シュタイナー、したいなあ

シュタイナーについて思うこと

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「大谷ゆみこさんとざっくばらんにお話しよう!」の会

いずみの学校のひとりの先生が、以前、大谷ゆみこさんの「つぶつぶカフェ」に勤めていた縁で開催された。(札幌でのサバイバルセミナーをされていた。)

10年くらい前、フナイオープンワールドで見かけたときとは、見た印象が変わっていた。(私が変わったのか?)

つぶつぶクッキング」は、結構前から知っていたが、やはり、本で読むよりも、話を直に聞くのとでは、全然違っていた。なにより、大谷さん自身が楽しんでいることが伝わってきて、「つぶつぶ」に対する印象が変わった。以前は、「つぶつぶクッキング」は、高級志向のマクロビオティックという感じがしていた。(雑穀が高いので。オットの買い物参照) 

「つぶつぶクッキング」は、本来の食事の意味を考え実践する食事。

すべて雑穀を昔は「イネ」と呼んでいた。「イノチ」の「イ」、「ネ」は「根」という意味で根源という意味。雑穀を「命の根」と考え、そう呼んでいた(言霊)。それだけ大切なものとして扱われていた。

本来、肉とか魚は、雑穀が育たないところや入手できない地方が、致し方なく食べはじめたものであり、現代の食生活がいかに狂っているか、企業利益のみを考えたものであるということに気づかされる。また、お米も、本来はぜいたく品であり、暖かい地方の作物。品種改良されて、東北地方でも育てられるようになったが、少しでも、天候不良になると、昔は飢饉になったのであり、本来は、稗・粟・黍など、その地方にあった雑穀があった。それならば、手間もかからず、育つので、飢饉が発生することもなかった。東北のある地方では昭和44年まで、雑穀を食べ、お米を食べていない地方があったとのこと。

しかし、「昔の生活へ戻れ」という考えではなく、雑穀のよさを認識し、さらには、お金がかけなくても、そんなに手間をかけなくても栽培できるという意味でも重要な作物。(販売するとなると、収穫後は粒が小さいので、脱穀・選別に手間がかかり高価になっているが、自分で栽培すればそんなにきれいにしなくてもよいことである。)

雑穀をたべることが、人間のミ(実・身)=本質(精神を含めた実質)になることである。西洋式の食事に慣れたため、肉・魚がおいしいと感じるが、それは味覚がおかしくなってきている。(私は玄米菜食をしているので、肉をある程度食べると、脂で気持ち悪くなる。年齢にもよりますが)

現在、西洋式の食事で、一番健康を害するのは、雑穀を長年食べてきた(腸が長い)アジア地方の人である。西洋式の食べものを食べるということは、自分の体に対して、攻撃していることであり、体の中で戦争をしているようなもの。国と国との戦争は無くすのは難しいかもしれないが、その前に自分自身の戦争をやめることが重要。(この世の中で起っていることは、人間自身の中で起っていることが現れているだけというのが、シュタイナーっぽいと思うのは私だけ?)

大谷さんは、色々なウンチクはあるが、雑穀をみんなが食べるようになるためにはどうしたらよいかと考えて、「つぶつぶクッキング」を始めた。雑穀のみをそのまま食べるには、現代人には難しいので、モドキ料理で肉やシチューやチーズにすることによって、雑穀に慣れ、本来の味覚を取り戻し、雑穀食が定着することを願うことで平和を願っている。

大谷さん自身は、教育は必要ないとの考えで、東北の田舎に家族全員で引っ越した。教育とは、親や周りの人がすることを見る(親の背中を見る)ことでできると思っている(私もそう思う。シュタイナー学校の父母の前での発言。勇気あるなぁ)。勉強をしたいと子ども自身が思えればよく、実際にそのように育った子どもが自分のしたいことのために色々と自分から勉強しているという。

日本の古来の数え方「ひ・ふ・み・よ・・」カタカムナでは、この世界の始まりを表している。(ここは勉強しないと・・・)

