GYAOで、こんなのも見れるんだ。
普通の人は見ないと思うけど、GYAOの中に精神世界系の部門でもできたのかな?
2月14日までなので、興味のある人はどうぞ。
http://gyao.yahoo.co.jp/p/00653/v08104/淡々と講義をするような内容なので、つまらない人には、おもっきし眠くなる内容。でも、ツボにはまるなら結構面白いと思う。理解するには、何度も見ないと分からないかも。ひさびさにマヤンカレンダーの本を見たくなった。(購入当時は、全然意味分からなかったけど今なら少しぐらい分かるかなあ)
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- 2011/02/06(日) 01:22:28|
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シュタイナー業界って、悪いニュースは教えてくれないことが多い。
確かに、ただでさえ、オカルトと思われているのだから、シュタイナーに悪いイメージがつくのがイヤなのは分かる。
フォーラムスリーの機関紙(?)の「オープンフォーラム」でこのニュースは知った。
どのことかといえば、このこと。→
ロマゾフィーの検索結果オープンフォーラムという名前だけあって、オープンだ。記事にしてくれなかったら多分知らないままだった。
この逮捕された人の本をちょこっとだけ知っているというか、知り合いがすごくいいといって、少し読んだんだけど、何か違うと思った。何かおかしい。シュタイナーの著書とか、カールケーニッヒの著書とかは、理解できないけど、何か惹かれるものがある。惹かれるけれど意味が分からないという状態なのである。
でも、この人の本は何かおかしいと思った。少し興味を持ってそのとき(確か数年前だったか?)、検索してホームページを見つけた。そこに「アストラル界でシュタイナーに師事した」というようなことが書いてあった。
ホームページみたいな誰でも見れるようなものに、誰にも確認できないことを公然とそれも最初に書いてあるので、多少惹かれるが、この場合の惹かれるのは、虚栄心というか、自慢したいというかそのような感じで惹かれる感じであった。被害者も、そんな感じでひっかかったんだろう。私は北海道に在住しているので、講座が函館で開催されているとかあったと思う。うーん。函館まで行くのは遠いなあと思った記憶があるし、はるばる行ってハズレ(偽者)だったら、すごくあほらしいと思った記憶があるが、そのまま行動をおこさず忘れてしまった。
そのときは深く考えなかったが、今思えば、もうその時点で偽者だったんだろう。(その時点ではまともだったけど、だんだん変な方向に行ってしまって逮捕されたのかもしれないが、報道によれば、シュタイナーに師事したというのは嘘と証言しているらしい)
このような悪いニュースは私自身もあまり書きたくないが、今後、同じようなことが起こらないようにと願って書いている。もし、そのような偽者がまた出てきても、人が集まらなければ、事件は発生しないので。
偽者かどうかは大体判断がつくと思う。たとえ、セミナーや講座に参加してしまっても、その時点で判断できれば泥沼になることないだろう。判断基準はシュタイナーの言っていることと合っているか?であるが、シュタイナーを知らなくても常識でほぼ分かるだろう。シュタイナーはすごく現実主義なので、日常を怠るようなことは、一番よくないとしている。これだけでも判断できると思う。(
オックスフォード教育講座、
2006-1-26「いか超」勉強会など参照)
それ以外では、その人の実績が、誰でもかんたんに確認できるものであるか?(この人の場合、アストラル界で師事とか誰が確認できるねん。)何処かの学校で学んだとか、何処かで教師をしていたとか、農業ならば、野菜をそれなりに作っているとか、現実社会との接点があればそこからどんな人かが分かるだろう。(この人の場合、出版ぐらいだろうか?出版は自費出版すれば誰でもできるのであまり実績とは言えない。大手出版社から何冊も出していればまだいいが)
本当にすごい人なら、シュタイナーを全面に出さずに、実社会に役立つような実績がまずあって、その実績から有名になるのが先だろう。有名になった後で、実はシュタイナーの思想を応用したんですよっていう裏話があるというぐらいが本物で、シュタイナーの名前しか頼るものがない状態自体がもう偽者に限りなく近いといえると思う。(まあ、これから実績を作る人もいるかもしれないので、全てが偽者とは言わないが、初めからシュタイナーを全面にだして、大きなことを公言している場合は、あまり近寄らないほうがいいと私の経験から思う。)
- 2010/11/05(金) 01:49:48|
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「英国でホメオパシーへの財政支援を廃止」
http://slashdot.jp/article.pl?sid=10/02/26/0349200
シュタイナー関係者では、当たり前の様に、ホメオパシーを使用している人も結構多いので、残念に思う人も多いだろう。私も、残念であるような、でも、いたしかたないのではないかと思う。というのも、一般的なホメオパシーには効果がないのではないかと感じていたからだ。
シュタイナーも、ハーネマン(ホメオパシーの創始者)の理論、いわゆる希釈していくことによる効果を肯定はしてはいるが、私の個人的な考えでは、現代の一般的なホメオパシーはズレているのではないかと思っていたからだ。
と言っても、以下に書くことは、受け売りなので、あまり参考にはならないかもしれないが、シュタイナー関係のレメディーの作り方と一般的なレメディーの作り方が、結構違うのだ。
一般的なものは、希釈の量が、1回に100倍(単位はC)、ポテンシーは30C~10000Cと高く、機械で上下に震動させ、下方向って当てる様なかき混ぜ方をしている。シュタイナー関係では、希釈の量が、1回に10倍(単位はD)、ポテンシーは、3D~20Dというローポテンシーで、かき混ぜるときは、基本的に人が、空に向って、渦が出来るように回転させてかき混ぜる(これは、バイオダイナミック農法のダイナミゼーションにも共通すると思う)
何より、一番おかしいのは、一般的なホメオパシーは、レメディーで全ての治療ができると思っているところである。シュタイナー医学では、ホメオパシーはあくまで一部の技術で、効果がある場合には使用するが、全ての治療でホメオパシーを使用するわけではない。
全ての治療に効果があるとしたいのは、ホメオパシーを職業にした人ならば、そう思いたいのはよく分かるが、限界があるのではないだろうかと思う(推測ではあるが、得意分野・不得意分野があると思う)
このホメオパシーに頼りきりになる状態は、他にも弊害があると思う。これも聞いた話だが、子供が転んだ、怪我した、泣いた、母親がまあ大変、だけど、子供に駆け寄るわけではなく、レメディーを探しに行く。レメディーに依存しすぎて、子供を思う気持ちが変な方向に発揮されている。小さい子供ほど、守られているという実感を感じることがなにより大事であり、放置されるのは一番してはいけないこと(たとえ、子供のためにレメディーを捜しに行ったとしても、子供にはそれは理解できない。今守られる必要がある)。レメディーという物質に頼った、物質主義(現代科学主義)になっていて、精神的には現代医療と全く変らない状態ではないか。ただ、化学的な薬か?レメディーか?の違いで、していることは同じではないか?
