シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

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2006-12-7「芸術と美学」勉強会

芸術と美学」の読み合わせ。前回からの続きを読む。

◆新しい美学の父としてのゲーテ(P79~P83)
●「「仮象を通してより高次の現実の錯覚を与える」ことが芸術の最高の課題」
→???

●「何を描くかと考えると感覚的なものにとどまります。どのように描くかを考えると理念が現れます。感覚的なものの中に理念が現れると、芸術は気品を有します。」
→理念がないと、どこかに似たようなものがあるものになる気がする。同じことをしていても、理念があるかないかで感じるものが違うのだろう。(このサイトの理念は「シュタイナーに興味がある間は何が何でも続ける」。シュタイナー関連のサイトって更新がなくなったところが多いので)

◆「芸術の本質」(P86~P107)
まとめてみると・・・
 舞踏芸術 平衡感覚(3次元?運動霊?形態霊?)
  ↓
 パントマイム芸術 自己運動感覚(2次元?大天使)
  ↓
 彫塑芸術 生命感覚(1次元?人格霊)
  ↓
 建築芸術(形態霊)
  ↓(エーテル体の要素がなくなる)
 絵画 インシュイション(セラフィーム)
  ↓
 音楽 インスピレーション(ケルビーム)
  ↓
 詩  イマジネーション(トローネ)
→芸術の順番は、「人智学と芸術1・2」とあっているようであってないような・・・。服飾芸術がないし・・。

(所感)
現代科学が瀕死の状態の比喩が面白い。芸術が加味されなければ、現代科学は行き詰まり感はぬぐえないのだろう。これも、どこかで読んだことがある気がするがどこで読んだのか思い出せない。

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  1. 2006/12/15(金) 23:51:08|
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2006-11-9「芸術と美学」勉強会

芸術と美学」の読み合わせ。前回からの続きをする前に、ねんどでプラトン立体を作ることになる。今回は、正四面体を作る。宿題として面点変換をするようにとのこと。

◆新しい美学の父としてのゲーテ(P70~P79まで読み進むことができた)
●「ゲーテは『散文の箴言』につぎのように書いています。「植物の法則は花の中に最も見事に現れている。薔薇もその現象の頂点にすぎない。・・・・・・果実において、植物の法則は単なる法則に戻っているので、果実は美しくないのである。」理念が形成され、生命を得るところ、外的現象の中に直接法則が知覚できるところに、美が出現するのです。果実のように、植物形成の基盤となる法則に従うものは、外的な現象が見事な形態をとらないところでは美ではなくなります。」
→花の色は、外惑星の影響(赤が火星、白と黄色が木星、青が土星)だし、果実も外惑星(リンゴは木星、スモモは土星)の影響を受けていることで実っている。(農業講座より)花は、外惑星の影響を外的な色として表現しているが、果実は、栄養として外惑星の影響を受けている。外的に表現されているのは花ということだろうか?外惑星が精神(隠された真理)?ということだろうか?農業講座とごっちゃになって混乱・・・。

(所感)
この辺は、なんだか、同じことを何度も言っているような感じ。ゲーテの言葉を引用してこれはこういう意味だ!だからゲーテは偉大なのだといいたいだけ?若い頃の講演だからちょっと感じが違う気がする。若い頃のシュタイナーはかっこいいなあ。

宿題の正四面体の面点変換をしようとすると、正八面体になる・・・。正四面体にならない・・・。もうすこしコネコネするか・・・。

  1. 2006/11/15(水) 00:33:28|
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2006-10-26「芸術と美学」勉強会

芸術と美学」の読み合わせ。前回からの続き。
◆新しい美学の父としてのゲーテ(P56~P70まで読み進むことができた)
●「自然の中にあらゆる満足の源泉を見出していたので、自然以上のものを必要としなかったのです。」
→東洋っぽい感じ。一神教になるまでは、西洋も東洋とほぼ同じだったのだろう。一神教により、自然を支配する考えが出てきたようだ。

●「ゲーテの精神の中に原植物、原動物、つまり、動物の理念、植物の理念が現れました。」
→バラは原植物に近いそうだ。「動物の本質」からすると、ホヤが原動物に近いことになるのかな?

●「一つは、私たちの感覚を外界に向けて開いておく要求、シラーのいう素材本能です。」「第二は、形式本能です。」
→「素材本能」は現実? 「形式本能」は理念?理性?思考? 分かりにくい言葉だ。

(所感)
まったく同じ講演の訳が「芸術の贈りもの」にもあり、「素材本能」を「素材衝動」、「形式本能」を「形式衝動」と訳している。どちらにしても分かりにくい言葉・・・。現実と理想ということなのだろう。現実だけでも、理想だけでも、その両方があっても、現在の人間にとっては、苦しい状態なのだろう。確かに、そうかも。その間に芸術が必要か・・・。

縄文式土器の形には、合理的な意味はないらしいが、研究者はそれをあーだこーだと考えている様子。縄文式土器は、栗を焼くには一番おいしく焼けるらしい(ためしてガッテンからの情報?)。