最近、畑を始めた私としては、どこかの先住民が、トウモロコシ・インゲン・かぼちゃを同時に同じところに種を植えると、トウモロコシはまっすぐ上に育ち、インゲンはトウモロコシに巻き付き、かぼちゃは地を這って雑草を抑えるというお互いを利用した栽培方法がある(もっと、ほかの混裁方法も知りたい!)と聞いてちょっと感動。

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  1. 2006/08/22(火) 17:16:51|
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8/20 アイヌの伝統行事 チプサンケ

チプサンケとは、新しく作った舟に新たな生命を与える入魂の儀式(舟下ろしの儀式)らしい。(本当は、チサンケとプを小さく表記・発音するようだ。)

今年、あるお祭りに行ったのだが、一緒に行った人が「精神性の欠けらもない」と言っていた。「精神性のある祭りとは?」と聞いたところ、アイヌの祭りや大本教の祭りにはあると言っていたのが、行こうと思った発端。(北海道に住んでいるなら一度は行かないととも思ったけど)

縁結び石祭り、カムイノミ、古式舞踏のみ参加した。

なんだかオイリュトミーみたいと思った。ヨメがお神酒(トゥキパスイ・捧酒箸)を受け取る時の仕草がハレルヤの時と似ていると言っていた。

舞踏の動きも似ているかも?とも思った。(やはり精神性がある?) 動物の動きを表しているので当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、なにより楽しそうであり、動きがかわいらしかった。オイリュトミーもアイヌの舞踏みたいにみんなで楽しく一緒に出来るかたちになれば、誰でも楽しめるようになって広まるのでは?とも思った。(でも、宗教くさくなるか?)

ちなみに、2006年の行事日程はこんな感じだった。前日までに降った大雨で、例年使用している沙流川河畔ではなく、二風谷ダムに流れ込む川(カンカン沢?)でされたが、川が濁っていて遠くから眺めていた。アイヌ式の結婚式(ウトムヌカラ)も何十年ぶりにされたのだが、見なかった。縁結びの石祭りが長引いて、30分くらい行事がずれ込んだ。年々、観光客が多くなっているらしい。大きなお祭りではなく、地域のお祭りという感じ。

  1. 2006/08/22(火) 15:30:36|
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アンドリュー・ウォルパートさんの講演

アンドリューさん(エマーソンカレッジの中心的人物)の講演に行った。

●午前10時~ in いずみの学校。(ヨメも一応ついてきた
講演内容は、シュタイナー学校の教師としての心得のようなものだろうか。(→はっきりした題は決まってなかった様です)

肉体は、遺伝、環境、経験、感情、意志・・など、すべてを物語っている。なので、死を迎えた時、死んだ人は、死んだ自分の肉体を見て、3日間で人生のすべてを見る。(→死に際に、走馬灯の様に見えるものかな)

教師は、寝る前、子ども達は、まったく問題が無いというイメージを持つ必要がある。教師でなくても、どんな人のどんなイメージも現実化するため、「怖いですね・・・」と言っていた。(→イメージの仕方にコツがあるような・・・瞑想みたいな状態になるのか・・・はよくわからない。成功法則の1つやり方としてでも聞いたことがある)

教師の精神(感受性?考え?)が子どもに即座に伝わるので、例えば、何か子どもができない瞬間、態度がいくらやさしくしても、その瞬間に教師が抱く感じが子どもに即座に伝わり、子どもの人生への影響がある。

教師としては自分の行動や教えていることを如何に愛しているか?が重要で、それが伝わる。表面的にできなくても関係ない。内面では完璧に模倣している。なので、教師の内面が重要。

親と教師では、子どもへの影響が違う。子どもは、親を選んで生まれてくると言われるが、親の何を選んでいるのか?親が目指しているもので選んでいる。決して、現状の親の状態で選んでいるわけではない。なので、親は子どものために努力するのではなく、親自身が目指したいものを努力する方がよい。(→子ども中心の人生は、親にとっても子どもにとっても良くないようだ。)

キリストは、太陽存在が受肉したもの。ゴルゴダの秘蹟により、すべてしみ込んだ肉体を地中(地球)に入れることによって、太陽存在が、地球と一つになり、第二のアダムがすべての人の中に入ることとなった。第一のアダムは、神は失敗するだろうと予測して第二のアダムを精神界にスペアーとして置いておいたものである。第一のアダムとしての人間は、どんどんおかしくなって、ゴルゴダの秘蹟により第二のアダムが入ることで修正された。(→自我が入ったということかな?)