そう思うと、この英国の決定は、時代の流れからすれば致し方ないことではないかと思う。(効果のあるホメオパシーを作っている人にはすごく迷惑な話ではあるけど)
- 2010/02/26(金) 19:44:04|
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前回の記事で、幼児教育では「人格のよい人のそばにいればよい結果になるし、人格の悪い人のそばにいれば、悪くなるということ。」と書いたけど、一般に言われる人格とは少しニュアンスが違うと思ったので補足して書いてみる。
一般的に「人格のよい人」といえば、だれからも尊敬されるような人を思い浮かべると思うけど、この場合、そのような人のことではない。今現在の、人格は言ってみればどうでもいい。それよりも、今の時点からどのような方向でどのように日々心がけているか?という部分が問題であり、現在位置の問題は関係ない。(数学的に言えば、現在いる場所がすごく高かろうが、マイナスであろうが関係なく、ベクトルが問題であるということだ。)
努力しているというのも違うと思われる。努力というと、無理して自分に合わないことに力を向けているような頑張る的なニュアンスがあるので、あくまで心がけているという言葉がしっくりすると思う。どこに意識を向けているかということだろう。表面的な物事に意識を向けていると頑張る的な感じになると思う。(「無理して頑張って努力」している場合は、「無理をしなければ自分は幸せにはなれない」・「いつでも幸せを感じられない」とか、「自分はいつまでたってもダメな人間」とか伝わるのではないかなあと思う。)
たとえば、シュタイナー関係では、菜食がよいとか、添加物が悪いとか食べ物にこだわる人が多いと思う。全く食べ物を気にしない家庭にお邪魔したり、おばあちゃん・おじいちゃんが、添加物だらけのお菓子をたくさん与えたりすることが多々あると思う。そんなときにどうするか?どこに意識を向けるか?
食べ物を気にしていない人に対して直接言うか言わないかということは、どちらでもよい。(他人にとやかく言っても、言わなくても、大人である以上、長い間続けてきた習慣や考えがそう簡単に変るわけがない。変えられる可能性があるのは小学生まで)
どのように思うか?こんな身体に悪いものを子供に与えるなんて信じられないと思うか、なんとか与えないようにしてほしいと願うか、子供に今後食べないように言い聞かせるとか、そんな感じで、自分以外の人が間違っている、自分は正しいというような方向に考えてしまうと、それが子供に伝わってしまいそれを将来子供が真似をする。特に小さな女の子は口が達者になるそうだから、知人宅で夕飯をご馳走になるときに「こんなの食べたら馬鹿になる」と大声で言うかもしれない。
もし、食べ物や、親である自分の精神状態で、子供に変な影響がでたとしても、小学校までであれば、まだやり直せる可能性があり、いわんや、幼児ならば、まだまだ大丈夫なので、あまり神経質になることはないと思う。神経質になると「努力」せざるを得なくなり、無理な「努力」は視野が狭くなりがちで、自分が鬱になったり、家庭崩壊まで気付かないこともあるので怖い。(シュタイナー教育は理想の教育だ!と信じ、頑張って学費を稼ぎ、シュタイナー学校に通わせているのに、一向に子供がよくならない、さらに色々な精神世界系のセッションを受けたり、また、そのお金も稼がなければと頑張ったりして、それでも子供は変らず、どうしてここまでやっているのに変らないの!と悩んで、鬱になったり、父親が悪いんだと言って家庭崩壊になるほうが、子供に大きな影響を与えるのは言うまでもない)
私も玄米菜食をしているしシュタイナー教育の理念はよいと考え、「自分は正しい」と思いがちで、息子達にどう伝わったかは定かではないのだが、自分に対して無理を押し付けることができないので(一般的には根性なし)、今のところは、子供に目立った変なことはないが、現状、自己教育が出来ているかは疑問ではある。
追伸。
親として、子供の教育しか興味がないというか、どんな犠牲を払ってでもシュタイナー学校に通わせるとかしか考えていないのも、親として問題があると個人的には思う。当然これも「見えないトンネルで伝わる」わけだから、どんな犠牲を払ってでも子供の教育を最優先という考えが、子供に伝わるということは「自分は犠牲になるのが同然」とか「自分には価値がない」とかが伝わるのではないだろうかと思う。また、子供の教育だけしか考えなかった親は、子供が親から巣立って行った後、その後どんな人生の目標を立てられるのだろうか?50歳以降になって、新しい目標なんて簡単に見つけられないのではないかと。親も一人の人間なので、たとえ子育て中だとしても、親自身の人生の使命を全うするために日々心がけることが自己教育であり、その親の後ろ姿を見て子は育つ(見えないトンネルを通して伝わる)と思うのだけれど。
- 2010/02/01(月) 00:34:26|
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今日、新聞で、0才~3才まで40万かけて幼児教育をした親の記事が載っていました。大きくなって(小学生ぐらい?)、確かに勉強はできるようになったようですが、協調性がないとか勉強はいわれないとしないとかあり、幼児教育が問題だったと親は感じているようです。
ネットを試しに調べてみましたが、幼児教育は盛んなようです。それも色々な幼児教育があり、どれがよいのかよく分かりません。もし、本当に、大きくなったときに問題があるのであれば、そのようなことは口コミやらですぐにばれると思うので徐々に淘汰されて、この理論の幼児教育がよいとか悪いとかがはっきりすると思うのですが、どうも、これも一長一短のようで、よい結果がある場合もあるし悪い結果の場合もあるようです。
新聞の記事の幼児教育は、文字や記号や星座などのカードを見せるようです。シュタイナー教育からすれば、最悪の幼児教育と罵倒されるでしょう。多分、この記事の親も、シュタイナー教育やそれに類似する理論を後から知って後悔しているのではないかと想像します。シュタイナー教育の観点からみれば、幼児期に育つべき意志が育っていないため、勉強に意欲が湧かないというか、どんなことも、受身でしかできない人になると思う。なので他人のことを想像できないがゆえに協調性も育たない。悪くすれば、身体的な障害も発生するかもしれない(幼児期は身体的な土台を作る時期なので)。
勉強が出来るようになるためにはどうすればいいかなど簡単だと思う。どうしてこなるのか?と思う問題意識や、知りたい!という意識があれば、早期教育で知識を詰め込まなくても、どんなに大きくなった後でも、勉強はできるようになると思う。要は、意欲の問題で、幼児期に変な早期教育をすると、意志・意欲が十分育たない。はじめのうちはできるだろうが次第に勉強ができなくなるのではないかと思う。坂本龍馬やアインシュタインも、小さい頃は学校のようなところでは、成績は悪かったといわれているので、小さいころは頭が悪い(知識を詰め込まない)方がよいというのは、シュタイナー教育を知らずとも、想像がつくのではないでしょうか。
シュタイナーは「治療教育講義」で、大人のいわゆる精神病は、完治することは困難で、小学生ぐらいまでなら、直しやすいというか直すことが比較的出来やすいと語っていたとおもう。小学生がシュタイナー教育を受ければ、精神病にはなりにくく、幼児期の悪影響もシュタイナー教育の授業を受ければ、よい方向に戻すことが可能ということだ。逆に、幼児期を理想の環境ですごせたならば、小学生でのシュタイナー教育はそれほど重要ではなくなってくるとも言える(幼児期ほど影響は大きくないとはいえ、小学生も悪い環境であれば、その後の人生に悪い影響を与えることは容易に想像がつくので、シュタイナー教育を受けたほうがいいとは思うけど)。
そこまでいうなら、シュタイナー教育を受けたら必ずよくなるか?と言えば、それはわからない。教育とは「見えないトンネルを通って伝わる」こと。どんな幼児教育を受けても、よい場合と悪い場合があるのは、それは、何をしたかどうかはあまり関係ないということで、身近にいる人の意欲や精神状態が伝わる(「見えないトンネルを通って伝わる」)わけで、
人格のよい人のそばにいればよい結果になるし、人格の悪い人のそばにいれば、悪くなるということ。なので、シュタイナー教育は、どんな授業をするとかよりも、まず教師はどうあるべきかというのが問われる。そして、実際することは、子供に教えるというよりは、授業を通して教師の成長を促すようなことをしているだけで、それを子供が受け止めるという状態だ。教師の自己教育がなく、海外のシュタイナー教育のマネだけをしている場合は、いくらシュタイナー教育を受けても、子供はよくならない。
幼児教育としては、幼児の近くで淡々と仕事をするというのが基本。仕事に向ける態度やしぐさや意欲が、幼児の将来の仕事への源になるからである。幼児はそれを将来マネをするのである。シュタイナーの幼児教育では手仕事が重要とされているが、子供がすることが主目的ではなく、大人がすることが重要であり、おもちゃも手作りの方がいいというのも同じ理由である(作っている過程を見ていなくても、完成したおもちゃを見れば、プロセスは少なからず伝わるものである)。5・6歳頃から手足を動かすことによって、指先・足先まで意志をゆきわたらせるという意味もあり、器用に動かせるようになることは、以後の歯の丈夫さに関係する。