  1. 2006/10/27(金) 22:51:02|
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2006-10-12「芸術と美学」勉強会

芸術と美学」の読み合わせ。前回からの続き。
◆人智学と芸術2(P42~P54最後まで)
●「舞台上で人物が右側から左の方へ歩いていくか、反対に、左から右の方に向っていくかで、観客はまったく違った印象を受けます。」
→確かに、イメージするだけでも、違う印象を受ける。霊的な意味を学ぶ必要があるというがどこに書いてあるのだろう。神秘劇も見てみたい。見ても意味分からないかもしれないけど。
本で出版されていたみたいだけど、絶版だ。
絶版本を投票で復刊!
復刊.comにさっそくリクエストしておいた。

◆新しい美学の父としてのゲーテ(P56~P59まで読み進むことができた)
●「そもそも、アリストテレスは芸術という概念を持っていませんでした。」
→そのころの人々は、概念をもっておらず、神と親しい関係をもっており、神から与えられるものを表現しているだけで、芸術とかの感覚ではない。芸術とは、神的なものを自我を通して物質的な現実の中で表現することだから。本物の芸術であればあるほど、たくさんの人が感じることができる。

(所感)
身体:建築、エーテル体:彫塑、アストラル体:絵画、自我:音楽、霊我:詩という対応になっている気がする。ゲーテのことをよくよく考えると知らない。ゲーテの本は、たくさんある様子。詩とファウストしか知らない。その上、内容は理解していない。シュタイナーの編集したゲーテの本はあるのだろうか?

  1. 2006/10/15(日) 22:22:24|
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2006-9-28「芸術と美学」勉強会

芸術と美学」の読み合わせ。前回からの続き。「現代と未来を生きるのに必要な社会問題の核心」の読み合わせをしないか?という話もあり、絶版ではないかとも思ったが、売っている。読み合わせがあるかもしれない。

◆人智学と芸術2(P29~P42まで読み進むことができた)
●「赤は生命の輝き、青は魂の輝き、黄は霊の輝き」
→緑・淡紅色・白・黒は、像か影の色で、赤・青・黄は輝きの色・・・。意味は分からないが、赤・青・黄が子どもの色彩体験としては望ましいということだろう。

●「赤は近づき、青は遠ざかります。色彩遠近法、内的遠近法です。このような遠近法がまだ魂的・霊的なものの中に生きていました。」「唯物論の時代になって初めて空間遠近法が現れたのです。」「再び、色彩遠近法に戻るのです。」
前回の「平面の中で空間の謎を解かねばなりません。」と同じことが書いてある。

●「三度の音程は、人間のエーテル体と肉体の中に入り込むものです。」「空間遠近法は外的自然主義であり、三度の音程は内的、人間的な自然主義です。」
→建築、服飾芸術、彫塑、絵画は外的、音楽、詩は内的か。外的は、材料に強い感情をもち、内的は、人間の中?

●「悟性はふるい分けされたファンタジーです。」「ファンタジーは自然の成長力、形成力の最初の子どもです。」「私たちの腕を成長させるものは、魂の変容の中で、ファンタジーの中で詩的、芸術的に活動するものと同じ力です。」
→ファンタジーは思考とは正反対のものかと思ってましたが、ファンタジーがなければ、理解ではなく、そのままでしか受け取れない。見たまま、指示されたまま、言葉どおりのまましか受け取れない。指示された以上のことを汲み取るにはファンタジーが必要。指示された事しか出来ない人は、小さいころから、思考・判断・固定した概念などに慣れた人でファンタジーがないのだろう。

(所感)
芸術は、すごい人しかできないと思ってしまうが、神的なものを表現しようとしたもので、だれでも出来るものでは。植物を見て、見たままではなく、ある法則を見つけるとかも芸術といえるのではないかと思った。

  1. 2006/10/07(土) 16:46:01|
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2006-9-14「芸術と美学」勉強会

芸術と美学」の読み合わせ。前回より始まったが、学校が休みのため、2ヵ月ぶりの再開。

◆人智学と芸術1(P16~P28まで読み進むことができた)
●「ギリシア彫刻の横顔を見ると、鼻は額に接続しています。ギリシア人が宇宙の回転運動を感じていて、その運動を鼻の形に表現したのがわかります。」
→ネット上でギリシア彫刻を検索すると、確かに鼻は額に接続している。おでこが出ていると哲学者になるようなので、前頭葉の発達と鼻の関係に意味があるのか?

