(言い方を変えれば、通わせている自分の子どもにとってよいかどうかは全くどうでもよくて、未来の社会にシュタイナー教育が根付くための努力をぜひしたいと思える人でないと、通わせている間に父母がだんだん嫌になってくる。嫌なことは全くといっていいほどやらされることはないから、通っている子どもは楽しいと言うと思う。父母もそれなら我慢するか・・という感じではないだろうか)

教育はよいことに越した事はないが、あくまでオプションだと思う。教育が素晴らしければ家庭はどうであってもいいということではないだろ。家庭をしっかりすることがまず第一だと思う。シュタイナー教育のために家庭がドタバタする(崩壊する)のであれば、本末転倒であろう。

子どもの教育うんぬんよりも、父母の自己教育が一番重要ではないか。「子どもは親の背中を見て育つ」のではないか。(シュタイナー的に言えば「見えないトンネルを通って伝わる」)

  1. 2008/02/24(日) 01:10:21|
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植物への新しいまなざし

涼風書林から出版されている
「植物への新しいまなざし」
マーガレット・コフーン(著) アクセル・エウォルド(画) 丹羽敏雄(訳)
植物への新しいまなざし


聖なる十二夜(2007-2008年)にすこしづつ読もうと思う。(毎日すこしづつ、この記事の内容が増えることになる)

訳者の丹羽さんは、以前に書いた「射影幾何学入門」の著者。数学の専門書なのに、シュタイナーのエーテル的なことが記載されている。なので、丹羽さんが出す本にはすごく興味がある。(本当は、「プロジェクティブ・ジオメトリー シュタイナー幾何学入門」というのが発売される予定だったようだが止めたのかな?)

以下、気になったところ、メモしておきたいところを書く予定。

  1. 2007/12/25(火) 13:56:56|
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岡田茂吉における宗教と芸術

水声社のカタログには載っていて気になったため図書館で借りてみた。
岡田茂吉における宗教と芸術」高橋 巌(著)
を読んだ。(Amazonをみると絶版状態なのだが、水声社のカタログには載っているけど)

高橋 巌さんが世界救世教の人たち向けの講演会の内容。よく岡田茂吉のことをご存知である。宗教芸術についてがメインであるが、普通の日常にも関係しそうなところや知識的なメモを残しておきます。

「黒と白の境目を眺めた時に、そこに初めてくっきりと美しく、黄と青の色が浮かんでくることがわかったんですね。」P37「それで霊光が現界に姿を現わす時、最初のその現われはなにかというと、ゲーテが大発見したんですけども、それは黄と青という二つの色彩なのです。」P38
→よく、
背後に闇がありその手前に光がある場合、青
背後に光がありその手前に闇がある場合、黄色
との知識があるのだが、まぜると、緑色になるというのは、当たり前だが結構びっくり!(「農業講座」で、花の色が惑星に関係しているということと、緑は太陽に関係しているということが書いてあるので)

「地上に現れた緑色が霊的な方向にゆくと、青と黄色に変わります。そしてその青と黄色をもっともっと強めてゆくと、それが両方とも赤になっていゆくんです。」P42
→これもびっくり!(青・黄・白・赤は惑星と関係あるんだけど、白がどうなっているのか??)

「ゲーテのように考えると、色の世界というものは円環をなしていて、それ以外の色はないわけです。」「そこでは、緑が一番おだやかな世界で、赤が一番活発な世界です。」P44
→以下補色の色が、赤・黄・青から出てきて六色が基本色とのこと(文章が長いので色のところだけを抜粋)。
赤→緑
緑→赤
黄→紫
紫→黄
青→橙
橙→青


「対称的思考こそが芸術の方法だ、と言いました。」P47「一人一人がまるで芸術作品のように、私たちが展覧会場に行って、ちょうど一枚一枚の作品を一生懸命心を開いて見るように、一人一人の姿をかけがえのない絵画の作品、一人一人の語る声を音楽の作品のように一生懸命耳をかたむけたり、ひたすら相手を見たりしてゆきますと、その雰囲気というのは、芸術的な雰囲気になっていきます。またそれと同時に、互いにその人たちがどういう生き方をしているかが見えてくると、それは一つの新しい科学、つまり認識が育って来て、人間性に対して人びとの心が開けてくる、ということになってくるんですね。そういうことをゲーテは「対象的思考」といったのです。」P52-53
→対象的思考をしたいものです。努力すれど、身内にはなかなかできないです。

「光とそれから熱もしくは愛というのは、神が人間の方へ向って働きかけるときの在り方であると言えると思います。」「それで神の力が地上に働きかける意志の表現は、光であると共に愛であり、しかもそれを受ける私たちの行為は芸術である、ということになってくるわけです。」P54「生活を芸術として形成するのであれば、私たちの日々の生活が神様に対する感謝の表現であるということになるのです。」「生活芸術というのは、何より人間と人間の関係ですから、それは人間関係の芸術でなければいけないわけです。」P55
→生活芸術は人間関係なのか・・。生活スタイルとか日常の動き方とかもある気がするけど・・・。

「それは私たちが感情を思考の方向に向けると常に反感が育ってくる。私たちの感情が意志の方に向ってゆくと、共感が育ってくる、ということです。物を知的に考えてゆく時、その人自身は習慣的に楽しくやっているかもしれませんけれども、しかしその人の生命力は消耗してゆくんですね。消耗してゆくことによってだんだん死のプロセスに近づいてゆく、ということも出来るわけです。そして私たち自身の感情は、それを無意識のうちにキャッチして、反感という形で気分となって、現われてくるんですね。」P119
→あちゃー!私は死に向っている・・・

「観音様の働きは子の働きで、それは一人一人の人間の意識を明るくして、人間の意識の中に善の力を植えつけるために存在している、ということになります。ヨーロッパではこの働きを「ミカエル」と呼んでいます。」P156
→シュタイナーの言う大天使や天使も、日本の神様としてよく親しまれている名前になるのかもしれない。

「そしてこのアストラル体を普通私たちは何と呼んでいるかというと、「龍」と言っているんです。日本には龍神及び龍神界についての偉大な伝統があります。龍は様様な姿をとります。不安にかられたり、権力欲のとりこになったり、アストラル体が非常に曇り、真黒になりますと、黒龍に変じ、激しく怒ったり、利己主義のとりこになったりしますと、赤龍と化します。情念が非常に浄化されると、次第に白龍に近くなってゆきます。ところが黒龍から白龍までの龍の働きは人間のアストラル体の働きそのものを映していますけれども、もし私たちの心の中の自我が観音様の働きを受けまして、善なる力を行使し始めますと、この黒龍から白龍までのアストラル体が、だんだん目に見えない形で、ごく僅かながら、何億分の一かずつ変化してくるのです。そして観音様の働きを自分の中に取り込めるようになってくるのです。そして観音様の働きを取り込むたびに、私たちのアストラル体の、つまり龍体の一部が輝き始めます。そして完全にアストラル体が黄金に輝くようになった時、その龍を金龍というのです。」P162
→ミカエルといいアストラル体といい、日本の古来の言葉に変換してシュタイナーの本を読んだら、結構普通に神道の教えになりそうな気がしてきた。アストラル体が龍というならば、ドラゴンボールも、単なるお話だけではないのではないかと思ってしまった。ドラゴン(龍)がもつ7つの玉(ドラゴンボール)集めると、3つ願いが叶う。ドラゴンボールは金色だったりする訳で・・・。ドラゴン、7、3、金色・・・