●午後1:30~ in ひびきの村。
講演内容は、共同体について。

人には、3つの仕事がある。天性の能力で簡単にできる仕事、苦労して達成でいた仕事、そして、苦労したが達成できなかった仕事。

シュタイナーは、天性の能力で、明晰な思考能力をもっており(簡単にできる仕事)、人智学という神秘学とは違う一般でも理解可能な開かれた学問を確立した(達成した仕事)。だが、コミュニティー(共同体)は達成できなかった。(ミケランジェロなどの偉大な芸術家は、ほとんど晩年に共同体を作ろうとしており、達成できなかった。)

シュタイナーは、1913年に人智学協会を創設した。その時は、シュタイナー自身は、協会には属さず、霊界から受け取ったことをその協会へ伝える精神的な存在として、指導する立場であった。しかし、協会は十分に機能しないまま混乱状態になり、事実上失敗していた。1923年に、シュタイナーは、今まで立場をやめ、自らも協会に入った。協会に加わることは、シュタイナー自身にとって賭けであった。いくら霊的なものが見えるといっても、霊的存在の後ろ盾があってこそであり、それを失うかもしれない可能性があることを自覚して挑んだ。加わったことは、霊界にも受けいれられ、霊視などの能力はなくならずにすんだとのこと。しかし、成功するかどうかわからないまま此の世を去った。(達成できなかった仕事)

共同体というのは、達成できないことをやり続けること。達成してしまったら人は何をすればいいのか?共同体により色々な形態があってよい。すべてが不完全な状態のハズ。完成された共同体は、奴隷的な関係の共同体やカリスマ的な存在を核に作られる共同体は、古い時代のもの。これからは、新しい共同体を作る必要がある。

人は、成長の過程で「家庭に依存している子ども時代」から「家庭から独立したいと思う時代」を経て、「相互依存の関係」へと変化することからもわかるように、共同体としては「相互依存の関係」が核となったものへと移行するだろうと思われる。

→私の個人的な語彙で記述しているので、コメントも参考にしてください。

(所感)
次の日は、札幌で「最後の晩餐」をテーマにした講演が予定されていたので、同じような内容かと思いきや、それぞれ違う内容であった。内容は違えど、核になることは同じことを言っていると思った。2006年4月16日イースターをどのように迎えるか?キリストの肉体の死滅の意味?達成できないことをやり続けるか意味。転生後への影響などなど。

  1. 2006/04/07(金) 21:00:21|
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柳沢玲一郎さん講演「中世からルネッサンスまで」

A.D.13世紀→A.D.14世紀で大きく表現が変わっている。

A.D.13世紀 ファンタジー・迷信深い、空は金色で書かれている。
A.D.14世紀 感情表現豊かであり、リアル。空は青色で。
(6・7年生の頃)

思考 絵画 レオナルド・ダ・ヴィンチ
意思 彫刻 ミケランジェロ
感情 絵画 ラファエロ
(日本の美術は、思考・意思に偏っていないバランスがとれた感情?)