●「魂的なものの活動と生命を見ると・・・・円が閉じられます。」(P17~P20)
→なんか読んだことある文章だと思ったら、「色と形と音の瞑想」のシュタイナーの色彩論と、ほとんど同じ文書であった。「色と形と音の瞑想」の編訳者あとがきをみると、抄訳(原文の一部分を抜き出して翻訳)されたものだったことに気づく。シュタイナーの本で抄訳されては意味が分からなくなる。今回読んで「色と形と音の瞑想」とは前後関係から全然違う印象を受けた。

●「光と色彩を通して、死、生命、魂、霊が表現されます。こうして、空間から出て、平面に至らねばなりません。平面の中で空間の謎を解かねばなりません。」
→「平面の中で空間の謎を解かねばなりません。」とは意味深な言い方だ。画家のみが解かねばならないわけではない。そうしなければ本質は見えてこない。

●「感覚的・超感覚的に見ることのできる人は、人間の口から作り出されるものが空気の中で身振りに形成され、言葉となるのを見ます。このことを模倣して、表現豊かな可視的な身振りにすると、オイリュトミーが生まれます。言葉を発すると、空気の動きの中に思考をこめることができ、波動がその動きの中を進むことによって、言葉が人々の耳に達します。」
→言葉が考慮されていない舞踏と暗示的な身振りの黙劇の間にオイリュトミーがあるとのこと。何気ない言葉にも空気の中に思考を込めているのか。言霊とか言うが、思考が相手に伝わるわけだ。言葉の内容が伝わるわけではなく。

●「私が思考の動きによって解釈できるものが、私を芸術的、建築的、彫塑的、絵画的、音楽的、詩的形成への要求への導く」
「建築、彫塑、服飾、絵画」とは「死、生命、魂、霊」ってこと?(「身体、エーテル体、アストラル体、自我」「黒、緑、淡紅、白」ってこと?)ただ並べてみただけだが、なんとなく関連がありそうななさそうな・・・

(所感)
まさしく色彩論であるので、
芸術の贈りもの「芸術の贈りもの」に全面新訳された「色彩論」を読まねば。(数年に買って読んでない) この本をよくよく見ると、「芸術と美学」と半数以上同じ講演が訳されている。同じところを違う訳者で読めばさらに理解が深まるかも?

  1. 2006/09/17(日) 14:25:01|
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2006-7-6「芸術と美学」勉強会

いか超」の読み合わせが前回で終了し、新たに「芸術と美学」の読み合わせとなる。

シュタイナー 芸術と美学
ルドルフ シュタイナー (著), 西川 隆範 (翻訳)

古本(ユーズド商品)が安かったので速攻で購入した。

P2~P16まで読み進めることができた。
◆人智学と芸術1
●「秘儀は本来、今日でいうと学校と教会と芸術施設を一つににしたものでした。」
→シュタイナー教育はそうゆうものという意味?

●「超地上的存在から感覚的存在へと下る前に魂であったものの死骸が、この思考なのです。」「私たちの地上的な思考は、私たちの地上に下る前の魂的生活の死骸なのです。思考の抽象性は死骸です。」
→本来の思考は、思考自体が芸術ということ?

●「観念の中に生きることを中止するために、形象によって思考しはじめねばなりません。特に、自然の中で最高のもの、人間の肉体はその形態を像として思考しなければなりません。」
→「いか超」P61に「石には形態があり、動物にも形態がある。石は静かにおのれの場所に留まり続ける。動物は場所を移動する。場所を移動するように、動物を促すのは衝動(欲望)である。動物の形態もこの衝動に従って形成されている。その諸器官はこの衝動にふさわしい在り方をしている。これに対して石の形態は欲望に応じてはいない。欲望をもたぬ力によって形成されている」と記載されている。人間をみるとその形態から衝動がみえるのかな?衝動ではなく自我がみえるのだろうか?

●「墓地に立てられる墓石の芸術的な形態の中で、魂は死後の消息に通じるのです。宇宙の彼方へと通じる道が墓で作られるのです。墓は超感覚的なものから魂に与えられた覆いです。動物や植物は感覚的・自然的な要素を通して外皮を受け取っています。」
→私自身は墓地は要らないと思っているけど、それは唯物論的な発想なのだろうか?

●「私たちが抽象的な服の着方をやめれば、色彩との関係において、地上に生まれる以前に経験した生命的思考の残りをいかにわずかしか有していないかを示すことになります。つまり今日、抽象的に服を着ないようにすると、たいてい、趣味の悪いものを着ることになります。」
→現代では抽象的にしか服を着れないということ?もし、抽象的でなくすると、わずかしかないため、趣味悪くなるわけか?どちらにしてもしょうがないということか。

●「抽象的な思考ではなく、生きた像の形で見ると、それは頭の中にとどまろうとはしません。」「思考は頭以外のところで活動しはじめます。ことに、腕と指が思考の道具になりはじめます。腕と指の中で、思考は形態という形で生きます。こうして、彫刻家が生まれます。」
→人それぞれ、手と指が動いて、何かこの世界に表現しようとする行為を「し始めざるを得ない」事が生きた像なのだろうか?その表現したものがその人の使命になる仕事?

(所感)
わかりづらい。読みづらい。この文体に慣れるまで時間かかりそう。思考で理解しようとしないで、生命的思考をすればいいのかもしれないけど。

  1. 2006/07/07(金) 17:31:55|
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