「そうしますと、観音様の働きは、同時に教育の行為にも直結しています。それから芸術的な行為も、同時にそのための重要な働きになります。地上の進化と芸術と観音力の働きとが一つに結びついて存在することになってまいります。そしてこのことを実現するのが、救世教で言われている「地上天国」なのです。その地上天国の一つの型を教祖は箱根のお庭で示されました。」P170-171
→箱根、強羅の地にある「神仙郷」の庭園らしい。一度みてみたい。

「四大の霊というのは、それぞれに異なった世界、鉱物界と植物界、植物界と動物界、動物界と人間界という互いに異なっている領域の中間の部分に存在すると言われています。その中間地帯でそれぞれの霊たちが集まって、救済を待っているわけです。大きな石に苔が生えている部分というのは、霊的な働きのとても感じられる場所なんですね。そのに水が流れていますと、その環境は霊的に一層高まります。その環境が四大の霊が救われる環境なんですね。そういう四大の霊が救われる環境が更に芸術を通して一段と高められているのです。」P171-172
→日本の庭園って、霊的に高いんだ・・・。今度京都へ行ったときはそのような観点から見て見ようっと。外人にとってはそれは新鮮な感覚で感じられるのだろうなあ。だから京都は外人に人気あるんだ。日本人だと当たり前過ぎてなんとも思わないけど。

  1. 2007/12/14(金) 00:26:18|
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シュタイナー自伝

絶版であるシュタイナー自伝〈1〉― わが人生の歩み (1982年)シュタイナー自伝〈2〉― わが人生の歩み (1983年)を図書館より借りて読んだ。

現在は、再版されている様子。
シュタイナー自伝〈1〉
シュタイナー自伝〈1〉
シュタイナー自伝〈2〉
シュタイナー自伝〈2〉



以下のページは、絶版本のものによる。
「私は思考を、人間が物体に関して作り上げるイメージのようなものとみなすことができなかった。私にとって思考とは、この魂という舞台の上で演じられる精神的世界の顕現に他ならなかった。幾何学は、人間自身によって生み出されたように見えるが、しかし、人間から全く独立した意味を持つ認識であるように思われた。私は子供であったので、もちろん明言するまでには至らなかったが、人間は精神的世界(霊的世界)の認識も幾何学と同様に、自己の内部に保有しているにちがいないと感じた。それというのも私にとっては、精神的世界の現実性は感覚的世界の現実性と同程度に確実なものだったからである。」〈1〉P22
→幾何学は精神的な構造を示しているということか?


「私はその頃およそ十歳であり、正書法の上でも、文法的にも、完全に正しい文章を書くことはまだできなかった。」〈1〉P27
→「カルマの形成」に12歳までに文章を書けるようになると高次の霊が降りてこれないようなことが書いてあった。また、経済的な活動に組み込まれることになるようだ。(ここの内容はうろ覚え)

「思考それ自体が、自然現象の本質に到達することができるような形に形成されるならば、人間は魂の経た霊的体験を把握することができる」〈1〉P38
→思考が幾何学的に形成されればよいということか?
思考の形成のされ方で本質が見えるかどうかが決まるようだ。(当たり前か・・・ただ、どこまで本質を見えるようになるかというところか)

「私にとって自我とは、自我そのものの中に存在するある現実を、内面的に概観する体験に他ならなかった。」「自我を、何物かの現象形態だとか、何かある過程の産み出す結果だとかみなす人は、<自我>のことがわかっていないのだと私には思われた。」〈1〉P85
→自我は経験によって形成されるものかと思っていたが(それもあるだろうが)、そうではないと・・・。

「非有機物を認識するにあたっては、自然界に何らかの作用を及ぼしている諸力の関連を見通すために、概念が連続的に並置されてゆく。これに対し、有機的なものの把握に必要なのは、ある概念を他の概念から発生させ、概念の変化が生き生きと進行してゆく過程において、自然界で形成されたものの像を生じさせることである。ゲーテは、植物の葉についての一つの理念像を精神にしっかりと保持することによって、以上の彼の思想を実践した。この場合、理念像とは、硬直して生命を欠く概念ではなく、さまざまな形態を取って現われ得る概念を指している。人間は、精神の内部でこうした形態を個別に生じさせることによって、植物の全体像を構成する。自然が現実的なやり方で植物を形成するのと同じ過程が、魂の中では理念的な方法で追創造されるのである。」〈1〉P112
→これが、一般人間学で言われていた「生きた概念」!?「生きた思考」!?

「この青年は、純粋理念にいきるとき人は同時に霊的世界に生きるていること、純粋理念の世界では自然全体が認識めがけて閃光を放つに違いなく、人間の前に物質的形態をとって存在しているものは仮象(幻想)にすぎないこと、そして更に、あらゆる物質的存在は理念を媒介に霊としてのその本質的な姿を表わすことを ――熱烈にといってよいほどに―― 洞察していた。」〈2〉P81

「何事も思い通りにはゆかないものだった。現実の半面が私を完全に必要としていた。こうして、できればこのまま保ち続けてゆきたいと願っていた大切な人間関係が、たちまちの裡に吹き飛んでしまった。しかし、私はこの現実を運命(カルマ)の摂理だと考えることにした。」〈2〉P127
→私もよくカルマだからしょうがないと考えるのですごく親近感がわいた。(レベルが違うだろうけど)

「私は、色彩や形や舞台装置と同じように、思想を媒体とした芸術活動を展開することも、可能ではないかと考えていた。」〈2〉P139
→一般に言われている芸術だけが芸術ではないのだろう。どんなことにも芸術活動にすることが出来るのではないかと思う。

全体的な感想としては、オカルトなだけに、世間で色々誤解されているのでその弁明のために書いたという感じだが、シュタイナーの基本的な姿勢というか、スタンスがなんとなく理解できたので、今後、本を読むとき(特に自由の哲学)に理解が深まりそうな気がする。

P.S.
一番重要な部分が、まだ、書いていないというかまとめ切れていない。後々追加する。

  1. 2007/06/29(金) 13:25:57|
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幼児教育手帖Vol.2 芸術編

日本シュタイナー幼児教育協会 bookllet series2
幼児教育手帖Vol.2 芸術編
幼児教育手帖Vol.2 芸術編


幼児教育手帖Vol.1 シュタイナー幼児教育の原点 が出版されて、1年以上経過して、このVol.2が出版された様子。復刻版で約40ページ・・・。再編集に時間がかかるのだろうか?全部で7冊あるはずなので、Vol.7が出版されるのは何年後になるのだろうか・・・。

Vol.1同様、読みやすい、分かりやすい、内容である。(早く全部出版されることを祈っております)

幼児期の体験が、後の人生にどのような影響を与えるかが記載されている。たとえば、水彩画(にじみ絵)については「大人になって他の人との対話において、たとえば慎重に、そして思慮深く機転をきかせながら相手の微妙な変化に対応しつつ自分の考えを提示し、感銘させ、認めさせることができるようになる、そうした能力は、とりわけ幼児期に、絵筆による色の世界に没頭し、それが無意識の教師となったことの賜物なのです。」

他、音楽(メロディー・リズム)・人形・指遊び・蜜ろう・四季の保育(ライゲン)などについても書かれています。

我が家は、2007年5月より、シュタイナー幼稚園に通わせることになった。Vol.1を読んで、家で働く親を見せ、上記のような遊びも、見よう見真似でしていたので、そんなに問題はないと思い、私としては反対していた。幼稚園の月謝が高いのが理由だが、ヨメは断固として行かせたい!というので、ヨメがパートで稼ぐからということで通うことになった。