シュタイナー教育というものは、大人の教育とも言えると思う。シュタイナー教育は、周りの大人の生き様を見せるものなので、本来、決まった型や方法などはないと言える。
親の自己教育が一番子供に影響を与えるというのは言うまでもない。(父親が散歩に連れて行っている幼児は大きなケガをしにくいという新聞の記事もあった。子供は、親を選んで生まれてくるので、親の影響を受けることを前提に人生を歩むわけで、母親だけではなく、父親もよく接すること、両親の影響を偏りなく十分に受ける必要があると思う)
- 2010/01/15(金) 01:26:02|
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以前、映画ベーシックインカムの紹介ビデオを紹介しましたが、全編の翻訳が完了したようです。(私はまだ見てませんが、見てください。)
皆さんでご覧下さい。ホームページを持っているかたは、どんどん動画の掲載や、動画へのリンクなどをして紹介してください。
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【
映画ベーシック・インカム/Grundeinkommen日本語字幕付き完全版】
ダニエル・ヘーニー&エンノ・シュミット共同制作、スイス/ドイツ、2008年
2009年始めに公開された紹介フィルムに引き続き、約100分の映画全体がまとめられた日本語の字幕付きで御覧頂けるようになりました。この映画の本質的な内容を御理解されれば、ベーシック・インカム/グルントアインコメン/生活基本金制度が、単なる政治家や経済専門家の討論テーマなのではなく、小さな子供からお年寄りの方まで、人間ひとりひとりの固有の精神と魂に密着するテーマなのだということがお解かり頂けるはずです。画面下方のGerman[100%]のところをJapanese[100%]にセットし直してスタートさせて下さい。
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再生できない場合は、動画サイトへどうぞ
→
映画ベーシック・インカム/Grundeinkommen日本語字幕付き完全版動画下にある言語を選べるところが、EnglishやGerman[100%]になっていますのでJapanese[100%]を選択すると日本語訳になります。
- 2009/11/18(水) 21:04:59|
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仲 正雄さんの講演録を読んで以来、声のワークショップに参加したいと思っていた。
それから、3年後の2009-11-14にワークショップが近くであるというので行ってきた。(私だけが少し異質な存在だったかも?他の人たちは知り合いのような感じだったので。)
普段、何気なく、使っている声。
聞こえるか聞こえないかは、声の大きさ(音量)ではなく、声の質できまる。仲さんがいくらヒソヒソ話をしても、遠くの人に聞こえている。講演会などで、「聞こえない人は手を上げて」と音量としては小さな声でいうと、後ろの人が手を上げるらしい。聞こえているんじゃんという笑い話なんだけど。
講演会で、言われるのが、同じ話をしてもいいので話をしてほしいと言われることらしい。内容はどうでもよくて、声を聞くことで、何か得るものがあるということだ。仲さんの声を聞くことで、内容も関係あるかもしれないが、それぞれの人がそれぞれ違うことを思い出して自分の中でいろんなことをつなげていく作業を勝手に始めるらしい。いわゆる癒し(カタルシス)になるのだろう。(私も何かで聞いた話だが、「思い出す」ということ自体が快感を与える。何かド忘れたして、苦労して思い出したとき、なんだか嬉しいというか落ち着くというかあると思うんだけど、これも一つの癒しだろう。シュタイナーも教育の中で、低学年に実施したことを覚えさせるのではなくて、忘れさせる。そして高学年になってから、思い出すことで、強固に学習ができるというか身につくということになるようなことを言っていたと思う。忘れるというのは一度、自分の無意識に刻み込みような作業なのかもしれない。)
声の質がいいと、子供たちもよく言うことをきく。あかちゃんなら眠ってしまう。仲さんの声を聞いているだけで、このワークショップ中、体がホカホカ暖かくなり、みんな上着を脱いでいた。
普通、伝えようとすると、直線的な強引な感じで「こうで、こうだから、こうなる。分かったか」みたいな感じになる。でも、相手にはまるで伝わっていない。声の質がいいと、話している相手を包み込むような状態になる。たとえ、話している内容が要領を得なくても伝わる。
仲さんは話していると、いつまでも立っていられるらしく、声によってエネルギーが入ってくるのでそれに寄りかかっているので疲れない。
先生やヒーラーならば、声の質をよくすることは、すごい武器というか道具になると思う。どんな内容を話したかなどは1割ぐらいしか意味をなさない。あとは、声の質で決まる。
仲さんの声は、後ろ向きでしゃべっているほうがよく聞こえる。実際聞いいるとそうなのだ。だから、講演会でも、本当は後ろ向きでしゃべりたいそうだ。
また、ライヤーも弾くのではなくて、離すことで音をだすと、響きが明らかに違う。以前、シュタイナーを知らない頃だったかだいぶ昔、無名の人のライヤー演奏を聞いたことがあったが、そのときは、なんだか「私の演奏を聞けー!」みたいな印象を受けたことがあった。仲さんも弾く場合と、離す場合を実演してくれると、ああ、あの時は、弾いていたんだと思った。いくら離して音をだしている指を見ても、どうやっているのか分からない。弾いているときとは指の動きがあきらかに違うのは分かる。
弓道は、力をいれると手が震えて、絶対に的に当たらない。いかに力を抜くか。そして、体の構造で弓と矢を引っ張り、首の下あたりで焦点が定まったときに、矢を離すと的に当たるとのこと。弓道も奥が深い。
声の質を上げるには、溜めが必要。Mの音をしっかりと閉じること。後ろの仙骨の上の背筋をつかうこと。
声の質がよくなれば、顎から首、肩、背筋がよくなる。立ち姿がよくなる。
肩こりとはおさらば。冷え性ともおさらば。疲れしらず。なんだか、女性のよくある症状がすべて解決するような感じ。女性は、確かに溜めがない気がする。間がないというか。反射的に喜んだり落ち込んだりするので、溜めがないことが多いのではないだろうか。溜めがないから、いい場合もあるだろうけど、無意識にしていることが問題なのだろう。
海外では、お母さんの声だけ聞こえない症候群というのが子供にあるとのこと。お母さんの怒り方というのは怖くないということが多いかもしれない。表面的に怒っていても全然怖くないという体験をしたことがある。声の音量だけは大きいのだが、全然怖くない。(あるゲシュタルトセラピーの受講中のことだが。ゲシュタルトセラピーはいまどき廃れていると思うけど) 逆に女性は、声の大きさ(音量)だけで怖がったりすることが多いような気がする。
冷えとり健康法なんていらないかもしれないと思ってしまった。(声の質を上がるまでは必要だけど。)声の質がよくなって困るのはヒソヒソ話ができなくなること。そこまでいけば、精神的に悪口を言うこと自体がなくなるんだろうけど。
- 2009/11/16(月) 01:34:44|
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我が家だけにしかありえない現象かもしれないが、食べ物がすぐに影響することを目の当たりにした。
日ごろ、
玄米菜食(でも、ときどき肉食)をしている我が家。もう玄米菜食をして10年になる。
最近は、始めた頃ほど厳密に玄米菜食はしていないが、玄米だけは必ず毎日毎食食べる(外食しない限り。外食することもほとんどないので、知人の家でご馳走になるときぐらいは、そのまま頂くという感じの頻度)
そして玄米は、
自然農法をベースにした農法で栽培された玄米を食べていた。
そんな我が家であるが、なんだか調子が悪い。この10年、体調が悪くても、1日寝れば直る、悪くても数日すれば直る位の健康度(と言っても1年に1回あるかないかぐらいの頻度)。
ヨメは体中に湿疹がでて、かゆくてたまらないらしい。この10年そんなことは一度もなかった。1歳になる次男は後追い時期のためか、ヨメが離れるとすぐに泣く。母親がそばにいると泣き止む。今7歳の長男のときはこんな事はなかった。ヨメがトイレに行くと泣く。ヨメが家事をすると泣く。ヨメが洗濯をすると泣く。という始終泣いている状態。この子の個性なのだろうか?とも思った。
そして、私は、風邪をひいたような引かないような状態が1週間ぐらい続いている。エキネシアのレメディーを飲み続けているが、一向にすっきりしない。こんな体調は初めてだ。熱はないのに、頭が痛い。なんなんだ?