レオナルドの「最後の晩餐」
ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」50号【名画ドットネット】
シュタイナーは、火星人がこれを見れば地球人を理解できると言ったらしい。それだけ、色々な情報が埋め込まれた絵ということだろう。一人一人の腕のポーズがオイリュトミーの12の基本的な動きを表しているのでは?ダ・ヴィンチ・コードでは、ヨハネとして描かれている人はマグダラのマリヤではないかと書かれているらしい。(十二使徒(12)・キリスト(13)・マグダラのマリヤ(14)かな?読まねば・・)

●キリストの復活は、ファントム(ドイツ語)での復活とシュタイナーは言っている。普通に訳すと「幻影」だが、肉体のみがなくなった状態での復活であったのではないか?(アーリマンに打ち勝った状態?)そのためには、ユダが裏切り、磔になり、ゴルゴダの秘蹟が必要であった。

●ミケランジェロの「ダビデ像」
20代で、完璧な像を作ってしまい、その後、何をするか?悩んだのではないかと。その後は、一人の像ではなく、二人以上の像で完璧を目指した様に思われる。A.D.3573~のロシア期は、友愛の時代。意識魂の時代としては、ダビデ像のように一人で完璧でよいのだが、次世代としては、複数人数での完璧を目指す必要があると思われる。子供の教育で、肉体に問題があればエーテル体からの働きかけが必要、エーテル体に問題があればアストラル体からの働きかけが必要、アストラル体に問題があれば自我からの働きかけが必要とされているが、ダウン症の子は自我に問題があるとされている。どうすればよいか?霊我からの働きかけができるのか分からないが、複数の人数での働きかけをするとよくなる傾向があるらしい。共同ですることで成り立つ状態が課題ではないかと思われる。

●ラファエロの聖母
初期のころは、あまり地上に存在する感じではないが段々地上に降りてきて、
ラファエロ「「美しき女庭師」の聖母 」【名画ドットネット】
サン・シストの聖母で一気に天上界へ行った感じで、

その後また、地上的なものへと変遷している。(最後は普通の生活っぽい)十牛禅図を思い出せる感じ。

●多神教から一神教になった歴史的な意味。
多神教は物々交換のように価値あるものが沢山ある状態で、一神教は、単なる紙切れに抽象的な価値のお金をあらわしているのでは?それにより、ある意味自由があり不自由でもあるが、唯物論的な考え→輪廻転生を信じられない→現世しかないという考えになり、点の様な意識「今ここ」を体験することに意味があるのでは?

(所感)
歴史的な美術品は何がいいのか分からなかった。台湾旅行で故宮博物院に行ったが、早足で全部数時間で見た。(普通にみたら何日もかかるらしいが)今思えばもったいないことをしたと思う。今度、美術品を見る機会があれば、少しは見方が変わるかも?しれない。(そう思うところが、思考的な見方になっているのだろうが、感じる方をしてみたいものだ)

  1. 2006/01/29(日) 00:28:41|
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柳沢玲一郎さん講演「クレタから古代ギリシャ」

春分点の星座が2160年ごとに変わる。
(かに座)B.C.7227~
 インド期
(ふたご座)B.C.5067~
 ペルシア期
(おうし座)B.C.2907~
 エジプト・カルディア期(感受魂の時代)
(おひつじ座)B.C.747~
 ギリシア・ローマ期(悟性魂の時代)
(魚座)A.D.1413~
 第5文化期(意識魂の時代)←現代はここ!

国に例えれば、感受魂の時代はラテン・スペイン、悟性魂の時代はフランス、意識魂の時代はドイツ・イギリスみたいな感じ。

感受魂の時代は、神からの感受のみを支えに生きていたので自由がない。絵画や美術品の人物をみると、まっすぐ立ち、左足を少し前にだして、重心は真中に置き、手は強く握りしめ、目は遠くを見つめている。自由がない。神に支配されていた感じ。

悟性魂の時代には、感受魂の時代よりも、自由を徐々に獲得している様子が見られる。重心が真中でなく、動きがある感じになっている。

現存する芸術的な建物も同じ。ピラミッドから柱のある建物へ変化している。

ミノタウロスの神話は、本能(ミノタウロス)=生命感覚を変容させ思考感覚となることをあらわしている。

モーゼの出エジプトは、9歳の危機の頃をあらわす。内側から外側へと移る時期。

ギリシアの舞踏=オイリュトミー、ライヤーもギリシアからきている。

(所感)
まとめようとして、なんだかバラバラな情報の羅列になったが、時代の流れが、美術品に現れているし、また、人間の成長段階をみることができるということかな。明日も楽しみ。