小児科診察室」のP337「環境に恵まれ、一方の親が家にいて、近所にはいっしょに遊ぶ他の子どもたちもいる、というのであれば、幼稚園に通う必要はまずないでしょう。」とあった。我が家の周りは自然に恵まれているし、両親ともに自宅で仕事している。ただ、周りには、全く家がない畑の中の一軒家。当然ながら、一緒に遊ぶ近所の子どももいない。

また、P338「子どもが幼稚園に通うにふさわしい「成熟」をとげたといえるのは、子どもが「ひとり歩き」できるようになったときです。」とあるので、その時期ではあったとは思う。

子どもは両親を選んで生まれてきているはずなので、金銭的に行けないというのも、カルマ的にはありではないか?とも思ったのだが、ヨメ自身が、実家が自営業で、早期に知的にめざめた子ども時代だったため、身体的にちょっと障害をもっており、わが子もそうなるのでは・・・と、気にしているのである。子どもの時期(特に7歳以下の時期)の過ごし方によっては、その後の人生において、身体的、又は、精神的な障害がでる可能性をシュタイナーは言っている。(すぐに障害として出ないのが分かりにくいので、現代医学では因果関係がつかめない。)

わが子は、元気に、嫌がらず、喜んで、「幼稚園にいく!いく!」と言って、通っている。私の幼稚園時代は、幼稚園バスに乗るのが嫌でよく泣いていた記憶しかない・・・。早い時期に通ったんだろう。わが子は、行かせるまでに、何度となく夫婦喧嘩をしたので、時期的に遅れ、年中さんで通い始めたのが良かったのだろう。(夫婦喧嘩を子どもの前でするのは、よくないカルマを増やすと聞いたことがある気がする・・・)

お金を払って、シュタイナー教育を子どもに受けさせるという親の姿勢に少し疑問を感じる。お金に余裕があるならば、自宅でもある程度実践できるが、余裕がないのであれば、ドタバタした家庭になり、それでは、親自身はシュタイナー的な実践ができない状況になるのではないかと思う。やはり、共同体のような感じが理想なんだろうと思う。(昔の日本の村社会は、ある意味ではよかったのかもしれない。現在ではそのままというわけにはいかないけど。)

でも、北海道に引っ越してから、四六時中、子どもと一緒にいたので、子どものいない時間というのがすごくうれしいというか開放された感じがする。(子どもが何かするのでは?ということに神経を使っているのがよくわかる)

  1. 2007/06/03(日) 01:46:39|
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オックスフォード教育講座

オックスフォード教育講座 教育の根底を支える精神的心意的な諸力
オックスフォード教育講座 教育の根底を支える精神的心意的な諸力

人智学を知らない聴衆に対しての講演録であるため、比較的わかりやすい。あとがきを読む限りは、シュタイナーは聴衆に理解してもらうことを前提に話しているとある。(シュタイナーがしゃべっているだけあって節々に難しい部分が見え隠れしているが)

ヴァルドルフ学校教師のための講話「一般人間学」は全く意味不明な部分が多いのだが、この本は、理解できる部分が多い。この本を読んでから一般人間学を読むと良いとも書いてあるので、再度読みたくなった。前回読んだ「一般人間学」は高橋巌さんのだが、今度は、この本の訳者の新田義之さんの「一般人間学」を読んで、高橋巌さんのもその後に再度読めば結構理解できるのではないかと期待してしまう。

読みやすかったが、やはり随所に難しい部分があったり、参考になるところがあったので、メモとして引用しておく。
●「もし子供が、数をつけ加えて増やしていくという方法にならされると、欲望に従って行動するという傾向が生じてまいります。もし全体から部分へと進んでいき、またそれに対応したかけ算のやり方を学んでまいりますと、子どもは欲望を過度に発達させることなく、プラトン的世界観でいう「熟慮」、つまり言葉のもっとも高貴な意味においての「節度」が育ってまいります。」P177
→これを読んで、すぐに実践しました。息子(4歳)がパンに蜂蜜なりゴマペーストなりを自分で塗るのですが、蜂蜜のビンをそのまま息子に渡して、塗らせると、大量に塗ります。ですが、まず小皿に蜂蜜をとりわけて「みんなでこれだけ使うよ」といえば、すごく少ない量を塗るようになりました。(当たり前か・・)今までは食事のおかずも全部を食卓に置かずに「おかわり」でしていましたが(これが1+1+・・・という数を増やす)、今あるおかずを食卓に全部置いて、そこから取り分けるようにしたりして、できるだけ、全体が見える状態にするようにしました。今までは「おかわり」を何度も言っていたりしたのが、なくなりつつあるような

●「なぜならば、彼は自分の骨格系を筋肉系の側から支配しているからなのです。十二歳を過ぎてからは、骨格系は外界にみずからを適合させていき、筋肉系を支配するようになり、そしてそこから霊性と心性とを支配するようになります。そしてその結果として人間は、原因と結果について内面的な体験をとおしての理解を得るようになり、力について、垂直と感じられるものについて、水平と感じられるものについてなどに、理解を得るようになるのであります。」P181
一般人間学の第十二講農協講座の第八講と関係する表現のような気がする・・・。自我とは・・・。動くこととは・・。

●「すなわち、単なる理想を実現しようとすることは、ヴァルドルフ学校の目的ではありませんでしたし、いまのなお、その方針は変わっておりません。大切なことは、子どもがつねに現代の生との結びつきをもち、今日の社会秩序とのつながりを失わないように教育することです。この場合「今の社会秩序が悪い」と言ってもみても、何の益もありません。それが良かろうと悪かろうと、私たちがその中でいきていかなければならないことには変わりないのです。」P210-211
→ヴァルドルフ学校は、タバコ会社で働く親の子供が通う学校。いわば、サラリーマン家庭向けの教育なのではないか?と思われる。サラリーマンの生活で行うことは、消費しかない。それだけしか見ていない子供は「スーパーで野菜が生えている」などという概念、または、お金さえあれば生きていける(ある意味正しいかも?)など、実際の世界を見ないまま大人になることが、社会秩序とのつながりがない状態なり、社会に順応できない人間になってしまう。現状の日本のシュタイナー学校は、海外のシュタイナー学校の模倣であり、それでいいのか?は疑問である。

●「女生徒は一般に言われるように、肉体機構中に血液不足をきたし、貧血し貧血症を起こすのです。この現象が生じる本当の理由は、十四、五、六歳のころに、霊的なものが、人間の総体としての機能から離されることにあります。(略) そしてこの貧血は、それ以前の時期に女生徒たちに対してさまざまな働きかけをして、十分な興味を呼び起こす作業をしていない場合に生じるのだということを、私たちは知っていなければなりません。」P241
→思春期以降の男性徒と女生徒は、本書第九講によると、違う成長をするようだ。この第九講も理解しづらい部分がチラホラある・・・。(思春期以降のことが書いてある本を読むのは始めてかもしれない・・)

  1. 2007/05/18(金) 22:48:27|
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動物の本質

動物の本質 ルドルフ・シュタイナーの動物進化論
動物の本質を3度読んだ。

最初は、図書館へリクエストして、その時期は新刊だったので購入してもらうことになり、借りれることになった。それで1回読んで、返却日になったので、再度借りて、再度読んだ。面白いが理解しきれていない気がした。