引越しを今年の8月にしたので、その時点で劇的な生活の変化があったということはあるが、こんな体調不良になっていない。家族の引越しを、ほぼ私一人で1週間かけて実行した。相当無理をしたと思っている。でも、そのときでさえ、体調は崩していない。
そんなとき、ふと、最近、この数年ずーと同じものだったのを変えたことが一つあることに気付いた。
玄米を変えたのだ。知り合いから無農薬だと言われて、購入したのは確か1週間ほど前。そうだ、ヨメの湿疹もこの時期から出始めた。私の体調不良も、次男の泣きも。。
そう気付いた瞬間即座に食べるのをやめた。玄米を毎日炊いているのでお櫃にはまだあるが、もったいないけど捨てた。(本来はどんなものでも捨てられない性格なんだけど)
そして、通常買う玄米は通販なので、今日ほしいとおもってもすぐ入手できない。しかたがないので品質的には信用できるがお金が高い玄米を購入してきて、炊きなおした。するとどうだろう。すぐに顕著に変わったのは、次男の泣きである。昨日までは、1日中泣いているような状態が、今日は、転んだときとおっぱいのときぐらいしか泣かない。そうだ。長男のときもこんな感じだった。次男だって、1週間前まではこうだった。毎日一日中泣くので、ヨメは掃除ができない、仕事が出来ない、部屋がぐちゃぐちゃと嘆いていたが、これでなんとかそれを脱することが出来るのではないかと思った。
ヨメも昨日の夜はかゆくて眠れないと言っていたが、今日は、かゆいはかゆいが昨日ほどでもない様子。私も、昨日まで頭が痛くてしょうがなかったが、それもなくなってきた。
この現象をみて思ったのは、ちいさな子供が母親から離れるとすぐ泣くのは、もしかして、こうゆうこと?と思った。わが子は、母親から離れたからといってすぐにはなかない。でも、すぐに泣く子供をよく見かける。食べ物の品質が原因で、不安な状態にするのではないか?どこか痛いのであれば、母親がそばにいても痛いだろうから泣くだろう。泣くのは精神的な不安だと思われる。ある程度、その子の個性もあるだろうから分からない部分もあるけれど、このような要因が少しはあるのではないかと推測する。わが子の場合、生まれる前から玄米菜食なので、顕著に出易いということはあると思う。甘いもの(特に
異性化糖が入ったジュースやお菓子)を与えると、ハイパーになって、おとなしくならないことはよくある。
今回の原因は、玄米の栽培方法だろう。通常我が家で食べている玄米は、無農薬・無化学肥料・有機(完熟堆肥か無肥料)の玄米。今回の無農薬玄米は、知り合いの知り合いの知り合いだから、無農薬というのがどの程度のものかは全く分からない。農家によっては除草剤は農薬と考えていないとも聞く。米を無農薬でするのに何が苦労するかといえば、草むしりである。害虫もあるとは思うし、病気もあるだろう。でも、ここは北海道なので、本州に比べれば、害虫も病気も少ない。一番苦労するのが除草である。除草剤を撒いても無農薬という農家がいるようなので、この無農薬玄米はその部類の可能性がある。また、肥料も、有機なのかどうかも怪しい。無農薬でも、有機肥料だけなのか、化学肥料だけなのか、有機と化学肥料両方使用しているのかどうかも分からない。有機肥料だとしても、完熟なのか未完熟なのかで米の品質は大きく変わる。有機肥料も動物由来なのか植物由来なのか?なにに由来するかでも品質は変わるのである。なので、一般に農薬が問題視されることが多いが農薬よりも肥料のほうが問題が大きく、化学肥料を使用することが一番問題だと個人的には思っている。肥料がそれなりに自然の摂理に従ったものであれば、害虫や雑草、病気の問題も少なくなり、農薬もそれほど必要にはならないからである。
ヨメの湿疹があったので、明らかに、石油由来のもの(農薬か化学肥料か)が、この玄米に入ったのだろう。この現象で一番驚いているのはヨメで、玄米だけでこんなに違うんだ・・としみじみ思っている様子。イヤ、身体・精神の健康のために、玄米菜食しているんだから、玄米の品質が悪ければ同然の結果だろうと私は思うのだが、あまり理解していなかった様子。
現代の食生活において、健康にするのは結構大変だと思う。それに我が家は、お金に余裕がない。けど健康であるという状態を保持している。それは、なにより玄米を食べ続けているおかげと思っている。品質にはこだわっているが、おかずを少なくすることによって、おかずにかかる値段を抑え、玄米をたくさん食べる状態にしている。おかずの品質にこだわると、いくらお金があっても足りない。おかずの品質にもこだわるが、量を少なくする。そのようにして、我が家は、品質にこだわっている割には食費を抑え健康を維持しているという状態である(と言っても一般的な家庭よりはかかっているとは思う)。この状態で玄米の品質が悪くなると、一気にそれも短期間でおかしくなるというのを今回、はじめて体験した(当たり前の話だけど)。こだわりが多かったので、最近、妥協することにしているが、いはやは、玄米だけは、妥協できないなあと実感した。逆に、おかずの品質が多少悪くても問題は少ないということだろう。(いくらでもお金をかけてもいいなら、白米にして、こだわったおかずをたくさん食べればよいのだがそれは我が家ではできない。)
20091110追伸.