  1. 2006/01/26(木) 22:17:27|
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ブラザー・サン シスター・ムーン 鑑賞会

いずみの学校の父母有志による勉強会「いか超」が毎週木曜日朝にあると聞きつけ、参加しようと先週行こうとした。

しかし、主催者の方が風邪気味になったため中止になり、今週こそは!と思ったら、ビデオ鑑賞会のため中止となった。縁がないのかなあ・・。

まあ、でもビデオ鑑賞会に参加してみようと内容も分からず出かけた。
ブラザー・サン シスター・ムーン
ブラザー・サン シスター・ムーン

見た感想としては、シンクロを感じるものだった。他の参加者の皆さん(私を入れて4人でした)もなんだか感慨深いものがあるようでしたが、借りている場所の時間の関係でそのまま解散で少し残念。

内容的にはありきたりなのですが、使われる言葉にいちいち反応してしまいました。

ネタバレですが内容を知っていてもジーンとするところがあるのでぜひ見てほしいと思います(知っていた方がよりよく理解できるかも)。内容としては、富豪(?)の息子フランチェスコが戦争を経験して、世の中、何かおかしいと思い、神の啓示(信仰への目覚め?)をうけ、全ての財産をすて、乞食となります。破壊された教会を雪降る中、裸足で、一つ一つ石(意思かも)を積みます。その姿や、言葉、行動に共感した人が続々と集まり、富にまみれた特権階級の教会には貧しい人が来なくなります。そして、教会は、フランチェスカの教会を弾圧し、破壊してしまいます。友の死もあり、何か間違っていたのか?と思い悩みます。そこで、ローマ教皇に直談判し、教皇に認められるところで終わります。

あまりにザックリとした説明ですが、ストーリよりも随所に使われる言葉がよい。(以下うろ覚えで言葉自体は正確ではないです。)
「成し遂げたいことがあれば、すこしずつ石を一つずつ積む」
「いそがないで、一つ一つゆっくりと、
心をこめれば、きよめられる」
「許せば許される」
「愛されるより愛したい。それが喜び」
「富は心の重み、捨て去れば、自由」
「こころに城壁をつくる」
書き出せばキリがないですが、その辺の言葉は多分、
聖フランシスコ アッシジの光
聖フランシスコ アッシジの光に書かれている内容と同じだと思います。(この鑑賞会を主催した方がこの本よりこのビデオを選んだので)

私なりの解釈としては、
デモや署名、行動がともなわない呼びかけ、献金などはあまり社会を変える原動力にはならないということ。それぐらいで変わる事は、表面的な事だと思う。本質的なものは変わらない。本気で社会三層構造を実現させたいのであれば、本質から変えなくてはならない。心の奥からのやりたい事(使命)を基準にして、自分の生活を変える。フランチェスコの場合、財産を捨てる際、着ている全てを実際に脱ぎ捨てて裸で出て行った(パンツを含め)。そして、日々、教会の修理を、雪降る中、裸足で、一つ一つ積み上げるシーンは、考えさせられる。

自分の日常生活を変えずに、デモや署名、呼びかけだけで何が伝わるのか?他力本願な思いだけが伝わるだけではないか?なにか成し遂げたいのであれば、あせらず地道な行動が必要ではないか?(共同体をつくるにも建物や既成事実だけ先に出来てどうなるのか?)