農業講座の読み合わせで第7講を読んでいると、
植物(樹木)と動物が親密な関係があるとの記載。
具体的には
●「針葉樹」と「鳥たち」
●「潅木類」と「哺乳動物」
●「下等動物やバクテリア類などの生物、すなわち有害な寄生生物」と「菌類(キノコやカビなど)」
と親密な関係があるとの記載をみて、もう一度、動物の本質を読みたくなった。

なぜならば、一般人間学で、子供の成長と植物との対応が書いてあった
●乳児の魂の喜び--キノコ、菌類
●四、五歳児から就学適齢期までの体験--裸子植物、針葉樹
「潅木類」がどれになるのかわからないが、現代科学の植物進化過程では、裸子植物よりは後のようなので、7歳以降であろう。

再度、図書館から借りようかと思ったら、いつまでたっても、借りられない(他の方が借りている様子)。えみりーの庭でも売っていたので、結局買ってしまった。

3回目を読んで思ったことは、人間の誕生が太陽との分離、7歳の歯が生え変わるのが月との分離ということだろうか・・・(地球期の歴史の再現)ということと、仲さんの講演録で、7歳以下の成長で、ポップ・ステップ・ジャンプというのがあったと記憶しているけど(手元に本がないので確認できない)、ジャンプ=飛ぶというのは、針葉樹の頃ということだろうか。(なんで飛ぶなのかなあと疑問に思っていた。うちの子供も最近ジャンプすることが多い・・・。痛いんだけど・・・。)

この本、着眼点を変えて読むと全く違うところが気になるようになるので何度も読むことになりそうだ。(最初から買えばよかった。図書館でもずーっと借りられているので、まあ、よかったのだろう。)

この本と一緒にマリア・トゥーンの本シュタイナー医学原論を買ってしまった。読めるかな・・・。(まだ読んでない本もあるのに)

  1. 2007/04/09(月) 13:33:48|
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翁雄正話 これでもシュタイナー 仲 正雄 講演録

仲 正雄さんの講演録を、個人的(?)に、テープ起こしをした40ページぐらいの小さな冊子である「翁雄正話 これでもシュタイナー」を6冊読んだ。

「翁雄正話」は「おーきなおせわ」と読むようだ。
  1. 親子とは(親子の絆について考える)
    →「幼児期・学童期・思春期」で「保護者・友達・同僚(敵)」を使い分けなければならない。そんなことできるかなあ。ずーと、保護者になりそうだ。
  2. 今、子どもに何が起こっているのか(思春期の子どもと親の関係)
    →「ほめられるから」「良いことだから」とすると偽善になる(人を相対的に点数的に評価することになる)。「悪への傾向を認める」と善になる。無意識に褒められるため(他者より優位になるため)だけに行動している人がいるよなあ。
  3. 感覚について(三つ子の魂)
    →「歩行・言語・思考」を「三つ子の魂百まで」と絡めて、表にまとめたものはすごい。
  4. 気質を知ろう~適材適所~(自分自身と自分以外の人を理解するために)
    →今まで、気質しかないと思っていたが、「体質(身体の質?)・気質(エーテル体の質?)・性質(アストラル体の質?)・人質(自我の質?)」の中の「気質」でその気質がさらに4つに分かれているわけである。なので、気質しか知らなかったが、体質とかも分類されているのだろうか?(ホメオパシーは6つに体質を分類しているようだが)
  5. 声と言葉と人間の育ち(失われた「声の本質」と再び出会うために)
    →声のワークショップ受けたくなった。精神的修行の成果は声で分かるというのは納得できるなあ。
  6. 子どもと自由(人生を自由に生きるために)
    →自由については、なんとなく理解していたが(「自由の哲学」を半分ぐらいしか読んでいないので)、ここまで言葉で判りやすく説明できるのはすごいと思った。(「自由」という言葉を勘違いしている人がなんと多いことか・・・)
すごく分かりやすい。

シュタイナーのそのままの言葉ではなく、ご自身の言葉で体験をもとに自ら発展させたところもあり、とても分かりやすい。

関西に住んでいる時は、全然知らなかった。北海道に来てから知った。生で声を聞いてみたい。(北海道に講演にくることがあるのだろうか)

  1. 2006/12/18(月) 13:59:48|
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千年紀末の神秘学

千年紀末の神秘学」を読んだ。結構、気分転換になる。

●「シュタイナー哲学入門」に詳しく書いてある哲学者フランツ・ブレンターノの「魂の主要な働き」は、「思考」「感情」「意志」ではなく、「表象」「判断」「愛と憎しみ」であり、「魂は、他との関連の中においてのみ、みずからの存在する根拠を見出すことができる」「もし信じる対象、愛する対象、あるいは思考する対象がなかったら、魂の存在する理由はどこにもありません」
→思考・感情・意志を基準に考えてしまうと魂の理解が出来ないようだ。だから、いままで理解できなかったのか・・・。まだ、理解できていないけど(「シュタイナー哲学入門」を読まねば)。「魂」と「心」の言葉の使い方が微妙に納得できていない。「芸術と美学」での「魂」と「心」の表現が微妙に違う感じを受ける。

●「完全な理想社会がこの世に存在しうるというのは単なる幻想にすぎない」
→ガーン。神秘学的には、そうかも。やっぱり・・・そうだったか・・・という妙な納得がある。

●「ヨーロッパ社会の本質は「憎しみ」の上に成り立っている社会だ」「人類の文化の発展は人類に幸福をもたらすためにあるという考え方は、シュタイナーによれば悪魔の誘惑なのです。人類が幸福を求めて生きていくと、必ずそれは生存競争になり、勝つか負けるかになり、受験戦争のように誰が生き残るかという人間関係になってしまうのです。」
→日本近辺は「愛」の上に成り立っているらしい。でもそれだけでは、自我が育たない気もする。「愛」と「憎しみ」を両方織り交ぜたものが必要なのだろうが、現在は、ヨーロッパの考えに偏っているので問題が多いのだろう。

●「自我存在の本質が、他者に対して破壊的、否定的な態度をとることに依存している。」
→「破壊のるつぼ」という言葉は、「内面への旅」で読んですごく印象に残っている。「いか超」の境閾の守護霊部分を読んでからだと、なんとなく分かるような分からないような・・・。「内面への旅」をもう一度読まないと・・・。

●外来の民族に会う。意識魂の中で
感覚魂を生かす民族、イタリヤ人やスペイン人
「そんな奴は知らない」
悟性魂を発達させているフランス人
「礼儀を知らない奴だ」
意志魂的な態度のイギリス人
「あいつはライバルだ」
なんとか自分を確立しようとしているドイツ人
「敵だ」
→シュタイナーがこんなたとえを出している講演を読んでみたい。シュタイナーはヨーロッパしか例えをだしてないので日本人はどうなるかわからないが、著者は、霊我の民族なので「お客さんだ」と思うハズらしいが、ヨーロッパ的になった近代では、どうだろうかと疑問であるとのこと。たしかに、昔ならそんな感覚だっただろう。

●「シュタイナーの本を読んでみて読みにくいと思ったら、読みにくいのが当然で、シュタイナーはあえて読みにくい文章を書いたのです。」
→やっぱりそうだったのか・・。読むことが訓練なわけだ。シュタイナーの著書は、読む気にならないというか読むと眠くなるので、ついつい講演を読んでしまう。