20091105に原因が玄米だと気付いたときに撮ったヨメの湿疹


お腹とか首周りなどもあるんだけど、そういえば、
妊婦のときにも湿疹が出たことを思い出した。このときも、鉄分を摂ろうとして、レバーとか、養殖の刺身とか食べた覚えがある。多分、このときは、養殖の刺身(解凍ではなく生)が大きな原因じゃないかなあと思うけど、ヨメはレバーが原因だと言っていた。どちらも、普通のものを購入したのでどちらも怪しい(オオヤミートのレバーにすればよかったと最後に気付いた)。それより気になるのは、湿疹が出ているところがそのときと同じ箇所なのだ。多分、ヨメは、この箇所がウィークポイントなんだろう。私は、咳とか喉とか鼻とかがウィークポイントなんだろうなあ。調子悪くなると最初に出てくるところだから。現状、元の玄米に戻したところ、直る方向に向っています。ヨメの湿疹は特に分かりやすい。お腹周りから直っていくようだ。手足が最後に治るのだろう。出始めた頃も手足からだったから。長男も頭にオデキができて痛いとのたまっていた。これは、週末のお出かけのせいだろうけど、シュタイナーが一番健康な時代と言っている小学生時代だから影響が少ないのかなあ。とはいっても、咳(結構していたけど最近はなくなった)やらオネショ(これは寒くなったせいもあるだろうけど、去年よりひどい。去年よりは暖かい部屋のはずなのだが)などで現れているかもしれない。私自身の咳も回復に向っている。
- 2009/11/05(木) 19:07:52|
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次男である赤ん坊の離乳食を四苦八苦してしている。
長男のときは、
マクロビや
母乳育児や自然育児などを参考に、ほぼ玄米をヨメが口でくちゃくちゃやわらかくしてからあげていた。
だが、野口整体の本を以前読んで、びっくりしたのが、「離乳食はステーキ」というような表現があったことだ。(正確な表現は、本が手元に無いので分からないが)
確か内容としては、離乳食は、動物性でなくてはならない。なぜなら、離乳食のころの赤ん坊は、野菜を消化する能力がないからだとのこと。野菜や穀物を与えると、原形をとどめたまま、ほぼ消化されずにウンチに出てくるという。だが、動物性のものは、消化できる。牛乳を与えると、ウンチがすぐに固まるとか。
ステーキはさすがにやりすぎな気がするが、聞いた話だと、離乳食を肉食にすると、大きくなってから、肉に執着しなくなるそうだ。小学生になった長男は、肉・魚には目がない。
シュタイナーの離乳食に関する本は私は知らないが、「
健康と食事」に以下の様な部分がある。
P72「植物性脂肪を消滅させて、自分自身の脂肪を生産するための力を体内に発生させることができない人々がいる」
P73「肉を食べなければ生存できない人々もいるのです。」
P131「人智学者は肉食を禁じるというのではなく、健全に進化した本能が肉食を寄せつけなくなるのです。そのようにして肉食を好まなくなるほうが、抽象的な規則から菜食主義者になるよりずっとよいのです。人智学的な生活をとおして、肉食に対する嫌気と嫌悪感が生じるようになるのが、いちばんよいのです。それ以外の方法で肉食をやめるのは、あまり価値のあることではありません。」
母乳しか飲んでいない赤ん坊は、動物性しか摂取していないといえるのではないか?(母乳は厳密には動物性といえるかは分からないが、植物性ではないことは確かではないか?)そのような赤ん坊が初めての食べ物が植物性であった場合、消化できるとは思えない。
そのように考えれば、母乳しか飲んでいない赤ん坊は、植物性を消化できないというのは、考えれば当たり前の事ではないかと思う。
大人が、食事を
マクロビにするのは、体質改善であったり、病気治療であったりするわけで、健康な人が健康を維持するためのものではないと思われる。(人によっては、全く反対の
西式健康法によって健康になる場合もあるので、マクロビをあまりに重視するのも問題だと思う)
特に、離乳食を菜食でした場合、乳離れが大きく遅くなるのではないかと、私の周りの人を見ていると思う。(
母乳育児的な観点からは、自然に母乳を飲まなくなるまで何歳までであろうが母乳を飲ませるのがよいとされている。確かに、母親はマクロビ的な食事の方が母乳の詰まりなどを考えるといいと思われるが、離乳食までマクロビにする必要があるかは疑問に思う)長男は3歳近くまで飲んでいた。野口整体では、1歳ごろ自然に乳離れするのがよいと書いてあったような気がする。
あまりに長く母乳を飲んでいるのは、いろんな意味で困るのではないか?長男は無理やり断乳をして、3歳前に乳離れしたと記憶している。(何度か断乳を失敗した)
なので、次男には、積極的に、卵とか、肉とか、乳製品を与えている。乳離れが早くなるか?(当然ながら、食材はそれなりにいいものを選んでいる。)でも、玄米だけはあげ続けている。玄米菜食というよりは、ご飯だけ玄米の普通食をベジタリアン寄りにした食事という感じか?(赤ん坊だけ、肉の割合を多めにしている。赤ん坊だから大量には食べられないし。長男には物足りないぐらいの量だろう。)
- 2009/05/22(金) 01:26:16|
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息子が今年2度目のインフルエンザにかかった。
今年は1回インフルエンザにかっかているので、他の学校が学級閉鎖してたりしてるけど、一度かかっているから大丈夫と思っていたら、突然、かかった。
朝まで、元気に遊んでいたのに、昼過ぎに急にガラガラ声になり、いつもはいくら遊んで疲れても遊び続ける息子が、疲れたと言った。顔も赤い。ゴールデンウィーク中だったので、いつもの病院には行けず、数日家で寝かせておいた。ゴールデンウィーク明けにはだいぶ熱は引き、軽い風邪かとも思ったが、インフルエンザだったら学校に行かせるのはまずいと思いやはり病院へ行くことにした。そしてインフルエンザと診断された。
1回目にかかったとき、初期段階で(と言ってもこの時点ではインフルエンザにかかっているとは気付いてない)、レメディーで対応していたのだが、なかなかよくならない。なので、病院に行ってインフルエンザと気付いたときには、タミフルも効かない時期になっていたが、医者からタミフルと咳止めをもらった。息子は健気にきちっと飲んだが、結局効かなかった。長引かせて直したという感じ。というか、薬を飲んで、咳とかは悪化したように思った。
なので2回目の今回は、タミフルを処方されたが、買わなかった。効かないし悪化すると思ったから。そんなとき、
タミフルと同じくらいの効果があるという研究結果がある漢方薬「麻黄湯」を飲んでみた。
今回もレメディーは飲んでいたのだがあまり効いた感じがしないのだがこの「
麻黄湯
」は明らかに効いた気がする。というのは、息子が最初にインフルエンザにかかり、私もうつされたようなだが、発病までしていない状態が数日続いており、何とかレメディーで対処していた。そこで「麻黄湯」を飲んだ瞬間、鼻水が止まり、あきらかに、回復した感じがした。レメディーとの相乗効果もあるかもしれない。
この効き目に驚いて、あんまり、ドラックストアーには数は置いていなかったので、さらに余分に1個買っておいた。(我が家はインフルエンザ以外の風邪にはかからないようだし。息子は、今年の1回目のインフルエンザが生まれて初めての風邪というか、病気といってもいいぐらい健康体の6歳児)
漢方薬が現代医学で効果があるという結果があるのであれば、現代でも太古でも認められたということで、ほぼ効くことは間違いないのだろうし、タミフルみたいな、対処法的にウィルスを攻撃するのとは違い、漢方薬は身体のほうを整え、病気を癒すので、身体への負荷はだいぶ少ないのではないだろうか。(全く副作用がないわけではないがタミフルほどあるとは思えない)「麻黄湯」には飲んではいけない人もいるのでよくよく調べたり、医師に相談したりしてから、試してみてください。