かといって、現代でフランチェスコと同じ事をしても意味が無い。だが、本質的な部分は変わらないハズ。まずは、ひとつひとつ心をこめる。
スローライフでいこう―ゆったり暮らす8つの方法
スローライフでいこう―ゆったり暮らす8つの方法と同じものを感じる。
一つのしぐさや行動すべてにこころを留める。オートマティックに習慣で動かさない。(知らず知らずに社会から、親から、固定観念から習慣で動いている。)

一つ一つの動きに集中する「オイリュトミー」とも相通ずると思う。

日々、心をこめることを心に留めて過ごしたいものだ。

  1. 2005/11/17(木) 14:58:51|
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札幌農業講座で聞いたまとめ・・

ピリオ・ドニーさんの札幌農業講座第5回第6回を受講した中ででシュタイナーの思想の農業関連以外で印象に残ったものをまとめてみようと思います。(あくまで私が理解した範囲であり聞き落としも結構あるため正しいとは限りません。誤りあればご指摘頂ければ幸いです。)

太陽系の惑星(土星・木星・火星・太陽・金星・水星・月)の「受肉」のプロセスと「離肉」のプロセスが調合剤の特徴と同じである。調合剤を理解することは、惑星や人間を理解することと同じとも言える。(シュタイナーの思想はすべてそうだけど)

そのため、オカルト生理学を理解せねば・・・と痛感。医学関係の本も理解に役立つことが判明。(難しそう・・・治療教育講義は購入したがまだ読んでない・・)

まず、調合剤と惑星の関係調合剤に使用される植物は、治療にも役立つ。(以下惑星のみで表記)

人間でも植物でも、生まれる前に受肉のプロセスを通過する。生まれると離肉のプロセスが徐々に増えて、離肉のプロセスだけになると、宇宙へ帰っていく。

太陽を中心として、土星⇔月、木星⇔水星、火星⇔金星という関係がある。

それぞれの受肉のプロセス(Ⅰと表現)、離肉のプロセス(Ⅱと表現)をまとめてみる。(ここが一番自信がない)

●土星(脾臓)⇔月(性器?脳?)
◆土星Ⅰ:カチカチな状態。骨(空間を作る)。冷たい。死のイメージ。
→眠り症(鉛の様に眠る)、過去のことばかりで考えがかたくなる。硬化症。重い。動かない。意志が弱い。
→植物では、植物になる
◆土星Ⅱ:骨の中に血(赤血球)が生まれる。復活。暖かい。未来。意思が生きる。(時間)
→熱狂的、骨が解ける、意思が強い
→植物では、種になる。

調合剤507番:カノコ草:根が精神安定剤、眠るため

◆月Ⅰ:同じものをつくる力・限界のない・つくり続ける・皮膚(時間)
→外に向って人にアピール、傲慢、鬱、自殺
◆月Ⅱ:分化・違う部分が出来る(空間)
→エーテルの力を抑える。

調合剤505番:カシワの木の皮:植物性Ca、生きているCa

 土星Ⅰ⇔月Ⅱ 土星Ⅱ⇔月Ⅰ

●木星(肝臓)⇔水星(腸)
◆木星Ⅰ:外からきれいな形作る(土星がカチカチなものをつくり、その上に木星が周りを固める)、対照的なもの(空間)
→関節炎、筋肉が硬くなる、肝硬変、頑固、偏見、ドグマニズム
→植物を形作る(もみじの木など)
◆木星Ⅱ:中から動く・筋肉(時間)
→表現豊か、落ち着きがない、炎症、集中力できない
→植物のかおり

調合剤506番:タンポポ:若い葉を食べると肝臓の掃除

◆水星Ⅰ:自分で動く
→流れっぱなし、咳が出る
◆水星Ⅱ:ぶつかると空間、内からつくる、螺旋、対照的ではない(空間)
→血の流れが遅い、血がたまる

調合剤503番:カミツレ:痛みがあるのはアストラルが強いのでカミツレを飲みとエーテルを強くするのでバランスをとり痛みがおさまる。エーテルの力が強い。肉が腐らない。:土をなおす。緑肥。イオウが少ない。軟らかい。Caのプロセスとエーテルの力を強める。

●火星(胆のう)⇔金星(腎臓)
◆火星Ⅰ:意思・自我
→どんどん動く
◆火星Ⅱ:音・振動・化学エーテル(タンパク質をつくる)・水のエレメント
→疲れる、胆のうの病気、意思が弱いから怒る。