●「晩年も、シュタイナーは、自分がもし東洋で生まれていたら、まったく違った人智学を考えただろう、といっていました。」(P103)
→やっぱり、ヨーロッパで実践されているそのものをそのまま真似するのは、シュタイナーの本質を分かってないということなんだろう。日本には日本のやり方があるはずと常々思う。

(所感)
シュタイナーの著作や講演以外の、日本人によるシュタイナーの見解を読むのは、面白い。最近、思うのは、訳本でも、シュタイナー自身のではなく、シュタイナーの考えを引き継いだ人の本の方が、取っ掛かりとしては、よいのではないかと思う。最終的には、シュタイナーの本を読むことにはなると思うけど。

  1. 2006/10/17(火) 23:10:22|
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メルヘンの世界観

「メルヘンの世界観」を読んだ。

メルヘンの世界観
ヨハネス・W. シュナイダー (著), 高橋 明男 (翻訳)


おなじみのグリムの童話とかの精神的な意味が書いてあり、とても楽しく読めた。

メルヘンそのものを絵や映像にすることは、イメージの世界をぶち壊すことになるので見せない方がよい。

登場人物の職業によって意味がある。
 王様
 (根源的な世界にもっとも近い)
 ↓
 漁師
 ↓
 農夫
 ↓
 粉ひき
 ↓
 きこり
 (何ももっていない貧しい)
 ↓
 狩人
 (生命や根源的に支配されない独立している)

それぞれの話によって、意味が変わるものがある。(例えば、森は「中間領域」・「孤独」・「魂の世界」など変わる)

メルヘンを語る大人が如何に理解しているかで、子どもへの影響が変わる。例えば、残虐な描写は、イメージの世界では、精神的なもののたとえであるので、理解して語れば、残虐さは伝わらず、精神的イメージになる。(「子どもの首をはねる」という描写は、現代的な思考や受け取り方をしないなどの意味で実際に「はねる」わけではない。秘儀参入のマークなどに、頭をはねるようなシンボルがあるそうだ。)

そんなことを考えながら、物語を読もうとすると、全く読みすすめなくなる。この森は?この石は?この湖は?作業の意味は?起った現象の意味は?とか考え出すと、一つのことに何重にも意味があるような気もして、何度も前に戻る羽目になる。

日本の、桃太郎とか、かぐや姫とか、浦島太郎とかも細かく見ていくと面白いのかもしれない。(本来の原文がどれかがわからないけど)

  1. 2006/09/26(火) 14:58:03|
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元素のレメディー

元素のレメディー [人間と元素周期表のホメオパシー的照応理論に基づく講義]を読んだ。

水素(H) ~ プロトニウム(Pu)までの元素の精神的(?)にどのような意味なのかを、実例を挙げて説明した講義のテープ起しであり、その場で対話されたことがそのまま本になっている。実際この講義を受けた人にとっては、貴重な本であろう。

この講義のジャン・ショートンは、ホメオパシーの父 ハーネマンの生まれ変わりではないかと噂される人らしいです。なぜならば、現在の科学的な元素の周期表を変えて、元素の意味・性格などを説明できるようにした周期表を発見したためです。

横の1族~18族と、縦の7列で、並んでいる元素は同じような性格があり、マトリックスにそれぞれの元素を説明できるような体系になっています。

この周期表を螺旋状に配置するとさらに、分かりやすい状態になります。(分かりやすいと思っているのは私だけかも知れないが)

この螺旋状の周期表は、マントラにも見えますし、久司先生が書いていた図にも似ている。螺旋自体を黄金率の螺旋にして、配置しなおせば、きれいな配置になるのでは?と思ったりします。(バカでかい表になるので試してない)

残念なのは、この本としては、テープ切れのために記載のないところがあり、完結した感じではないところ。ただ、例が多く、話言葉なので読みやすく分かりやすい。元素のレメディーを理解するためにはよい入門書になるのではないかと思います。

そんなことを思っていたら、ジャン・ショートンの本が他にも出版されていました。ホメオパシーとミネラルも読まねば!

[追伸]
シュタイナー関係の本が出している様子。
シュタイナーの死者の書(2006/8発売)
バイオダイナミック農法入門(2006/7/28発売)
バイオグラフィー・ワーク入門(2006/7発売)
聖杯の探求 キリストと神霊世界(2006/7発売)
動物の本質 ルドルフ・シュタイナーの動物進化論 (2006/6/8発売)

出版されるのはうれしいが読む本が多すぎて追いつけない・・・。





  1. 2006/08/18(金) 21:43:17|
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人智学から見た家庭の医学

人智学から見た家庭の医学
人智学から見た家庭の医学

身体と心が求める栄養学に引き続き、健康関係の本を読んでみた。

この本は、半分ぐらいが、労働者のための講義なので「健康と病気について」と重複しているところがところどころある感じ。「健康と病気について」は、労働者のための講義の3分の1なので、早く、残りの3分の2を訳してほしいと思う。(がんばれ!ホメオパシー出版動物の本質はGOOD JOB!読まねば)

以下覚えておきたいと思ったところ。
●編訳者はしがきの中で
「夢見がちの子どもには塩辛いものがいいし、大人びた子どもには甘いものを食べさせるとよいものです。怒りっぽい子どもには、雑穀や生野菜、そして甘いものを食べさせます。気の変わりやすい子どもには乳製品を与え、砂糖と肉は控えめにします。のんびりした子どもには、雑穀・葉菜、塩味の効いたものを食べさせ、卵は避けます。そして、そもそも軽食にします。憂鬱な子どもには、蜂蜜や甘いものを与え、根菜は少なくします。」
→何歳の子どもを想定しているのだろうか?たぶん小学生ぐらいかな?自分の子どもは、いま幼児なので乳製品がよいのかなあ。(でも、牛乳ではなく豆乳にしている。)

●「子どもがジャガ芋を食べ過ぎると、中脳が非常に弱ります。中脳には、重要な感覚器官の源があります。中脳背面の上下左右には、丘のような丸みのある高まりがあります。視丘・視床などです。ジャガ芋を食べ過ぎると視覚が弱まります。視覚の源泉は中脳にあるからです。」
→ガーン。私の目が悪いのは、パソコンのし過ぎではなく、子どもの頃にジャガ芋を食べすぎたせいか?よく肉じゃがは食べたし、ポテトチップスは食べたし・・・。ここまで、シュタイナーがジャガ芋に言及するのは、よほど霊的には有害なのだろう。

●「人間は、第一に蛋白質の腐敗を克服でき、第二に脂肪の腐敗を克服でき、第三に澱粉と糖分の発酵を克服できるほどに強い」「個我が去ると人体は発酵し、アストラル体が去ると酸敗します。エーテル体が去ると、人体は腐ります。」
→人間にとって都合のいいのが発酵で、悪いのが腐敗と思っていたが、食物になんらかの自我があると発酵するということだろうか?(塩分も自我に関係しているようだし)

●「菜食主義者は、精神生活におもむかなければなりません。そうしないなら、肉食にとどまるべきです。そうしないと、記憶に障害をきたし、脳のある部分が損傷を受けます。精神生活の最高の領域を切り開くためには、果物で栄養を摂るだけでは十分ではないのです。」
→精神生活をしない人は肉食をしなければならず、体だけを考えて菜食にするのは問題があると。マクロビをするならば、その精神を理解しないと、体がおかしくなるということか・・・。マクロビは健康法というよりは、生き方の考えみたいなものだからなあ。