シュタイナー医学もレメディーだけで対処するわけではないし、また、シュタイナーの哲学・理論・考えからしても、太古の医学は正当性があると思われる。(太古の人間はまだ、神と分離していない状態というか、神を身近に感じて誰も疑わない状態で、知識も自然と分かってしまう、宇宙と繋がった状態だったと思われる。なぜ、薬草がこの病気に効くとかを太古の人は分かったんだろうと小さいころから思っていた。単なる経験による知識の積み重ねにしてはあまりに膨大であるし、体系付けがあまりにきちんとしているのも経験からによるものとは思えない)
また、
東洋ならば全く違った人智学を考えただろうともシュタイナーは語っているので、レメディーにこだわり過ぎるのも問題(アーリマン的?ルシファー的かも?)で、日本は日本の人智学として、太古からの知識をそれなりに認める必要があると思う。
「麻黄湯」の材料のひとつ「麻黄」はネットで調べてみると、なんだかスギナみたい。低木から緑のトクサが生えたようなものらしい。主成分は、エフェドリンらしい。「インフルエンザはもともとは脳の病気なので」(
健康と病気についてP392より)とシュタイナーは言っているので、私はSiが関係しているのかと思ってしまったが、違うようだ。残念。
- 2009/05/14(木) 21:25:58|
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よく、シュタイナー関係で、
「物質的な考え」という言い方をするのを聞いたことがあると思う。
私のみの考えかもしれないけど、結構間違って使っている人が多いと思う。
シュタイナーの本の中で「物質的な考え」という文言があったかどうかははっきり覚えていないが、「現代科学的な(唯物論的な)考え方」というような表現はあったと思う(それでも、悪いとかいいとかは言っていない。ただこうゆう考えはこうなると言っているのみ)。これが派生して「物質的な考え」という表現をしている人がいると思うし、霊的なことを考えない考えのことを言っている人もいると思う。
シュタイナーは何度も何度もたとえをだして、現代科学的な考えはこうだというようなことを言っているので、シュタイナーの本を読んでいれば分かってくると思うのだが、決して、物質のことを考えるのが現代科学的な考え(物質的考え)ではないと思う。
シュタイナー学校移転のとき、移転に賛同するかどうかの聞き取りの面接で、私はこんなことを言ったことがある。
「父母の負担をできるだけ軽減するためには、校舎を自前で所持することが先決ではないか。いつまでも仮の校舎では、いつまでたっても、現状より負担が減らない。ひいては、生徒が増えることもむずかしい」(校舎移転前も個人からの借り物だけど、公共からの借り物であるとはいえ校舎移転後も借り物であり、結局、その束縛のために、ポリシーが自由に設定できないことや、金銭的な負担が結局は変わらないという問題があったのだが、個人から借りている校舎の返還期限が迫っているため、どちらにしても移転はしなくてはならないという事情があった)
そのようなことを言ったら、学校側の方が「それは物質的な考えではないですか?」と言われ、そのときは、「物質的な考え」という言葉について指摘はしなかったが、これは全く逆な使い方だと思う。というか物質的な考えという言葉の定義自体が曖昧すぎて、本来そのような言葉を使うべきではないのかもしれないとも思う。
学校側の方は、校舎自体や、お金のことばかりを私が言っているので、物質的という表現をしたのだろうけども、そのそも、「物質」とは、「霊的なもの」が凝縮して物質化しているのであり、「物質」は「もっとも霊的なもの」といえる。
ただ、物質的な事柄になってしまうと変化させることが難しいので、物質的な事柄を変化させようとすると、たくさんの精神的努力が必要。というか、物質的な事柄は、過去から今までの長い積み重ねによって(努力しているかどうかは別として)、物質的な事柄に凝縮しているのだから、変化させるのは努力が必要なのは当然である。
だからよくも悪くも、「物質」とは「もっとも霊的」といえる。お金の事を考えることは、物質的な考えと言いたくなるが、お金も使い方次第で、よくも悪くもなる。経済的に困窮しているのであれば、それはお金の使い方が悪いか、行っている行動自体が悪いのである。いくらよい行動でも、一時期は困窮することはあると思うが長い間困窮が続くならよい行動とは言えないと思う。
「現代科学的な(唯物論的な)考え方」とは、全体を考えないで、一部しか考えていない、表面的な浅はかな考えと言える(だが悪いわけではない)。学校移転の例だと、「移転先を決定することでシュタイナー学校を継続すること」だけを考えている。
シュタイナー学校は、教育が変わり、子供が変わり、世界がよくなると思って、一生懸命努力しても、一向に自分自身の経済的な問題や精神的な問題が良くならない、いつも困っている状態ならば、何かおかしなことをしていると考えるべきである。社会のせいでも、学校のせいでもない、自分のせいである。問題が発生することで、周りから教えてもらっているのである。(金持ちがよいということではない。お金持ちな人は、たいがい、お金のかかる病気や性格をもっていたりするし。一時期お金もちになって没落して前より酷くなるというのもあるし)
分かりやすいので引用しますが、シュタイナーが「農業講座」P29~P30にていっていること
「ある人が磁石を持っており、磁針がつねに一定の方向をさし示すとき、つまり一端が北の磁極をさし他端が南の磁極をさすのを見て、「一端がいつも北をさし、他端がいつも南をさす理由は、磁針の内部にあるのだ」と言うとするならば、人びとはこの人を幼稚だと考えることでしょう。そして、こう言うでしょう。「ここに地球がある。そしてこれが磁針だ。なぜ磁針が一端で北をさし他端で南をさすかをいうと、これはここに地磁気の北極があり、ここに地磁気の南極があるからだ。この磁極が磁針に方向を与えているのだ」と。(中略)これと同様に、植物に近接した場所ないしはその直接の環境世界の中で今日の科学が確認している現象が、たんにその場所内での対象となりうるもののみ関連をもっていると考えることもまた、幼稚なことです。植物の成長には、天体全体を含めて宇宙総体が関与しているのです。そのことを人びとは知らねばなりません。今日行われているような方法で植物学を運用することは、あたかもいま私がお話しましたように磁石の針のことを云々するのと同じほど、子供じみていることが理解されねばなりません。」
大根がなぜ成長するかという問題を解明するために大根を切り刻んで、細胞を顕微鏡でのぞいても、解明できないということです。宇宙を含め、大根が生長する周り全部が関連しているということ。大根を育てている人の感情や意思、思考からも影響を受けます。
ある団体でお金の問題がずーっと続いているから、団体内のお金の分析ばかりしていても、問題解決はしない。
なんらかの問題を改善をしたい場合、できるだけ全体を考えるようにすることがシュタイナー的といえるでしょう(でも一部だけ見ることが悪いわけではない。一部も重要だが、一部だけを見続けることが問題)。実際、宇宙全体まで考慮できないけど、自分のできる範囲で全体を考えることが重要でしょう。
問題解決できないのであれば、「まだまだ一部しか見えてないよ」ということです。特に、物事を一緒にしている仲間の事を考えていない場合が多いと思う。仲間の中に家計が赤字なのにさらに赤字になるような物事を一緒にやっていたら、問題が良くなるわけがない。出てくる問題は、全く姿を変えて出てくるけど(表面的な問題)、根本的原因は、身近な部分、自分自身か、仲間の事を考えていないことではないかな。
- 2008/08/01(金) 15:46:03|
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フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のシュタイナーの項目に批判的な事が書かれた。(ウィキペディアは、誰でも記事が書け、誰でも見ることができる、ネット上の百科事典のようなもの。初めのころは内容が不足なことが多い上、内容もあまり信憑性がなかった。最近はわからない言葉を調べるときは、よく使われている様子なので、ここに書かれていることは客観的な立場でおおむね正しいこととされる傾向があるようなないような。という感じなのでここに批判的なことが書かれると、ちょっと困るというのが現状かも)