調合剤504番:イラクサ:若いときに煮て食べる。鉄分

◆金星Ⅰ:受ける・ストック・吸収
◆金星Ⅱ:排泄する

(記憶があやふやなためこれ以上書けない)

●太陽(心臓)は全体のバランスをとる。

結局、今ひとつまとまらない。
Les actions des planetes et les processus de vie(フランス語)の本が日本語訳ででないかなあ。

  1. 2005/11/01(火) 19:40:06|
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いずみの学校 秋祭り

いずみの学校の毎年恒例(?)秋祭りに行ってきた。

去年初めて行ったのだが、今年は去年よりまとまりがあったというか、段取りが良かった感じがした。

先着100名の大なべ・秋の味噌汁につられて、はじまりの時間10:30に行った。

コーラス(9年生・10年生合同クラス)
コーラス

羊毛体験(天花地星のサイトを作成しているので話では知っていたが、実際してみると全然違う)
羊から取った毛をふわふわにする作業
ふわふわ羊毛づくり

ふわふわにした羊毛を毛糸にする
毛糸作り

みつろうロウソク作り
みつろう作り
(担当の方とおしゃべりしただけだが)

水彩(にじみ絵体験)
水彩

さいごに、木の棒の先にパン種をつけて、焚き火で焼くパンにハマリ、結局終了時間の15:00まで居た。
焚き火パン
この焚き火パンは面白いというか、寒いので、暖かいし、焚き火が好きな私は、ついつい、パンをコンガリ焼くことに集中した。子ども達の様に早く食べたいと思うと、火に近づけすぎてこげるのである。元・焚き火の会(西ケト会)所属だった私は、炎に近づけずに、遠火で焼くのがコツであるのを見抜き、長々と焚き火にハマってしまった。(ヨメや息子は飽きてどこかへ行ってしまった。)

お昼のマクロビオティックのお弁当は、開けた瞬間、うれしい気分になった。量は少ないが、環境を考えた容器で350円は安い。(利益を少しはとったほうが・・・と少し心配してしまう。)

ヨメも日記に書いている。

  1. 2005/10/22(土) 19:40:59|
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ピリオ・ドニー氏札幌農業講座 ご案内

サイト上で案内する役割になったので案内します。(私はすでに参加申し込み済み)

2005年
  第6回 ピリオ・ドニー氏札幌農業講座
    「星のいとなみ、人のいとなみⅥ」
- シュタイナ-農業講座」第5講を中心に -
2005年10月29日(土)・30日(日)於岩見沢
 今春の第5回に引き続き、九州阿蘇山麓にてバイオ・ダイナミック(BD)農法による農場を運営している「ぽっこわぱ耕文舎」を主宰するピリオ・ドニー氏をお迎えして、第6回札幌農業講座を開催する運びとなりました。今回開催時期を調合剤実習を考慮した秋に移し、場所も狩野自然農園とし、一日目の講演に続き二日目を実習に当てる予定で開催いたします。BD農法の原典とも言うべきシュタイナー「農業講座」の内容についてより理解を深めていきたいという願いから、今回も「農業講座」の内容を中心に講座を進めてまいります。

29日(土)
講演会 10:00~12:00(9:30より受付開始於コミュニティプラザ)
昼食  12:00~13:00
講演会 13:00~16:30
夕食会 18:30~20:00

30日(日)
調合剤実習 10:00~12:00
昼食   12:30~13:30
調合剤実習 14:00~16:30

基準額  1人10,000円(29日及び30日のみの参加でも同額)
札幌農業講座の基準額の考え方

主催 札幌農業講座実行委員会

参加希望の方は、私宛てにメールを送ってください。参加申込書をpdfで送付しますので、必要事項ご記入の上、FAXか郵送で「札幌農業講座実行委員会」宛てに申し込んでください。よろしくお願いします。

申し込み期限2005年10月21日まで

前回の札幌農業講座の様子
2005年3月 第5回ピリオ・ドニー氏札幌農業講座
一緒に行ったWindyHillsFarmスタッフ日記にて

  1. 2005/10/21(金) 00:00:00|
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