●「パンは秘められた意味においては、植物を殺したときにできるものです。ワインも植物を殺すことによって、つまり植物を鉱物的に扱うことによってできます。植物を焼くのは、動物を殺すのと同じことです。私たちは植物界からワインを採るとき、ある意味で、動物から血を採っているのと同じです。パンとワインは第四亜人種の象徴です。」「未来に発展するべきなのは、菜食から鉱物食への上昇です。パンとワインは放棄されねばなりません。キリストは第四亜人種に現れるかぎり、パンとワインを示唆します。「これは私の体である。これは私の血である」と言うことによって、彼は肉食から菜食への移行、より高次のものへと移行をなそうとしました。」
→聖書のパンとワインが何を表しているのかは、ずーっと疑問だった。「地下に成長する植物も、太陽の生命原則によって熱していないので、死んだものです。根は、血の染み込んだ動物の体に相当します。」も関係しているような気がする。どちらにしても、菜食から鉱物食に移行していくことだけはわかったが、何が鉱物食かわからない。

●「私たちは初め、「星人間」として宇宙に行き、星々の世界からもたらした力を、頭から作用させます。そうして、私たちは「空気人間」になります。そして、性的に成熟するとき、私たちは初めて「地球人間」になり、地球に所属します。のちには、私たちを地球に束縛する事物に所属します。このように、人間は宇宙から地球に移ってきます。」
→私は地球に束縛されているんだろうなあ。子どもは、アストラル的なんだなあ。ふわふわして、周りの事物の調整をしているのだろうか?それが親には困ったことに見えるが必要なことだったりするわけだろうか。

●「目という微小な宇宙が内部にあることが必要なのです。「この微小な宇宙は本来、大宇宙に等しい」と私たちは思います。これを明らかにしなくてはなりません。」
→ヌース理論と同じかも。さらに、目は2つある。謎は深まるばかり・・・。

(所感)
医学というからもう少し難しい話が多いかと思ったが(シュタイナーなのでそれなりに難解な部分はあるが)、家庭の医学という範囲で集められた内容のようで結構読みやすい。

  1. 2006/07/20(木) 13:07:35|
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身体と心が求める栄養学

身体と心が求める栄養学
身体と心が求める栄養学

シュタイナーがどのように食べものを考えていたかを知りたくなり、「健康と病気」も再再度読み(※1)、他に食べもの関係の本はないかとこの本を読んだ。

私自身の玄米菜食をしているので、読んで結構考えさせられた。

「牛乳の生産には、特にエーテル体が関与しています。アストラル体はほとんど関与してません。」
母乳が重要なのは分かる。ちょっと納得いかないが離乳後の子どもには、牛乳が必要らしい。子どもには、野菜を消化する際に霊化させる力がすくないらしく、すでに、動物によってエーテルの影響をうけた牛乳がよい食品であるようだ。また、人々を治療しようとする人(ヒーラーですね)も飲むとよいらしい。大人は、蜂蜜を少量。

菜食に適した人もいれば、肉食に適した人もいる。肉食は、菜食よりも、消化するための力が少なくてすむ。そのかわり、動物のアストラル的な影響を受ける。

健全な身体に健全な精神が宿るとよく言われるが、本当は、「健全な身体のなかに健全な心魂が働いている」らしい。

「どの人間にも、どこかに小さな欠陥を見出すことができるからです。しかし、欠陥を直すことが大事なのではありません。欠陥にも関わらず、生活に耐えられるものにすることが大事です。植物の幹に傷があるとしましょう。皮層・組織が、傷のまわりに成長します。人間も場合も同様です。欠陥のまわりに自然の力が成長して、生命を保ちます。」
→自分の欠陥をよりよくカバーしていれば、成長できるわけで、よく言われる「他人を褒める」ことはこのことを、お互い助長するわけだ。「一つの健康」というものはなく、人それぞれ、別の健康がある。「健康が楽しみをもたらし、病気が不快をもたらすなら、健康です。」とのことなので、ほとんどの人は健康?病気の方が楽しい人が居るのか?

「アストラル体は、外的な光に対峙するものです。太陽の光が弱くなり、色あせ、消えていくと考え、そのプロセスをさらに進めてみると、内的な光が現れます。この内的な光は、無機物から植物を構築する外的な光とは逆の課題を持っています。内的な光は部分的な破壊をもたらしますが、そのことによって人間は意識を有することができるのであり、人間を植物よりも高次の存在にしています。内的な光によって、人間は植物とは逆の存在なのです。そして、アストラル体によって引き起こされた破壊が、個我によって継続されます。」
→アストラル体と太陽は、逆の存在か・・・。意識はアストラル体によって生まれるか。それはそうだろうけど、なんかまとまらない。

(所感)
健康法は、人それぞれ違うということ。それは常々感じていた。結局、心魂的な部分が人間には大きな要因なのだろう。喜んで食べれば、一番体によい。喜んで生活できれば、健康に良い。精神が健康なら体も健康になれるようなので、病気はここ10年くらいしてないから、一応、精神は健康なのかなあ。しかし、その喜びが本当に自分の喜びかどうか?とか考えてしまう。私なんかは、何が喜びかも分からない。不健康ということか? 本当の喜び・・・、自分探し・・・、自分の使命を見つけるしかないと・・・。(いつもこの結論に行き着く)


(※1)「健康と病気」はジャガイモの本とだと思っていたが、読み直すと新たな点に気づく。空気から吸収した窒素・硫黄、感覚をとおして得た水素、蛋白質からは炭素のみ、脂肪からも炭素のみを用いて、蛋白質と脂肪をわたしたちは独自の方法で製造する(P78~79)。「農業講座」なかにも、食べ物から得られるものは徹頭徹尾、頭部や神経などに使用されているだけで、 他の部分は、周りの空間から摂取していると書いてあり、考えさせられる。

  1. 2006/07/10(月) 00:35:02|
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神智学大要 第1巻 エーテル体

神智学大要 第1巻 エーテル体

シュタイナーの用語の定義がしっくりこないので、読んでみた。

エーテル体のみに重点をおいて書いてあるので、シュタイナーの本よりは、分かりやすいとは思うが、すんなりは頭に入ってこない、辞書を読んでいる気分。シュタイナーの講演録の方が面白いと思っていることに気づく。(本質は理解できてないけど)

人間の構成要素の表現が違う(秘境から科学へを参照)ので、どう関連をつけていいか悩む。だが、エーテル体の定義は、ほぼ同じと思われるので、参考にはなった。シュタイナーの本で、エーテル体だけを重点に書いてある本というのはないと思うのだが、これはもしかして、神智学を知っていることを前提に講演をしているのではないか? シュタイナーの著書「神智学」や「神秘学概論」も、この神智学をベースにして、シュタイナーとしては、少し違う解釈でまとめなおしているのではないかと思った。

第1巻とあるとおり、このシリーズは全5巻ある。
第2巻 アストラル体(上)
第2巻 アストラル体(下)
第3巻 メンタル体(上)
第3巻 メンタル体(下)
第4巻 コーザル体(上)
第4巻 コーザル体(下)
第5巻 太陽系(上)
第5巻 太陽系(下)
といっても、5冊ではない。先は長いが、アストラル体ぐらいまでは読んでみる価値があるのでは?と思っている。