一応、現在(2008年5月現在)でも、その批判的な部分は全部ではないにしても、ある程度残してある様子。(全削除されるかと思ったが)
主な批判的な内容は、シュタイナーの文献には人種差別的な表現があることが問題のようだ。
確かに、ある講演録の一部分だけを抜き取れば、人種差別主義者のような感じを受けるだろう。一つの講演録を最初から最後まで読んだ人でも、他の分野など全体を知っていないと、そのようにとらえる人もいるだろう。
また、シュタイナーを信じている人というか勉強している人などは、悪い面をあまり伝えることがすくない。シュタイナーをうわべだけ実践しつづけると全く逆のことを目指すことになりかねないにもかかわらず。
少なからず、批判的なことは、もっとオープンにしたほうがいいと私は思っている。私は、どんな嘘にも真実が隠されていると思っているからである。(子どもが嘘をついたからと言って、その嘘自体に注目するのではなく、なぜそのような嘘をついたのか?というところに真実がある。どんなことも、真実の現れとしての一つの側面であると思うからである)
読む人の判断に任せます。その辺のリンクをいろいろと
1)
PLANS日本語2)
9つの批判記事3)
緑の党の結党事情記事4)
シュタイナーは人種差別主義者、あるいは民族主義者であると言う非難に対する反論
- 2008/05/10(土) 13:56:13|
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「金星がさそり座の時に燃やした」だけで意味の分かる人は、「
農業講座」をよく読んでいる人だろう。又は、同じ悩みを持っている人だろう。
ネズミです。ネズミが寒くなると家の中で「ガジガジ」するのです。または「タタタタッタ」と天井裏で運動会をしているのです。
現在の我が家は古い農家の家を借りているので、隙間がたくさん。すぐに入ってくる。
そう、金星がさそり座のときに、ネズミの皮を焼いて撒くと、来なくなるというのです。(これを応用したのか、ナチスでは、ユダヤ人を風上で燃やしたとの話をどこかで読んだ気がする。惑星と星座はどこになるのだろうか?人では効果がないと思うのだが・・・)
これは、一回してみないとと何度か思いましたが、金星がさそり座というのがいつなのかよく分かっていなかったのです。
「
種まきカレンダー」を見ると、2006年は、11/15~30がその時期であることに気づきました。
11月に入ると、夜に「カジカジ」しているので、ねずみ捕りで何度も捕まえました。でも、11/15前になるととたんに出なくなったのでした。私の殺気を感じたのでしょうか?
今年の冬も、ネズミに食料を齧られる対策をせねばならないかとあきらめモードでしたが、11/24に小さなネズミがチョンチョロリンと走っていくのが見えました。それまでは「カジカジ」する音はすれども姿は見えずだったのに。そうか、出産の時期だったのかもしれない。人間の怖がらない小さなネズミがうろつくようになったのだろう。そういえば去年の冬も寒い頃は、小さなネズミが姿を見せていた。
これは、捕まえられるかも!?と思い、早速、ねずみ捕りを仕掛けると、11/25深夜捕まりました。それも11/26の朝にはねずみ捕りの中で凍死していました。そんなことは初めてです。焼かれるために捕まったのか?とも思いました。
そして、寒い朝に外で、焼きました。本当ならば、皮を剥がなければならないのですが、どうやっていいか分からなかったので、そのまま焼きました。そして、皮(表面)がある程度焼けたところで、止めました。
その灰を家の周りを歩いて撒きました。さて、本当に効果があるのか?楽しみです。
[2006-12-13追記]
撒いた次の日、ネズミが勝手に死んでいるのを発見。これはすごい効果?!と思ったが、その後、大豆をかじられ、やはり、皮を剥がねば効果は薄いか・・・。それとも、微妙に種類が違うのか? こういうものの効果を実証するのは難しい。
- 2006/11/26(日) 21:16:53|
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「教育芸術1」の第十四講→「教育芸術2」の第十四講→「教育芸術2」の第十五講まで読み、3冊の本を読み終わる。(
12月25日~
1月6日まで参照)
現代になって大きくずれてきたらしい一般的な教育方法をいかに正常に戻すかが難しいことを長く読んだような感じである。
理想的な授業をしたいが、国によって授業内容が規定された現代では、シュタイナー学校だけで理想の教育をしたところで、途中から転入してきた子供と、最初からシュタイナー学校にいる子供を同じクラスで授業しなければならない。相当難しいだろうことは想像がつく。
また、シュタイナー学校を卒業したら、普通の一般社会で仕事ができるのか?社会に馴染めないのではないか?という疑問もよく聞く。3冊の本を読んだ限りでは、逆に感じた。普通の教育の方が、社会や生活との関係を説明しないまま教え、シュタイナー学校は、実社会で応用できるように教えるのではないかと思える。
私自身は普通の学校に通ったので、いつも「この授業は将来役にたつのだろうか?」と思いながら勉強していた。しかし、シュタイナー学校は、実生活や実際の歴史をからめて、算数や国語などで教える内容がどのように関わっているかを、人間の成長段階に合わせて授業をすすめて行く。
そして、「生きた概念」を身につける。私的な解釈では、応用でき、体験するたびに変化・成長する概念。
一般の教育は「死んだ概念」を教える。応用が利かない。覚えるだけ。大人になっても何も変わらない概念。まさに詰め込み教育。
一般の教育を受けた私は「生きた概念」を、ある程度、思考的な部分では獲得できていると思った。(ヨメはできてないと思う)だけど、芸術や感情関係が乏しい。(ヨメは感情派)
結局、生まれもった性質が大きいような気もする。でも、シュタイナー教育は、普通の教育よりは理解しやすい授業だろうし、バランスのとれた人になれるのでは…とは思う。ただ、卒業間近にならないと、教育の成果が目に見えた形では分からないのだろう。(理想に近いシュタイナー教育が日本では少ないだろうし、両親の実生活も大きく影響を与えるので一概には分からない。)
どちらにしても、親としてでもシュタイナー教育に関わるのであれば、この3冊は必読だろう。
(いくつ必読する本があることやら…。でもこれは一番はずせないかも)
北海道伊達市の14日目
日照時間 1.4時間、最高温度 -3.6℃、最低温度 -10.9℃
- 2006/01/08(日) 00:54:17|
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芸術を生み出し、
社会的な価値を生み出している。
だからこそ、社会から必要とされ、必要とされれば、どんな形にしてもお金が集まってくる。
一時的な金持ちもいるけど、
それはそれで、
アーリマン的な存在なのではないかと思う。
(アーリマン的なものも社会には必要らしいので)
- 2005/04/16(土) 20:38:13|
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シュタイナーとは全然関係ないが
社会的な価値の面や
経済的な面で
考えさせられる商品。
個人的にはエコロジーや玄米菜食に目覚めてからは、シャンプーは使用していない。
参考:
シャンプーで禿げる!かゆい!【合成洗剤恐怖の人体実験】★阿修羅♪このようなサイトのように過激なことを言わなくても、普通に論理的に思考すれば、自分にあったものを選択できるのではないだろうか?
シャンプーは何のために存在しているのか?
(シャンプーに
社会的な価値があるのか?)