「第1巻 エーテル体」のカスタマーレビューに、「全5巻でオカルトサイエンスのバイブル」、「内容は難解」とあり、難解と感じたら「芦原瑞穂の「黎明」をお勧めします」と書いてあった!「黎明〈上巻〉」「黎明〈下巻〉」はもっている!この本は神智学の本だったのか!シュタイナーの本を読み始める前に買った本で、一度読んだが、そんなに難解だった気がしない。パラパラとめくると「エーテル体」「アストラル体」とか記載されている。全然記憶にない・・・。再度読み直そうと思う。

  1. 2006/06/28(水) 12:52:33|
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神殿伝説と黄金伝説

神殿伝説と黄金伝説
神殿伝説と黄金伝説 シュタイナー秘教講義より
シュタイナーのエソテリック(秘教)・スクール(E・S)の内容の一部らしい。シュタイナーはノートをとらないように求めたらしく、参加者があとで集まって、確かめ合った結果の内容であるため、欠落したところがある。

内容は十分理解できなかったので再度読みたいと思うが、図書館で借りたため、返却日にかえさぜるを得ない。

この本の解説を読んで、今まで勘違いしていたことを発見する。
H・P・ブラヴァツキー夫人の神智学協会の基本姿勢
「一、信仰、人種、身分、男女などによる社会差別をしない。
 二、東洋の叡智を学び、その普及に努める。
 三、自然と人間との内部に働いている霊的な法則を探求する。」(P420)
であるのはよいのだが、
「シュタイナーがE・Sを神智学協会の伝統と結びつけず、西洋オカルティズムの本流であるフリーメーソンの伝統と結びつけることを考えた。」(P425)
とあり、
私の中では、東洋思想が根底にあり、西洋の人に分かりやすい例で講義しているのかと思っていたのだが、そうではなく、神智学協会は東洋、人智学協会は西洋と分かれたということのようだ。

「エジプトの秘儀は、実はアトランティス大陸に由来するものであり・・・(略)・・・新しいE・Sのメーソン的儀式は、この最古の秘儀の継続なのである。」(P426)とある。
「中国人と日本人は、かつてのアトランティス民族の残滓です。」(P265)ともあり、日本の伝統的なものでもよいのではないかとも思う。(カタカムナか?) しかし、日本の場合、日常に取り込まれたため、儀式は形骸化している可能性はあるので、秘儀はなくなっているのかもしれない。

シュタイナーは神智学協会から脱退はしたが否定はしてないようなので、東洋人なら、神智学を学ぶ方が分かりやすいのではないかとも思う。ただ、シュタイナー教育のように細かい具体例は示されていないのである面では人智学を参考にするという感じだろうか。神智学方面も調べねば・・・。(シークレット・ドクトリンも一応借りたが、ほとんど理解できなかった。)

現在、品切れ(絶版?)なため、古本でしか入手できない。
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アストラルが見えれば、現実世界で起こることが予見できるのは、霊の世界の凝縮がこの世界であるからというようなことが書いてあった。また、アストラル体はやわらかいもので、人と人が会うと、影響し合う。怒りを向けることは、現実世界で拳銃をうっていることに似ているようだ。(これは実感できるかも)

  1. 2006/06/07(水) 22:57:22|
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国家の品格

国家の品格
国家の品格を読んだ。(久々にシュタイナー関連でない本だ)
AMAZONの今売れている本[社会・政治]でトップ(2006-5-21現在)のようなので、もうみんな読んでいるかもしれない。

レビューを見ると、「日本人なら、ぜひ読むべき!」的なものが多いので、私の視点で感想を。(ネタバレあり)

私なりに簡単にまとまると
  1. 民主主義は、「成熟した判断が出来る国民」という前提であるが、「国民は永遠に成熟しない」。そのため、国民を誘導できるマスコミが世論になってしまう。

  2. なにをもって自由と定義するのか? 平等と定義するのか? 自由・平等の民主主義などはあり得ない。

  3. 「論理」「効率」「損得」だけでは、世界は破綻する。「武士道」を復活させれば、日本がよくなる。幼いうちから悪いことは悪いと教えるべき。
こんな感じなのだが(あまりに簡単にまとめすぎ?)、
日本人のよさを見直すにはよい本かもしれないが、「論理」が短絡的な気がする。(論理では世界が破綻するといいながら、論理的な結果のような気がする)

世直し論としてなどよりは良いのだが、この本には具体性がない。

世直しを考えるならば、トップダウンではなく、ボトムアップしかないと思う。もはや、国や企業のトップでは、世直しすることは不可能。しがらみがありすぎる。

ならば、国民一人一人から変えていくしかない。しかし、「みんなで一斉論」も非現実的なので、少しづつ良い方向に変えるしかない。少しづつ変えるには、自分の生活を変えていくしかないというのが私の考え。

自分の生活が、理に適った状態で、だれでもできるやりかたで、平穏に暮らしていれば、よいと思った人は勝手に真似をする。他の人を、勧誘・説得する必要はない。自然に広がる。

自分の生活を「武士道」に変えるというのもよいのかもしれないが、そのまえに、お金だけの世の中にどっぷり浸かっている状態を変えねばならない。そのために自分ができることとは、お金のために自分の時間を犠牲にしないこと。自分の人生は自分のために自分のしたいことのために使うこと。(=精神の自由)

私は、それを実験しているといってもよい。(試行錯誤の経歴) 多分、だれでもできることである。仕事のあてもないのに、世の中のためになっていないと感じた仕事を辞めること。自分の使命ではない仕事を辞めること。

お金に縛られない暮らしの実現が、やろうと思えば誰でもできるということを自分の生活で証明できればと。(悪意に対するもっとも正しい戦い方は善意を実現することにある。

証明はまだされていない状態なので、これからどうなることやら。(当然ながらこの文章を読んで、実際に仕事を辞めても責任はもてません。)

お金に縛られない暮らしをみんなができるようになれば、なにか不正をしている企業であれば、その企業から人が次々と止めていくだろう。原発の職員も次々と辞めていくだろうから、原発は自然に止まるだろう。(単なる願望)


この本で一番印象に残ったのは、お茶を考えても日本では茶道にしてしまう、花も華道に、字は伝わればいいのに書道に・・・、香道、剣道、柔道など、なんでも芸術にする。というところ。日本人は、普通に生活するだけで、生活芸術ができるのかもしれない。

  1. 2006/05/22(月) 00:19:37|
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タンパク質の音楽

タンパク質の音楽
タンパク質の音楽
植物に音楽を流すとよい影響があるというのは、よく聞く。それの理論的な説明がされている。

その中で、メモっておきたいところをうどんも「四季」、日本酒はモーツァルトらしい。

タンパク質を理論どおり変換した音楽は、効果がありすぎる。作物に聞かせすぎると、特定のタンパク質だけ効果があるためバランスが悪くなり、逆効果。なので、理論的には少しずれたクラシックがちょうど良いのだろう。だが、理論的な音楽は、作物の初期段階に毎日3分程度で、効果があり絶大。

タンパク質には促進するものもあれば抑制するものもある。その音楽を作物に聞かせるためにしているのに、それを毎日聞いた人間の方が調子を悪くする。効果を期待する前に、診断が重要なのは、病気の治療と変わらない。

同じ機能のタンパク質でも、人間のタンパク質の方が美しい音楽になるそうだ。

(所感)
作物に音楽が効果があるというのは、化学肥料が作物に効果があるのと同じ気がする。(この本では違うと書いてあったけど) 物質的な音楽よりは、精神的な音楽を聞かせる方がバランスがよいのではないかと思う。つまり、祈りや想いなど。

  1. 2006/05/18(木) 11:57:33|
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ゲド戦記(1~3)

シュタイナー的な思想が盛り込まれているらしいと聞いていたゲド戦記を読んだ。(ジブリの映画予告を見たら読みたくなった)
ゲド戦記1 影との戦い
ゲド戦記1 影との戦い

ゲド戦記2 こわれた腕環
ゲド戦記2 こわれた腕環

ゲド戦記 3 さいはての島へ
ゲド戦記 3 さいはての島へ

ネタバレする可能性があるので読んでない人は、以下読まない方が良い。


全体を通して、人間の影の部分とどう関わるかを問う内容といえるのでは。(4・5・外伝読んでないけど)
1巻は、主人公ゲド自身の影との戦い。
→自分自身の影とどう向き合うか?人間としての成長するために、生涯、常に、考えさせられることだと思う。

2巻は、影を崇めてきた人々と平和への道のり。
→1巻のゲド自身の影との戦いのなかで、平和実現の半分を手に入れるが、1人では平和は実現できない。影を代々崇めてきたアチュアンの墓所の大巫女として選ばれた少女と二人でなければできない。「ひとりでは、誰も自由にはなれないんだ。」という言葉が印象に残った。自分と反対の人との間でしか平和が実現しないという矛盾したような真実。

3巻は、世界全体へ影響しだした影との戦い。
→2巻で平和を実現するが、それでもなお影は人の心の隙間に忍び込む。あちこちで、正常な感覚ではあり得ない人々の行動。影の根源としての「死」。しかし、「死」と「生」は表裏一体。どちらも否定できないし、どちらも真実。「死」とはなにか?「生」とはなにか?「自由」とはなにか?を常に考えねばならない。

ジブリの映画は、この3巻が中心に作られている様子。確かに3巻が一番面白いと思う。語られる一言一言が考えさせられる。

シュタイナーっぽいといえば、そんな気がする。(西洋の神秘思想は、どこか似ているので、シュタイナーに限定はできないとは思うけど)

まだ、外伝があるがまだ読んでないので多分つづく。

  1. 2006/04/26(水) 00:55:00|
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秘境から科学へ

フォーラムスリーのニュースレターと一緒に入っていたチラシに秘教から科学へという本があった。

「農業講座」の第三講で、酸素、窒素、炭素、水素、硫黄の霊的な役割が書いてあるのだが、分かるような分からないような、なにしろ納得できない状態であったので、現代的な科学と秘教と呼ばれる知識をつなぐ本ということで読んでみた。

「『神智学大要』をベースに、アリス・ベイリーおよびベンジャミン・クレーム氏の情報を加え、難解で体系的な理解の困難であった“トランス・ヒマラヤ密教”の全体像を、現代最先端のあらゆる分野(宇宙論・輪廻転成・超能力・遺伝子・医療・脳・意識……神…etc.)の情報と関係づけながら整理した、21世紀人類の基本テキスト」という内容。(HPより引用)

元素それぞれについての役割や、化学的な反応などについての具体的な知識を知りたかったのだが、そのような内容ではなく、「科学・哲学・宗教の融合」を目指した神智学の入門書という感じ。

はじめて神智学の本を読んだので、シュタイナーとは表面的には違う点が多々ある。
●人間の構造
1)肉体(エーテル体も含む)
2)アストラル体 感情・欲望
3)低位メンタル体 具体的思考の器 記憶力・想像力
1)~3)がパーソナリティー
4)高位メンタル体 コザール体 抽象的思考の器
5)ブッディー体 愛の器
6)アートマー体 意志の器
4)~6)が魂
7)分神霊・自我(モナド)
意志 愛 活動(知性) 三位一体の構造
1)行為する⇔6)意志する
2)感ずる ⇔5)愛する
3)考える ⇔4)知る
という相互関係がある。
パーソナリティーは、糸によって魂・モナドから結ばれている。
 「スマラトマ」右側の胸 生命の糸
 「アンタカラーナ」頭頂のチャクラ 意識の糸
魂が進化するとパーソナリティーから魂・モナドへ
「創造の糸」が寄り合わさり強く結ばれる。

●エーテル層は、物質層内の亜層
1)固体
2)液体
3)気体
4)幽体 通常の電気や音の媒体
5)超幽体 光の媒体
6)亜原子体 特に精妙な電気の媒体
7)原子体 生物の脳から脳へ思念を伝達する媒体
4)~7)がエーテル層で、気体より精妙なものという感じ。
→四大元素と四つのエーテルに似ているような似ていないような。

●「一度人間になった魂が死んで動物に生まれ変わることは、あり得ない」
→仏教とは違うところもある。

●人間より下位である鉱物・植物・動物の犠牲によって育まれており上位である人間は、下位の進化を促すために人間より上位からのエネルギーを下位が利用できるようにレベルを下げて放出する。
→なるほど。だから、人間の住まない家にはねずみがいないのか・・・。(ちょっと違う?)

(所感)
シュタイナーの言っていることと整合性をとるのが難しいかもしれないが、理解する分には、ある意味理解しやすい。整合性がとれれば結構理解度が増すのではないかと思う。酸素、窒素、炭素、水素、硫黄の霊的な役割が分かる本はないだろうか・・・。神智学の本をもう少し探してみるか。

  1. 2006/04/19(水) 14:41:16|
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ダヴィンチ・コード

ようやく図書館から借りれた。(読もうと思って借りるまでに数ヶ月かかった)
ダ・ヴィンチ・コード (上)
ダ・ヴィンチ・コード (上)
ダ・ヴィンチ・コード (下)
ダ・ヴィンチ・コード (下)
(文庫本 になって安くなった様子。)

借りて、1日目にほとんど、徹夜してしまった。シュタイナー関連以外の本を久々に読んだ。本で徹夜するのも久々。シュタイナー本では、難しくて徹夜できない。この本は普通の本だけど、キリスト教関連、特にイエス・キリストに関する記述が面白い。内容もミステリーなので読み出したら止まらない。

以下、ネタバレになるかもしれないので、読んでない人は読まない方がよい。

内容も面白いが、そのウンチクが私のツボにおもっきりはまった。宗教図像解釈学の教授が主人公である。シュタイナーでもおなじみの五芒星の宗教的な意味。(シュタイナーが言っている内容とは違うような)シオン修道会。聖杯伝説とはなにか?マグダラのマリヤとは?

聖杯伝説は、昔からの伝説・物語でたくさん語られているらしい。ハリーポッターもその一つ。また、ディズニーアニメもほとんどが、その聖杯伝説をひそかに伝えているとのこと。聖杯伝説の本当の意味を知るクリエイターが世界中でそれも大昔から同じ事をしているようだ。

キリストに関しての歴史が当時の権力者にいかに操作されているかも語られている。(本とは関係ないですが、現代でも、メディアの伝える内容は権力者に制御され利用されているので、大企業やお金持ちに不利なことはほとんどでてこない。健康情報も操作されてますので、自分でウラをとりましょう。シュタイナー教育でなくてもテレビは見ない方がよい。時間の無駄。最近TVを撤去しました。)

ただ、この本に書かれていることが本当かどうかは、色々議論されているようで、鵜呑みにしないで楽しんでください。

  1. 2006/03/28(火) 22:45:09|
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