元来、人間の皮膚は、普通に分泌される皮脂が一番体にあったものである。
参考:
まずは洗顔。洗いすぎていませんか?石鹸程度のものは必要だろうが、あの合成界面活性剤の洗浄力は必要なのだろうか?(シャンプーに限らず、ボディーソープや台所洗剤、洗濯洗剤に含まれる合成界面活性剤が残留してアトピーの原因、または、悪化の原因になるとも言われている)
石鹸シャンプーというものもあるので、一概には、石鹸とシャンプーだけで比べるのもおかしいのだが、シャンプーというよりは、合成界面活性剤を含むものを、習慣的に使用しているだけだったり、CMによるイメージだったりであれば、色々と調べてから使用を考えたほうがいいだろう。(シャンプーは有用なものであるというイメージをCMで作られただけではないのだろうか?と考えてしまう。シャンプーがなかった時代でも、人々は不自由なく暮らしていた。何が変わったためシャンプーが必要になったのか?)
- 2005/04/16(土) 20:30:21|
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赤ちゃんや幼児はなぜにかわいいのか?
シュタイナー的な言い方をすれば、
自我がないから。(厳密にはないわけではない。)
幼児がいるだけでかわいい。この動作がかわいいとかではなく、ただ、立っているだけで、存在しているだけでかわいいのである。
うちの2歳児の息子は、どこか出かけると、知らぬ間に、お菓子を持っている。通りがかりのおばーちゃんがくれたりしているのだ。
動物も同じかわいさであろう。
シュタイナー的に精神の進化とは、大人(自我を持った状態)でも、かわいいと思われるようになればいいのではないかと思っている。
精神世界系でも他の言い方をされている。「人は本来、愛される存在である。」
そのためには、自分をそのままにありのままに表現・行動すればよい。仏教的には、無心になるということだろう。
だが
自我があるということは、偏見や先入観、習慣などもついてくるので、どうゆう自分がありのままであるのかわからない。
でも、かわいい大人を時々見かける。
そんな心の状態になりたいと常々思って、息子を観察する。
- 2005/04/01(金) 11:53:00|
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身近にトラブルや事故などで金銭的に支払っている人いません?
シュタイナーとは関係ない話かもしれないが(私は関係あると思っている)、私の経験上、そのような人はだいたい、支払っていない人。何を支払っていないかというと、お金だったり、労力だったり。
したい事のためにボランティアを募って作業してもらい、それに対する対価を支払っていなかったり、また、何かもらったりした場合に、お返しをしていない人など。
お返しは、してもらった人やくれた人にする必要はないが、得たものがあれば、他の人に何か出さなければ、余計な出費がかかる様に見える。出すものはお金じゃなくてもいいので、一概には分かりにくい(人知れず奉仕している人などは分からない)。
私の体験談としては、親からお金をもらったら、車のバックミラーが壊れて修理代同額かかったとか、また、逆に、損したなあと思ったら、臨時収入があったりというのがよくある。
また、無償奉仕をしている人に起こりがちなこととしては、怪我をすることが多いようだ。私は無償奉仕は嫌いなのでしないが、怪我、又は、いわれの無い叱咤を受けている人を見かける。(会社でのサービス残業している人が病気とかも同じと思う)
奉仕している人が怪我をするのは矛盾しているように見えるが、自分を偽って、又は、納得いかない状態でしている場合が多いように見える(奉仕している時以外で怪我や叱咤を受けるので分かりにくい)。
ボランティアは長くしないほうがいいということだ。長くなるとボランティアをしてもらっている人は当たり前と思ってしまい、感謝しなくなる(ボランティアに怒ったりする)。ボランティアはあくまで一時しのぎと考えねばならない。
結局、対価を支払わない、受け取らないことは、どちらにとっても不利益にしかならないという結論だ。
オカルト生理学で「血液は自我」と書いあるのを見て、お金について思った。なぜならば、お金は経済の血液といわれているからだ。
人間しかお金を使用していないのをみるとお金は
自我の表れとも解釈できる。
お金は、物質的な側面と精神的な側面の両方を兼ね備えており、自我と類似している。
お金の使い方で、その人がどのような人かだいたい分かるし、その結果として、物質的に豊かかどうかもわかる(短期間には分からないことも多いが)。
シュタイナーを勉強するより、お金のことを勉強した方が精神的に成長できるのではないか?と思ったりする(斎藤一人さんはすごい人だと思う)。
- 2005/03/23(水) 12:22:26|
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キリスト教では嫌われている数字だが、本来はとてもよい数字。
ルカ福音書講義にも記載はあるが、13という数字については、シュタイナーから外れて、マヤ暦からの方が分かりやすいと思う。
13という数字は、12という世界から一つ段階が上がったという意味。
要するに、12とは、現在の世界のことである。(色々なところで12という数字が使われているのはご存知のとおり)
13とは、この現在の世界から一つ段階を上がった世界、進歩した世界を暗示している数字。(この意味を隠すため昔のキリスト教の特権階級の方々が不吉な数字として広めた)
マヤ暦は、13の数字を使った暦がメインであり、進歩した世界を目指したマヤ人のあらわれである。(マヤ人は都市を残して忽然といなくなったが、進歩してしまったために
肉体が不要になったのではと思っている。)
マヤン・カレンダー関連本



みつやんBOOKS:
マヤン・カレンダー
- 2005/03/03(木) 01:39:16|
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佐藤公俊さんのHPで
13聖夜が記載があり、うれしい限りだ。
13聖夜とは、クリスマスから13日目の1月6日のことで、イエスが30歳の時、ヨハネの洗礼を受けイエス・キリストとなった日で、顕現節というキリスト教のお祭りだ。(ネットで調べるとクリスマスから十二夜だから1月6日にお祭りがあると記載があり、なにかの間違いではないかと思うが)
このことは、
ルカ福音書講義に記載されている。
13という数字は嫌われている数字だがこれがキリスト教の祭りにかかわっているところが面白い。
- 2005/03/03(木) 01:09:09|
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シュタイナーの思想や考え方を製品として実現させている会社の1つ。
■自然と人の調和を元にスイスで生まれたスキンケア ヴェレダ■1922年に創設。
原料となるものは野生、又は、
バイオダイナミック農法で栽培されたものを使い、化学物質から作られた材料は一切使用しないこだわりがあり、人智学とホメオパシーに基づいた製品を作っている。
ヴェレダの拠点は世界40カ国あるそうです。(日本ではあまり有名ではないのが残念)
経営的にも、
シュタイナーの三層構造「精神の自由・法の下の平等・経済の友愛」を基にしていると思われます(スイス本社だけかもしれません)。このような会社がいっぱいできればいいのに。
愛用品は、
佐藤公俊さんのサイトに
ヴェレダの紹介があった。
- 2005/02/13(日) 14:00:29|
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シュタイナー的に考えれば、「流行るもの」は、
高次の存在の現われと考えられるのではないかと思った。
高次の存在(天使たち)は常に全人類を万遍なく進化に導いている訳だ。人間の行動は、いわば、その導きの結果なのではないか?と思った。
天使が直接説明できるわけはなく、
→今の自分は違うのではないか?
→このままでいいのか?
色々なフィルターがかかりぼんやりとした疑問として意識に上がってくるわけだ。
流行るものとは、そんなものの総体として現れるのではないかと思った。ということは、社会的に影響を与えるような流行ものは、高次からのメッセージでは。それが正しく解釈された結果か、歪曲して解釈された結果かは定かではないが多くの人が同じものに惹かれるというのは、なんらかのメッセージがあるのではないか?
シュタイナー関係の方はあまりテレビや流行ものは関係ないという方が多いので現実ばなれした雰囲気がある。(ただ、忙しいだけかもしれないが)
「
冬のソナタ」や「種運命」を見ている自分を正当化しているような気も。
- 2005/02/12(土) 22:12:27|
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